戦を蔑む儒教という思想

(前略)たとえば戦国時代の大儒である孟子は、
----春秋に義戦無し。
 と、語ったように、孔子が著した『春秋』という歴史書のなかにひとつも義しい戦いはなかったというのが儒者の共通する思想であり、要するに戦うことが悪であった。儒教は武術や兵略に関心をしめさず、それに長じた者を蔑視した。したがって儒教を学んだ者から兵法家は出現せず、唯一の例外は呉子である。戦いはひとつとしておなじ戦いはないと説く孫子の兵法は、道の道とす可きは常の道に非ず、という老子の思想とかよいあうものがある。この老子の思想には支配をうける民衆こそがほんとうは主権者であるというひそかな主張をもち、民衆を守るための法という発想を胚胎していた。その法を支配者のための法に移しかえたのが商鞅であり韓非子でもあり、秦王朝の法治思想もそれであるが、法とはもともと民衆のためにあり支配者のためにあるものではないことは忘れられた。

香乱記〈1〉 (新潮文庫)

香乱記〈1〉 (新潮文庫)

老子の思想には民主主義に通ずるものがあること又、儒教は武を蔑視していることを小生ははじめて知った。江戸幕府儒教を採用した理由はここにあるのだろう。つまり、世の中から戦を取り除くために、儒教という武を嫌う学問を江戸幕府は官学としたと考えられる。