欧化と国粋
欧化と国粋―日露の「文明開化」とドストエフスキー (比較文明学叢書)
- 作者: 高橋誠一郎
- 出版社/メーカー: 刀水書房
- 発売日: 2002/01
- メディア: 単行本
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司馬遼太郎は『三四郎』(一九〇八)について、「明治の日本というものの文明論的な本質」を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と述べている。そして地方から上京した主人公の若者三四郎が活躍する東京について、「明治後、東京そのものが、欧米の文明を受容する装置」となり、「下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした」と書いている。つまり、司馬遼太郎は東京を「中心」である西欧文明を「受信」し、さらに遠くの「辺境」に位置する地方へと発信する「周辺」としてとらえているのである。
漱石の小説家としての鋭さは、「文明開化」の第二世代ともいえる広田先生と東京帝国大学に入学した「第三世代」の三四郎とを対置することで、この小説に「世代論」的な緊張をも持ち込み得ていることである。すなわち、漱石は自分と同世代の広田に、彼が高等学校の生徒だったころ「たった一度逢った女に、突然夢の中で再会した」と語らせている。だが、葬列の馬車に乗っていた彼女の姿を見たのは、文部大臣であった森有礼の棺を送るために路傍に整列していた時なのである。
こうして「欧化と国粋」との間で激しく揺れ続けた日本政府の方向性を「国粋」の側へと大きく傾けるきっかけとなった森有礼の暗殺を、広田に若きの日(ママ)の記憶として語らせた漱石は広田に「いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」とも語らせ、「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と抗弁する三四郎にたいして「亡びるね」と断言させているのである。この言葉を聞いた三四郎は「熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲られる。わるくすると国賊取扱にされる」と思うが彼の出身地である熊本が、「教育勅語」の主導者である元田永孚の出身地であったことを思い起こすならば、ここには「国民の道徳」的な思想に対する漱石の鋭い批判と危機感をも読みとることができるだろう。
しかも、漱石は『三四郎』を朝日新聞に連載する前に「日露戦争で使われた鉄砲の玉は、ほとんどが足尾で産出した銅を原料としていたといわれる」足尾銅山をテーマにした小説『抗夫』を発表していた。
---終章、『三四郎』の「周辺文明論」的な構造
『坂の上の雲』を書き終えた司馬は後に、自分が英語以外にも数か国語を学んだことについて、「いまになってみれば、自分の選択はよかった」と語り、「世界じゅうの事柄を、自分がすこしでもかじったコトバ(モンゴル語、中国語、ロシア語)の窓からみることができて、すこしは深く感ずることができるからです」と説明している。つまり、現在の世界では英語という「窓」がもっとも見通しがよく、広い「窓」であることは確かだ。しかし、司馬の「コトバの窓」の例にならっていうならば、「広い窓」から見える景色がいかに美しく見えても、別の「窓」から見る時、まったく違う様相を示す可能性がある。重要なのはただ一つの「窓」を通して一つの価値を学ぶだけでなく、できるだけ多くの「窓」を通してその国の文化や歴史を学ぶことにより、さまざまな「文明」の持つ価値観を理解することで、「共存の可能性」を探ることであろう。
目次
文献
序章
★丸山眞男『「文明論之概略」を読む』
★神山四郎『比較文明と歴史哲学』
★大嶋仁『福沢諭吉のすヽめ』
★鹿野政直『福沢諭吉』
★芦川進一『隕ちた「苦艾」の星:福沢諭吉とドストエフスキイ』
★『冬に記す夏の印象』(『ドストエフスキー全集』第六巻)
★シーマン『ヴィクトリア時代のロンドン』
★メーチニコフ『亡命ロシア人が見た明治維新』
★土肥恒之『ピョートル大帝とその時代----サンクト・ペテルブルク誕生』
★阿部重雄『ピョートル大帝----ロシアのあけぼの』
★ロートマン『ロシアの貴族』
★「明治維新前後の日本人のロシア観」(中村喜和・トマスーライマー編『ロシア文化と日本----明治・大正期の文化交流』)
★林竹二『明治的人間』(『林竹二著作集』第六巻)
★外川継男『ロシアとソ連邦』(『世界の歴史』第一八巻)
★川端香男里『ロシア文学史』
★今井義夫「一八世紀ロシアの啓蒙思想家ロモノーソフとノヴィコーフにおける啓蒙主義とナショナリズム」(『社会思想史研究』第一〇号)
★チャアダーエフ『哲学書簡』外川継男訳(『スラヴ研究』第六巻)
★トインビー『歴史の研究』第二巻
★山本新『トインビーと文明論の争点』
★吉澤五郎『トインビー』
★堤彪『比較文明論の誕生』
★三宅正樹「トインビーのルネサンス論をめぐる再検討」(伊東俊太郎・梅棹忠夫・江上波夫監修、神川正彦・川窪啓資編『講座比較文明』第一巻)
★川窪啓資『トインビーから比較文明へ』
★『ベルツの「日記」』
★山本新『周辺文明論----欧化と土着』
★バグビー『文化と歴史』
★「書簡I」(『ドストエフスキー全集』第二〇巻)
★ルネ・ジラール『ドストエフスキー:二重性から単一性へ』
★グリボエードフ『知恵の悲しみ』(『ロシアーソビエト文学全集』第一巻)
★グリボエードフ『知慧の悲しみ』小川亮作訳、岩波文庫
★グロスマン『プーシキンの生涯』上巻、高橋包子訳
★『エヴゲーニイ・オネーギン』(木村彰一訳「プーシキン全集」第二巻)
★斎藤博「他者のトポロジー」(『文明』第三九号)
★作田啓一『個人主義の運命----近代小説と社会学』
★三宅正樹「世界の一体化と文明の時間意識」(『アウローラ』一九号)
★ケンネ・ファント『アルフレッド・ノーベル伝』服部まこと訳
★原卓也「デカブリストからペトラシェフスキー会まで」(『ドストエフスキーとペトラシェフスキー事件』)
★加藤典洋『可能性としての戦後以後』
★國本哲男『ロシア国家の起源』
★マヴロージン『ロシア民族の起源』石黒寛訳
★阿部重雄『タチーシチェフ研究』
★『ドストエフスキー全集』別巻、松浦健三訳
★鳥山成人『ロシア東欧の国家と社会』第五部「ロシア史学と『国家学派』」
★クリュチェフスキー『ロシア史講話』第四巻、八重樫喬任訳
★井桁貞義「ドストエフスキーとピョートル大帝----ロシア文学にあらわれた〈ピョートル大帝像〉によせて」『ヨーロッパ文学研究』第三四号
★伊東俊太郎『一語の辞典 自然』
★高橋『「罪と罰」を読む(新版)----「近代的な知」の危機とドストエフスキー』
★吉澤五郎『世界史の回廊----比較文明の視点』
★神川正彦『比較文明の方法----新しい知のパラダイムを求めて』
第一章
★I. A. Goncharov, Fregat Pallada, Nauka
★沓沢宣賢「シーボルト----その人と生涯」(『若き日本と世界』)
★渡邊與五郎「幕末オランダ留学生の西欧学術導入と日本の近代化」(『日本の近代化と知識人----若き日本と世界II』
★森安達也『ビザンツと東欧・ロシア』(『〈ビジュアル版〉世界の歴史』第九巻)
★鳥山成人『ビザンツと東欧世界』(『世界の歴史』第一九巻)講談社 昭和五三年
★高橋保行『ロシア精神の源 よみがえる「聖なるロシア」』
★栗生沢猛夫「モスクワ第三ローマ理念考](金子幸彦編『ロシアの思想と文学----その伝統と変革の道』)
★マリン・V・ブンデフ「ブルガリアのナショナリズム」(『東欧のナショナリズム----歴史と現在』)
★金原保夫「中世のバルカン」(柴宣弘編『バルカン史』)
★廣岡正久『ロシア正教の千年----聖と俗のはざまで』
★中井和夫『ウクライナ・ナショナリズム----独立のディレンマ』
★伊東孝之・井内敏夫・中井和夫編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』
★ボダルト=ベイリー『ケンペルと徳川綱吉----ドイツ人医師と将軍との交流』中直一訳
★小堀桂一郎『鎖国の思想----ケンペルの世界史的使命』
★木崎良平『光太夫とラクスマン----幕末日露交渉史の一側面』
★ラングスドルフ「江戸の特使と謁見する」金井英一訳(『若き日本と世界』)
★木崎良平『仙台漂流民とレザノフ----幕末日露交渉史の一側面 NO.2』
★和田春樹『開国----日露国境交渉』
★木村汎『日露国境交渉史』
★吉田松陰「長崎紀行」(『吉田松陰全集』第九巻)山口県教育会編、大和書房、昭和四九年)
★倉持俊一「クリミア戦争」(『世界大百科事典』第八巻 平凡社 一九八八)
★高野雅之『ロシア思想史----メシアニズムの系譜』早稲田大学出版部、一九八九年
★ギゾー『ヨーロッパ文明史----ローマ帝国の崩壊よりフランス革命にいたる』
★N. Ya. Danilevsky, Rossiya i Evropa, izd. Glagol i izd.
★「一八五四年のヨーロッパ事件に」(『ドストエフスキー全集』第二五巻)染谷茂訳、新潮社、一九八〇年
★ディヤコフ『スラヴ世界----革命前ロシアの社会思想史から』、早坂真理・加藤史郎訳、彩流社、一九九六年
★ザツェク「チェコスロヴァキアのナショナリズム」『東欧のナショナリズムー歴史と現在』東欧史研究会訳、刀水書房、一九八一年
★ロスティンスキー「マサリクによるドストエフスキーの考察」(『ドストエーフスキイ広場』第四号)
★ピエール・ボヌール『チェコスロヴァキア史』山本俊明訳、白水社、一九六九年
★Bokl', G. T., Istoriya tsivilizatsii v Anglii, trans. A.N. Bujnitsky, SPb., 1896, vol. 1.
★丸山眞男『「文明論之概略」を読む』中巻、岩波新書
★『ペルリ提督日本遠征記』第三巻、土屋喬雄・玉城肇訳、岩波文庫、一九五五年
★松本健一『開国・維新』(『日本の近代』第一巻、中央公論社、一九九八年)
★真鍋重忠『日露関係史:一六九七〜一八七五』吉川弘文館、昭和五三年
★大南勝彦『ペテルブルグからの黒船』角川書店、一九七九年
★宮永孝『幕末おろしや留学生』筑摩書房、一九九一年
★奈良本辰也『高杉晋作』中公新書、一九六五年
★中野謙二「高杉晋作が見た上海----中国の半植民地化と日本」(『若き日本と世界』東海大学出版会、一九九八年)
★河鰭源治『アジア歴史辞典』平凡社
★McLynn, Frank, "Robert Louis Stevenson", Pimlico, 1993
★Stevenson, R. L., 「YOSHIDA-TORAJIRO」『吉田松陰全集 別巻』山口県教育会編、大和書房、昭和四九年
★河上徹太郎『わがドストイエフスキー』河出書房新社、昭和五二年
★青木保『「日本文化論」の変容----戦後日本の文化とアイデンティティ』河出書房新社、昭和五二年
★米山俊直「道徳的緊単----司馬遼太郎の文明論」(『比較文明』第一二号、刀水書房、一九九六年)
★松本健一『司馬遼太郎----歴史は文学の華なり、と』小沢書店、一九九六年
★司馬遼太郎・井上ひさし『国家・宗教・日本人』講談社、一九九六年
★司馬遼太郎・山折哲雄『日本とは何かということ----宗教・歴史・文明』NHK出版、一九九七年
★梅棹忠夫編著『日本の未来ヘ----司馬遼太郎との対話』NHK出版、二〇〇〇年
★関川夏央『司馬遼太郎の「かたち」----「この国のかたち」の十年』文藝春秋、二〇〇〇年
★半藤一利『清張さんと司馬さん----昭和の巨人を語る』(NHK人間講座)、二〇〇一)
★宮永孝『文久二年のヨーロッパ報告』新潮選書、一九八九年
★古川薫『幕末長州の攘夷戦争----欧米連合艦隊の来襲』中公新書、一九九六年
★岩間徹編『ロシア史(増補改訂版)』山川出版社、一九九三年
★トルストイ『戦争と平和』(『世界文学全集』第二〇巻)、中村白葉訳、河出書房、昭和四一年
★加藤周一「日本にとっての多言語主義の課題」『多言語主義とは何か』藤原書店、一九九七年
★中村雄二郎・野家啓一 『歴史 二I世紀へのキーワード』岩波書店、二〇〇〇年
★ゲルツェン『過去と思索』第二巻、金子幸彦・長縄光男訳、筑摩書房、一九九九年
★高野雅之『ロシア思想史----メシアニズムの系譜』早稲田大学出版会、一九八九年
★アンジェイ・ヴァリツキ『ロシア社会思想とスラヴ主義』今井義夫訳、未来社、一九七九年
★Lotman, Yu. M., Roman A. C. Pushkina, "Evgenij Onegin," Komentarij, L., Prosveshchenie, 1983
★ロトマン『文学と文化記号論』、磯谷孝編訳、岩波書店、一九七九年
★木村明生『ロシア・ソ連・ロシア----断絶と継承の軌跡』彩流社、二〇〇〇年
★平川祐弘『西欧の衝撃と日本』講談社学術文庫、一九八五年
★中江兆民「一年有半」(『日本の名著』第三六巻)河野健二編、中央公論社、一九八四年
★松永昌三『福沢諭吉と中江兆民』中公新書、二〇〇一年
★中江兆民『三酔人経綸問答』桑原武夫・島田虔次訳・校注、岩波文庫、一九六五年
★司馬遼太郎『「昭和」という国家』NHK出版、一九九八年
★司馬遼太郎『手掘り日本史』文春文庫、一九九〇年
★加藤周一「日本にとっての多言語主義の課題」(『多言語主義とは何か』藤原書店、一九九七年)
★中村雄二郎・野家啓一『歴史 二一世紀へのキーワード』岩波書店、二〇〇〇年