小説研究十六講

小説研究十六講 (1980年)

小説研究十六講 (1980年)

かの松本清張が夢中で読んだことで有名な本。

 (六)『リジーア』の解剖---巧みに纏められた短篇は、正確にかつ精密に読むならば、全体としての小説建設の手法が自ら了得できる。で大体は、ポーが『大鴉』に試みた解剖様式にしたがい、ポーの作品の一つを取り上げて、一篇の作品がその本源のテーマから如何にして展開するものであるか、その経過を一歩一歩辿ってみよう。解剖の対象としては『リジーア』を挙げたい。これは作者自らも、自分の作中最も傑れたものとして許していた作である。邦訳も一、二あるから、読者は暫く本書の巻を掩うて、さきにそれを一読さるるを要する。我等はポーが如何にして、作のテーマから出発し、如何にしてその全体の結構を一段一段と築き上げ、しかもそのあらゆる経過が作の意図からいって、如何に必然のものであるかを見るであろう。
 『リジーア』のテーマは、一篇の基準(モットー)として作中に三度も引用してあるジョセフ・グランヴィル(Joseph Granville)の次に引用する句から暗示を受けたものであることは言うまでもない。「そしてそこに死せざる意志がある。その力強き意志の秘密を誰がよく知っておろうぞ。なぜなれば神とはとりもなおさず、一途な性質によって万有に遍満している大意志の謂に他ならぬ。人はその意志だに弱からざれば、決して幽界の使者にも、死にも断じて負けるものではない。」
 これを書いたグランヴィルとは十七世紀の有名な英国神学者である。ポーは彼とともに人間の意志の力強いことを信じ、意志はこの色身の裡に潜む多くの病弱さをも征服することのできるものと認めた。もし意志にしてもっと強かったならば、もっと大きなこともできるわけで、生ある者の最後の、そして最も頑強な敵なる死を駆逐し得ることも考えられなくはない。だから作品の目的として、死をも征服する強い意志の所有者なる一人物を描き出すとしても敢えて異とするに足らぬ。この異常な、ストライキングな創作的効果は、実にかかる精神的勝利を提示してのみ初めて挙げ得るところである。でここに、超人的意志を有する人間を点出し、彼が如何にしてその意志の力により死を征服するに至ったかを示そうという、物語の大体方針だけは定まったわけである。
 かくテーマを定めてから作者は、まずこの物語には幾人の人物を必要とするかを考えた。少なくとも一人だけは---超人的意志を有する人物一人のみは絶対に必要である。ポーは美的情趣を帯びさせるため、この人物を婦人とし、リジーアの名を冠した。しかし結構上からのみ言えば、この人物が男だったからとて、些少のさし響きをも感ずるものではない。男にすると女にするとで、その気分や調子は著しく違ってくるが、結構---骨組みは変るものではない。この中心人物に配するに、なお他にも人物が必要であるか否かは一考を要する。概して異常なる存在を点出する作品には、これに副として凡人を配し、それによって中心人物の異常性を秤ることが必要とせられる。奈良の大仏の写真でも、ただそれのみではその異常な巨大さの概念がはっきりしない。腰のあたりに一人の人間を立たせ、彼此比較の便を与えて初めてその大きさを暗示し得る。小説においてもこの用意が肝要である。それからあり得べからざる奇蹟を取り扱う作品においては、奇蹟の実施者以外に、その奇蹟の目撃者が少なくとも一人だけは必要である。この両様の意味から、リジーア以外にもう一人だけの人物は絶対に必要とせられる。この副人物は既述の二理由から、女主人公と非常に緊密なる交渉を有する人物でなくてはならぬ。我等の考え得べき緊密なる人事関係といえば夫婦のそれでなくてはならない。そこでリジーアの副人物は彼女の良人とされている。---超人的意志を有する婦人と、凡常なる彼女の良人と、作中人物として二人だけは定まったが、それ以上の人物は必要がないであろうか。ポーは必要なしと認めた。いな、手段の最大経済を必要とする短篇の原則から言って、これ以上の人物を点出し得なかったのである。もっとも後半に至ってトレメインの貴女なるものが出現するが、手法の上からみて、それは作中人物としての存在を保つものとは言えない。
 物語の輪郭はこの上に組み立てられる。まずリジーアと彼女の良人とが読者の面前に登場してこなければならぬ。それからリジーアは良人の面前で、その異常な意志の力をもって死を征服する必要がある。征服するには二度死ななければならぬ。なぜならば単に死の攻撃を退けたというのみであれば、必ずしも異常に力強い意志の所有者たるを俟たぬ。気で病に勝ったなどという話は坊間しばしば耳にするところである。だから病に罹ったのがただ治癒したというだけでは、読者の方でそれを尋常以上のこととして受け取らぬ。そこで彼女はまず一たび死に、その後で激しい意志の力を働かして蘇生し、復活する必要がある。それには彼女が本当に死んだのであることを読者に確信せしめねばならないので、暫くの間彼女は墓場の下に埋められていることを要する。で作は自ら二部に分れる。第一部はリジーアの生存中で、これは彼女の死をもって終結する。第二部は彼女の死の間で、これは復活をもって終結する。
 かくだいたいの輪郭を描いてから、次にポーは、これを何者の物語とするか---その視点を定めねばならなかった。今までの諸条件を綜合してくると、一見、有効な視点というものは三つしか有り得ないように思われる。第二は中心人物なるリジーアの視点、第二は副人物なる良人の視点、第三は全然外的な、全知的視点である。しかし更に熟慮一番すれば、以上三つの視点の中、この作を有効に生かし得るものが三者中の何れかであるかは直ちに判明する。というのは、この作はとうていリジーアの第一人称の物語とすることはできない。もしこの異常な性能を有する婦人が自分でそれを喋々したら、それは手品師の口吻に類して気品ある芸術とはなるまい。それにこの作の重要楔子の一つは彼女の死であるから、その意味から言っても彼女を話者とすることはほとんど不可能である。それから外的な、全知的視点を用いると、作の生動味が希薄になってくる弊がある。作の終局なる奇蹟的事件を迫真的に表現するには、話風を没人格的ならしめずして、個人的にし、外的に堕せしめずして、目撃者によって語らしむることが有効であろう。(視点
の条参照)だから物語は必然に、リジーアの良人の口を藉りる他ない訳となる。
 それでだいたいの輪郭はでき上った。次にポーのなすべきは、話を二つに区分することである。前半部においては、事件は必要でない。背景もさして注意を払うに及ばぬ。作家か特に力点を置くべきは性格的要素の上でなくてはならぬ。なぜならばこの作の前半の主要目的は、読者に、リジーアの異常な性格を、極度にまで高潮して印象せしめることにあるのだから、読者が彼女の性格の力から十分なる印象を受くると同時に、彼女を死なしめる必要がある。そうして前半は終るのである。しかしポーにはまだ彼女の性格を表現するに、直接法をとるか、間接法をとるかという問題が残っている。すなわちリジーアはその良人の言葉によって直接的に表現せらるべきか、それとも彼女の会話ぶりによって間接的に隠約の間に表現した方がいいか? これも別にむずかしい問題ではない。すなわち会話法の採用は決して得策でないのである。なぜなればリジーアと彼女の良人との間に言葉の献酬をなさしめれば、自然読者の注意は彼此の間に散漫に散らばるから、読者の全注意をリジーアの上に焦点付くべきことを目的とする物語においては、決して効果を挙げることができない。彼女はどうあってもその良人によって直接的に描写せらるることを要する。すなわちポーは作品の前半をその記叙のために割いて、効果を十分に挙げるため全力を傾倒している。その叙法たるや、おおいに主観的で、暗示的でなくてはならぬ、そして記叙せらるる人物の周囲に、捕捉し難い幻妖の気が低迷するようだとなお妙である。ポーは「最初の書き出しから狙う効果を外さないように戒心せよ」と論じているが、自分でも自ら、そのとおりに「私がリジーア姫と知り合いになったのは、どうしてであったか、何時であったか、また何処であったかすらも、はっきりとは、思い出せない。」の一句を冒頭に置いて作の緒口を切った。
 この作の後半はリジーアの死とその復活との間を取り扱うのであるから、巧みに生かすべく至難の題材である。物語の力点を置くべきところは性格的要素の上ではなくなった。かといって行為的、事件的要素は、前半におけると同じく従位のものである。生起してくるを要する凡ては、リジーアの復活ということである。読者がそれ迄に朧気ながら模索し得た物語のテーマ、そしてそのために今後も敢えて頁を繰るだけの努力を厭わぬテーマは復活である。それゆえ後半部の主たる興味は、この復活か何時、何処で、如何にして達成せられたかを、決することの中に存するわけである。この高潮的事件のためには、必然背景も意を用いて配匠されねばならぬ。ポーはそのクライマックスのため、一個の場景を用意することを決して等閑にしなかった。彼はリジーアを墓場に送るとともに、その以後の場のための背景を、巧緻に描写し始めた。その場所は、合点のゆかぬ、幻怪な野でなくてはならぬ。復活せる者の上を月光が照らすようだと妙である。かくて場所は野ときまり、時は深夜ときまった。しかしまだ肝腎な問題が残っている。---如何にしてリジーアは復活するのであるか?
 如何に架空の物語なればとて、読者に芸術的真実性を伝うるの責務ある以上、死者を復活さすことは決して容易でない。リジーアは既に地下に葬られ、その屍肉は蛆の蝕むに任せられたのである。しかも今や彼女は復活しなければならぬ。夢魔に襲われて待っている良人の室へ、単に彼女の肉体が歩きこんできた位な、甘い説明では決して読者の承服を買うに足らぬ。強調さるべき主要点は、彼女がもう一度息を吹き返したという単なる事実の上にあるのではない。異常なる意志力を駆使して初めて生に蘇ったという事実---その経過の上にあるのである。読者は彼女が死に打ち克った結果を見ただけでは満足せぬ。一度幽界に去った魂が、意志の働きによって再び色身を享けてこの世に還るストラグルの経過の展開を待ち望むのである。単に彼女の霊が徐々に目ざめて肉体が再現するだけのことなら、たいしてむずかしいことはない。しかるに前述の物語の条件からいって彼女の肉体を現わすことはできないように事情がなっている。問題の至難なるは実にこの点てある。

  • 第一講 小説と現代生活
    • (一)小説の世紀
    • (二)小説は研究の価値ありや
    • (三)小説を毒視する日本
    • (四)統計上より見たる小説
    • (五)十九世紀以後の代表的文芸
    • (六)小説発生の社会的意義
    • (七)ロングの明断
    • (八)ハドソンの見解
    • (九)リチャードスンについて
    • (一〇)人生における効用
  • 第二講 西洋小説発達史
    • (一)古代の物語
    • (二)イタリア
    • (三)フランス
    • (四)イギリス(上)
    • (五)イギリス(下)
    • (六)スペイン
    • (七)ドイツ
    • (八)ロシア、ポーランド、北欧諸国
    • (九)アメリ
  • 第三講 東洋小説発達史
    • 〔日本の部〕(一)初期の作品
    • (二)源氏物語
    • (三)軍記の勃興
    • (四)徳川時代
    • (五)井原西鶴
    • (六)西鶴の没後
    • (七)曲亭馬琴
    • (八)馬琴以後
    • (九)明治初期
    • (一〇)坪内逍遥博士
    • (一一)明治時代の小説家
    • 支那の部〕(一)小説の語源
    • (二)初期の小説
    • (三)水滸伝その他
    • (四)清時代の小説
    • (五)短篇小説
    • (六)印度、アラビア、ペルシア
  • 第四講 小説の目的
    • (一)小説の目的
    • (二)小説の目的の史的研究
    • (三)その他の諸作家
    • (四)大陸作家の見解
    • (五)目的小説の出現
    • (六)科学的人生観の勝利
    • (七)科学派の矛盾
    • (八)科学派の功績
    • (九)事実と小説
    • (一〇)真理と事実
    • (一一)真理の探求
    • (一二)科学、哲学、芸術
    • (一三)作家の資質
    • (一四)小説は蒸溜したる人生
    • (一五)小説と実在
    • (一六)小説と歴史
    • (一七)小説と伝記
    • (一八)真実なる小説
    • (一九)虚偽なる小説
    • (二〇)失敗の第一例
    • (二一)失敗の第二例
    • (二二)偶然の濫用
    • (二三)作中人物の独立性
    • (二四)小説と新聞記事
    • (二五)法則と例外
    • (二六)真実味と不朽性
    • (二七)小説の道徳、不道徳
    • (二八)叡智の職能
    • (二九)叡知と技巧
    • (三〇)一般的経験と特殊的経験
    • (三一)外延的経験と内包的経験
    • (三二)体験の人
    • (二三)好奇心と同情
  • 第五講 リアリズムとロマンティシズム
    • (一)真理を現わす二様式
    • (二)読者の嗜好にも両派あり
    • (三)第二の定義
    • (四)区別の第二
    • (五)区別の第三
    • (六)ブリス・ペリ教授の消極的定義
    • (七)材料と方法との混同
    • (八)科学的発見と芸術的表現
    • (九)ホーソンの言葉
    • (一〇)哲学的公式
    • (一一)帰納法演繹法
    • (ニニ)現実派の帰納法
    • (一三)浪漫派の演繹法
    • (一四)リアリズムの発生
    • (一五)リアリズムの長所
    • (一六)ロマンティシズムの長所
    • (一七)リアリズムの制限
    • (一八)ロマンスの自由
    • (一九)両派の優劣
    • (二〇)リアリズムの濫用
    • (二一)ロマンスの濫用
  • 第六講 小説の基礎
    • (一)題材から手法ヘ
    • (二)論証体
    • (三)註釈体
    • (四)描写体
    • (五)物語体
    • (六)系列と継続の差異
    • (七)芸術は系統的なるを要す
    • (八)物語的意識
    • (九)物語の歓び
    • (一〇)物語的意識なき作家
    • (一一)物語意識の習得
    • (一二)「事件」の真意義
    • (一三)小説家の職能
    • (一四)行為(事件)小説
    • (一五)性格小説
    • (一六)概括
  • 第七講 プロットの研究
    • (一)スティーヴンスンの言葉
    • (二)統一
    • (三)一定の目的点
    • (四)解剖的結構と綜合的結構
    • (五)結構の意義
    • (六)小説の基木様式
    • (七)積極的事件と消極的事件
    • (八)ピカレスク
    • (九)プロットの定義
    • (一〇)網状式プロット
    • (一一)大契点と小契点
    • (一二)起首、中枢、終結
    • (一三)副プロット
    • (一四)散漫体と緊縮体
    • (一五)物語の分量
    • (一六)物語の起首
    • (一七)論理的発展と時問的順序
    • (一八)nouementとdenouement
    • (一九)人物の役割
  • 第八講 人物・性格・心理
    • (一)作者は紹介者
    • (二)読者の影響
    • (三)大作品の訴える範囲
    • (四)代表的特性
    • (五)個別特性
    • (六)寓話の欠陥
    • (七)カリカチュアの欠陥
    • (八)静的人物と動的人物
    • (九)直接描写と間接描写
    • (一〇)両方法の分解---直接表現法の解剖・(A)註釈法・(B)描写法・(C)心理解剖・(D)他の人物の報告---間接表現法の解剖・(A)言葉・(B)行為・(C)他人物に与えたる反応・(D)環境
  • 第九講 背景の進化とその哲学的意義
    • (一)絵画史における背景の発達、第一期
    • (二)第二期
    • (三)第三期
    • (四)物語史における背景の進化、第一期
    • (五)第二期
    • (六)第三期・(A)半件の補助としての背景
    • (七)第三期・(B)人物の補助としての背景
    • (八)背景の情緒的調和
    • (九)感傷的謬見
    • (一〇)情緒的対照
    • (一一)背景の反語
    • (一二)芸術的、および哲学的用意・(A)行為の動機としての背景・(B)性格感化要素としての背景
    • (一三)小説の主人公としての背景
    • (一四)天候の配置
    • (一五)浪漫的背景と現実的背景
    • (一六)ポーの浪漫的背景
    • (一七)エリオッ卜の現実的背景
    • (一八)雰囲気および地方色
    • (一九)総括
  • 第十講 視点及び基調の解剖
    • (一)視点の意義
    • (二)神的態度
    • (三)法廷的配置
    • (四)内的視点と外的視点---内的視点の解剖・(A)作中重要人物の視点・(B)端役の視点・(C)混合的視点・(D)書翰的視点・(E)内的視点の諸変形---外的視点の解剖・(A)全知的視点・(B)制限的視点・(C)純客観的視点---基調の分解・(A)没個性的基調・(B)個性格的基調
    • (五)結構要素としての視点
    • (六)作の主人公としての視点
  • 第十一講 力点の芸術的職能
    • (一)主要部分と枝葉部分
    • (二)カ点の職能
    • (三)小説の力点---(A)結末のカ点・(B)書き出しの力点・(C)中断的力点
    • (四)長篇について---(D)均衡的力点・(E)逆均衡的力点・(F)反復的力点・(G)対偶的力点・(H)クライマックスの力点・(I)驚異的力点・(J)焦慮的力点・(K)運動の模倣による力点
  • 第十二講 叙事詩・戯曲・小説
    • (一)小説の姉妹芸術
    • (二)詩物語と散文物語
    • (三)三つのムード
    • (四)エピック・ムード
    • (五)ドラマチック・ムード---(A)俳優の影響・(B)劇場の影響・(C)観客の影響
    • (六)小説の劇化・劇の小説化
    • (七)ノヴェリスチック・ムード
  • 第十三講 長篇・中篇・短篇
    • (一)長篇と中篇
    • (二)短篇の分立
    • (三)ポーの功績
    • (四)マシューズの説
    • (五)ハミルトン教授の定義
    • (六)短篇と短い物語
    • (七)長篇と短篇の難易
    • (八)長、短篇の才能と年齢
    • (九)短篇は技巧的
  • 第十四講 短篇小説の構成
    • (一)唯一最上の法
    • (二)短篇結構の諸問題
    • (三)書き出し
    • (四)終結
    • (五)『大鴉』の解剖
    • (六)『リジーア』の解剖
    • (七)『放蕩息子』の解剖
    • (八)スタイル論
  • 第十五講 文体・対・内容と形式
    • (一)組織と文体
    • (二)文体は感情なり
    • (三)言語の二面
    • (四)模声法
    • (五)連想語
    • (六)語句の鋳型
    • (七)二個のスタイル論
    • (八)リズム
    • (九)文字
    • (一〇)スタイル即美術
    • (一一)小説のスタイル
    • (一二)スタイルの直観的性質
    • (一三)方法と材料
    • (一四)内容と形式
    • (一五)両者の融和
    • (一六)作者の人格
    • (一七)総括
  • 第十六講 作家を中心としての小説の考察
    • (一)最終講の責務
    • (二)作品背後の人
    • (三)作家の経験
    • (四)作家の思想
    • (五)作家の情緒
    • (六)作家の空想
    • (七)実在的空想
    • (八)非実在的空想
    • (九)制作の四段階
    • (一〇)個性の制限
    • (一一)時代の制限
    • (一二)読書社会
    • (一三)作家の哲学
    • (一四)作家の実際的理論
    • (一五)芸術と道徳との関係
    • (一六)芸術家もまた人間的存在なり
    • (一七)労作即道徳的要素
    • (一八)Laborare est orare
    • (一九)不道徳と技巧
    • (二〇)一般的法則
    • (二一)相対的議論
    • (二二)作品の道徳的影響
    • (二三)純朴なる心
    • (二四)毒と薬
    • (二五)性道徳
    • (二六)目的小説
    • (二七)芸術と実際的目的
    • (二八)史上の事実
    • (二九)芸術小説
    • (三〇)道徳的情熱の位置
    • (三一)ゲーテの言葉
    • (三二)芸術的意図
    • (三三)美的本能