私の履歴書(鳥羽博道-13)

 会社を設立して二年が経ち、卸先が徐々に増えていくにつれ、私は「僕はこの若さでこれだけの事ができるのに」と思い、世間の大人が皆、馬鹿に見えてきた。
 しかし卸という商売は、取引先から「明日からは要らない」と言われれば売り上げが無くなるという極めて脆い基盤の上に立っている。私は日銭の入る喫茶店を開き、経営と生活を安定させようと考えた。
 東京・新橋に条件に合った店舗が売りに出されており、友人知人から七百万円を借金した。店の明け渡しを目前にして、相手方から契約違反をでっち上げられ、その七百万円を騙し取られてしまった。
 私は相手方に駆けつけ、詰め寄った。このままでは殺されかねないと思ったのか相手が警察に電話し、たちまち三台のパトカーが来て、私は両脇を警官に抱えられ警察署に連行されてしまった。「殺すつもりなんて毛頭無い。騙されたお金を取り返しに行っただけだ」と説明すると「あなたがやられた事は民事で、あなたがやろうとした事は刑事事件になるんですよ」と警官が言う。私の表情に鬼気迫る物があったのだろう。
 私は弁護士を雇って相手を訴えることにした。超一流の大学を出た若い弁護士だった。裁判はすんなり進むものと思っていたが、意外に時間かかかり、費用が続かなくなる不安が生じてきた。幸い裁判は私に有利に働き始め、裁判長の勧告で相手方は和解を申し入れてきた。
 やれやれと安堵したのもつかの間。和解成立寸前というところで、なんと私の側の弁護士が迂闊にも「裁判費用が続かないところでした」と言ってしまったのだ。相手方は態度を急変させ、和解を取り下げ裁判を続けると言い出した。裁判費用が続かなくなりとうとう七百万円はそのまま相手に取られてしまった。
 私は自暴自棄に陥り自分を騙した相手はもちろん、若い弁護士も恨んだ。ところが恨みつらみの日々を過ごすうちに、私は自分の心がすっかりすさんでしまっている事に気づいた。
 これはいけない。もうこれ以上、人を憎むのは止めよう。人を騙す事が出来るのはその人の生い立ちが悪かったからだ。そうでなければそんな事は出来ない筈だ。
 ただ、騙した人間の人生が良くなって、騙された人間の人生が悪くなるのでは世の中の道理が通らない。道理の通らない世の中なら生きているわけにはいかない。それならば、この世の中で道理を通す為には自分がなにがなんでも成功しなければならない。
 そして、どこかで私を騙した人物に会った時、心から「お元気ですか」と言える自分になろう。もし元気でなければ助けて上げよう。助けて上げた時、相手が真に人間としての心を取り戻せる筈だ。そう気持ちを切り替えた。
 私はこの一件で、どんなにうまくいっている時でも決して驕ってはならないと悟った。これ以来、ちょっと自分が思い上がりそうになると「また落ちるぞ」という声が聞こえてくるようになった。
 また、世間の大人が本当に偉く見えてきた。大人というものは、自分に降りかかる火の粉を未然に振り払う知恵を持っているものなのだと理解した。


---日本経済新聞2009年2月14日