ファミリーポートレート

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一 原初の記憶


 ----あたしは、いま、五歳。
 庭の、暮れていく菫色の空と、春の風にあおられて左から右に散っていく色とりどりの花びらを眺めているところだ。


 その庭は、庭というほどおおきくて立派なものではなくて、小屋の裏側にある空き地に住人たちが華やパンジーやチューリップを植えただけの空間だった。でも子どものあたしには、ちいさいもおおきいも、立派もみじめもわからなくて、小屋の、二メートルぐらいしかない縁側に腰かけて、いつまでも花と、風と、空の色の変化をみつめていた。
 小屋、というのは二階建ての住宅で、すでに崩れかけていて、住人が動くたびに女の悲鳴のようにキーキーと鳴った。一軒に、確か、五世帯。細長い長屋で、カステラを切り分けたようにまっすぐ五つに仕切られていて、それぞれ、一階には台所とトイレが、二階には六畳間かひとつあって、勾配が急でやけに薄暗い螺旋階段でつながっていた。うちは生活保護を受けていたし、隣も、隣も、そうだった。汚いカステラみたいな小屋はその辺りに十個ぐらい固まって建っていて、町の人だちから、通称・コーエーと呼ばれていた。公営住宅、の意らしい。それは地元では差別語だった。
 お風呂はみんなで使う外風呂で、ベニヤ板でぐるっと外界から守られていた。男だちから覗かれないようにと女どうしで助けあっていた。
 あたしの、人生最初の記憶。五歳で、女で、コーエーの住人で、縁側の壁にもたれて散っていく花びらにみとれてる。

「冒頭一行だけが、五歳の女の子コマコの地の声だと解釈して下さい」と説明されなければ、その後に続く語り口と語彙は五歳の女の子のものとは到底思えないために物語に入り込めない。先を読む気にならない。
語り口の違和感は一読瞭然のこととして、齢不相応な語彙は例えばこれら。

  • 「住人」
  • 「世帯」
  • 「六畳間」
  • 「勾配」
  • 「螺旋階段」
  • 生活保護
  • 「通称」
  • 公営住宅


桜庭一樹の読書日記は好きだが、小説を読む気にならないのは、こういった点、つまり作家の勝手な妄想を読者に信じさせようという努力が桜庭の小説には見られない点があるためだ。