私の履歴書(鳥羽博道-19)

 ある日、知人の紹介でモスバーガーの創業者、桜田慧さんとお会いした。
 桜田さんはちょうど、業界団体の米国視察旅行から帰った所だった。宿泊したビバリーヒルズの最高級ホテルで飲んだコーヒーが非常に旨く、同行した大手焙煎会社の社長に「これと同じ味が日本で出せますか」と聞いたら、「難しいでしょう」と言われたという。
 「どうですか鳥羽さん」と聞かれたので、即座に私はアメリカで出来て、日本で出来ない物はありません」と答えると、「それでは二人で飲みに行きませんか」と桜田さんが気楽に言うので、私は一杯百万円のコーヒーになりますね」と笑って答えた。
 二人とも行動が速く、数日後にはビバリーヒルズヘ飛んだ。ホテルに着き翌朝コーヒーを飲んだところ、私は「えー?」という思いで桜田さんを見ると、「あれ?」という顔をしている。異口同音に「旨くない」。
 このまま帰る訳にはいかないと、サンフランシスコヘ飛び、超高級ホテルに行った。さっそくコーヒーを飲んだところ、二人は顔を見合わせ「うん、これは旨い」。これだと納得した。アメリカ生活の長かった桜田さんは慣れたもので、ボーイにチップを渡した後、コーヒ豆を五百グラム程、譲って貰った。
 帰国後、持ち帰ったコーヒーを参考に何度もテストを繰り返し、それ以上のコーヒーを作って試飲してもらった。「鳥羽さん、これだよ。これだ!」と喜んでくれた。
 その時の旅行を通じて、フランチャイズチェーン(FC)という言葉自体を知らなかった私は、FCに関する沢山の話を聞かせて頂き、FCに関する知識を十分に得た。ドトールコーヒーショップを本格的にFC展開しようと思う大きなきっかけとなった。
 日興証券に勤めていた桜田さんに、店頭公開という事もいろいろと教えて頂いた。
 帰国後、さっそくFC展開に向けコンサルタントを雇った。このプロジェクトは五名で編成したが、コンサルタントはまずプロジェクト名を考えなさいと言う。「高い理想を掲げ、現状を打破し革新し続ける事が、永遠の繁栄をもたらす」という言葉を考え、英語のIdeal、Revolution、Prosperityの頭文字を取ってIRPプロジェクトと名付けた。FCの展開に必要なマニュアル作りを始めたものの、必要な作業は膨大で、やってもやっても終わらなかった。
 FC展開のためには、どうしても直営店を持ちたかった。家賃は高いが、保証金が安い物件を青山に見つけ六十坪のうち四十坪を高級感のある画廊喫茶、二十坪を通常のドトールコーヒーショップとした。決して良い場所とは言えなかったが、保証金の安さに飛び付いた。
 同じ頃、本格的な焙煎工場を建設する事も決めた。
 工場は創業以来五回移転したが、今度こそスイスで見てきた工場以上のものを作ろうと、千葉県船橋市三井物産が食品工業団地を作るために造成した埋め立て地のうち、土地一千坪を購入し、第一期工事として五百坪の工場を作る事になった。それまでの工場が十五坪だったから、一気に三十倍以上に拡張した事になる当社にとってはかなり思い切った投資だった。
 これら二つの決断が、最悪の一年を招く事になった。


---日本経済新聞2009年2月20日