反哲学入門 - 木田元
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池田氏のブログに感化されて読んでみた。
philosphy
"philosofy"がギリシア語で「愛知」の意味だというのは有名な話だ。そもそも何故この語が生まれたのか。紀元前六世紀頃、ピュタゴラス教団の創始者が、世界には三種類の人がいると言った。
このとき、"philosophos"(形容詞)はまだ「知識欲が旺盛な」ぐらいの意味だったらしい。その後、ソークラテースがソフィストを攻撃するために皮肉の意味を込めて"philosophia"なる抽象名詞を使ったのが、"philosophy"の語源とされる。
日本語の訳語は最初、西周が「希哲学」としていた。ところが「希(ねがうの意)」が何故か消えて「哲学」に変化した。「希哲」は周敦頤の『通書』にある「士希賢」からヒントを得たらしい。
realitas obiectiva
デカルトの『省察』に出てくる"realitas obiectiva"という言葉は、邦訳で「客観的実在性」とされる場合が多いが、この時代、"realitas"に「実在性」の意味はなく、また"obiectiva"にも「客観的」の意味はない。"realitas obiectiva"とは、「心に投射され、いわば思い描かれたある事物の事象内容(大きいとか重いとか黒いとかいった内容)、つまり事物の諸性質の観念とか表象とか」を意味しているとのこと。
そもそも"obiectum"(obiectivaの名詞形)はアリストテレースの用語"antikeimenon"の逐語訳であり、そのギリシア語の意味の一つに「感覚の働きに向かい合うもの」すなわち「感じとられ表象されたもの」という意味があり、ラテン語の"obiectum"も専らその意味で使われた。