不運な女 - リチャード・ブローティガン

名翻訳家 藤本和子の手によるブローティガンの遺作。
本書を参考に藤本の翻訳技術の秘密を探ってみる。

まず原文。

I saw a brand-new woman's shoe lying in the middle of a quiet Honolulu intersection. It was a brown shoe that sparkled like a leather diamond. There was no apparent reason for the shoe to be lying there such as it playing a part among the leftover remnants of an automobile accident and there were no signs that a parade had passed that way, so the story behind the shoe will never be known.
 Did I mention, of course I didn't, that the shoe had no partner? The shoe was alone, solitary, almost haunting. Why is it that when people see one shoe, they almost feel uncomfortable if a second is not about? They look for it. Where is the other shoe? It must be around here someplace.

次に藤本訳。

 ホノルルの静かな交差点のど真ん中に、新品の女物の靴がひとつ転がっているのをわたしは見た。革のダイヤモンドのごとく輝いていた茶色の靴だ。その靴が自動車事故の痕跡を意味する残片のひとつであるとか、そこをパレードが通っていったというような証拠はなかったから、それがそこに転がっていることを説明するような、瞭然たる理由は想像できなかった。その靴にまつわる事情が知られることは決してないだろう。
 靴には相棒がいなかったことはもういっただろうか、いや、もちろんいってない。その靴はひとりぼっちで、孤独で、なんだか気味が悪いくらいだった。片方だけの靴を見つけ、もう片方がそのあたりにないと、ひとはなぜ落ち着きを失うのか。そして探す。もう片方はどこへいっちまった? このあたりのどこかに、きっとある。

 第1文の "lying" は「転がっている」と訳されている。われわれ素人が学校英語風に訳せば、さしずめ「横たわっている」となるだろうか。藤本は、「靴」が「交差点」に「XXXている」の文脈から、「転がっている」という適切な動詞を選ぶ。
 第3文の "There was no apparent reason for ..." は、「〜を説明するような、瞭然たる理由は想像できなかった。」と訳されている。これを仮に学校英語風に訳せば、「〜のはっきりとした理由は無かった。」くらいだろうか。ここで、なぜ藤本は「理由は無かった」ではなく「理由は想像できなかった。」と訳したのかを考えてみる。たとえばある人が「理由が無い」と発言した場合、これは発言者自身の言動について述べたものだと解釈される。ところが、引用文中の "reason(理由)" は「わたし(=主人公)」の言動についての理由を指しているのではなく、「靴」が「転がっている」理由を指している。つまり、理由は「わたし」の中に無いので「わたし」は想像するしかない。そして想像してみた結果、理由は見つけられなかった。 ということで、「を説明するような、瞭然たる理由は想像できなかった。」と訳されたのだろう。これだけのことを考え抜いた上で藤本は先の通り訳したと推察できる。

 こうして実際に原文と藤本訳を比較すると、藤本女史の翻訳力の凄さを再認識することができる。世の中には、妙ちくりんな翻訳が沢山あって読み進むのにためらいを感じることも多い。そんなときは、優れた訳者の手による本を読んでみると、すっきりとした気分になれる。