悪意の森 - タナ・フレンチ

香山二三郎が『青春と読書』10月号で書評していた本。
IRAが出てこないアイリッシュ・ミステリーらしい。


「たぶん、誰かが飼ってるただの汚れた黒いプードルなんだろうけど、よくこんなふうに考えるんだ---もしかしてあれが神で、おれに生きてる価値がないって判断してるとしたらどうなるんだろうって」

トニー・クシュナー『昼と呼ばれる明るい部屋』


 プロローグ


 想像してほしい。小さな町の一九五〇年代を舞台にした青春映画そのままのひと夏を。美術鑑定家の審美眼にかなう要素がそろった、いかにもアイルランドらしいしめやかな季節---鰯雲と柔らかい雨が織りなす水彩画的ニュアンス---とは程遠い夏。強烈でまじりけのないシルクスクリーン・ブルーを背景に、張り裂けんばかりの大声と放縦が入りまじる夏。樹上の小屋にのぼり、剣を思わせる細長い草の葉を噛み、自分の汗をなめ、小さな穴からバターがにじみ出すマリー・ビスケットとよく振った瓶から赤いソーダ水を味わうとき、舌の上でその夏が爆発する。モトクロス用自転車を走らせて顔に風を受けるとき、腕をのぼってくるテントウ虫の足を感じるとき、肌でその夏がじんじんする。夏が刈りたての草のにおいがする息をいっぱいにはらんで、物干しロープの洗濯物をふくらませる。鳥のさえずり、ミツバチの羽音、木々の葉音、はずむサッカーボール、「いち! にい! さん!」とはじける縄跳びの掛け声に合わせて一気にその夏がよみがえる。その夏はけっして終わらない。〈ミスター・ホイッピー〉(車で移動しながらアイスクリームを売るフランチャイズチェーン)の車からこれでもかとばかりに流れこんでくる歌と親友のノックの音で毎日がはじまり、なかなか暮れない黄昏のころ、戸口に浮かぶ母親たちのシルエットが、黒い透かし模様をなす木々のあいだを飛びかうコウモリの甲高い声の合間をぬって、もう帰りなさい、と子どもを呼びこむ声で終わる。その夏もまた、きらきら輝いていた。
 思い浮かべてほしい。ダブリンからわずか十キロほど離れた丘の、家々がつくる整然とした小さな迷路を。かつて政府が宣言した。そのうち郊外がもつ活力に目を見張ることになるだろうと。人口過密、貧困、そのほか都会がもたらすあらゆる弊害の理想的な解決策。いまとなっては、丘の斜面に立つほんのひと握りのどれもそっくりな二戸建て住宅群だが、いずれも見た目はまだじゅうぶんに新しく、表情は驚いたようでぎこちない。政府は〈マクドナルド〉とシネコンを褒め称え、何組もの若いファミリーが---アパート暮らしと、七〇年代のアイルランドでは誰も口にこそしなかったが、あいかわらず使用されていた屋外トイレからの脱却のために、あるいは広い裏庭や子どもたちが石蹴りのできる道路を夢見て、あるいは教師やバスの運転手の給料で手が届く範囲で理想のマイホームにいちばん近い物件を買って---荷物をいっぱい詰めこんだごみ袋を車に積み、センターラインに牧草とヒナギクが伸びる二車線道路をガタゴト走って、ピッカピカの新生活へと向かった。
 それが十年前のことで、まばゆいライトに照らし出されるチェーンストアとコミュニティ・センターも"インフラ整備"の名の下に構想が練られていたが、いまのところまだ実現化には程遠い(少数党議員がたまに下院で、怪しい土地取引をめぐって吠えることはあっても、報道されることはない)。農場主たちはあいかわらず放牧させている牛たちに道路を横断させているし、隣接する丘の斜面には夜になってもまばらに明かりがともるだけだ。その団地の後方の、将来はショッピングセンターとこぢんまりしたきれいな公園の建設が予定されているあたりには、何世紀前からそこにあるのか誰も知らない二、三平方キロメートルほどの森が広がっている。
 もっと近づいて、森を押しとどめる薄い皮膜よろしく、二戸建て住宅群との境に立つ煉瓦の塀をよじのぼる三人の子どもたちのあとを追ってみる。思春期までまだ少し間がある子どもたちの体はほぼ完璧な効率のよさをそなえ、よけいなものをすべてそぎ落とした流線型の軽飛行機を思わせる。絆創骨を好きな形に切って貼り、周囲の肌を日に焼いたホワイト・タトゥー---稲妻、星、A---がちらっと見える。ふわふわしたホワイトブロンドの髪がなびく。足がかりに爪先を掛けてから膝を塀の上端に乗せ、ぐいと体を引きあげて越え、向こう側に姿を消す。
 森はつねに揺らぎ、つぶやき、錯覚を誘う。森の静寂は点描画家の陰謀よろしく、百万ものひそやかな音---カサカサ鳴る音、一瞬のざわめき、とぎれとぎれの名状しがたいきしみ---からなる。森のうつろは、視野の外を素早く通り過ぎる秘密の生命に満ちあふれている。注意して目をやると、かしいだオークの木の裂け目でミツバチが元気に出たり入ったりしている。足を止めて石をひっくり返すと、そこには見たことのない幼虫がもどかしげに身をくねらせ、ふと気づくと、足首を働き者のアリの列が巻きつくようにのぼっている。誰かが放棄した砦だろうと思われる荒廃した塔のなかでは、手首ほどの太さのイラクサが石の隙間に生い茂り、夜明けにはウサギたちが土台から子ウサギを連れ出して、大昔の墓の周りで遊ばせている。
 夏は三人の子どもたちのものだ。擦りむいた自分の膝小僧の微細なでこぼこと同じくらい正確に森の地形を把握している。どの谷、どの開墾地に目隠しをして置き去りにされようとも、迷うことなく森から出ることができる子たちだ。ここは彼らの領分であり、動物の子ども同様、荒っぽく堂々と森を支配している。昼は日がな一日、夜は夢のなかでひと晩じゅう、
木々のあいだをぬって駆けまわったり木のうろにもぐりこんでかくれんぼをしたりする。
 彼らはいまや伝説のなかの存在となり、子どもたちが友だもの家に泊まるとき、両親には聞かれないよう、ひそひそと語り伝えられる物語に、あるいは悪夢になりつつある。あなたひとりではけっして見つけ出せない、痕跡がかすかに残るだけの大昔の道を進み、崩れた石壁に沿って全速力で回りこむ彼らの後方に、ほうき星の尾よろしく呼び声と靴紐がたなびく。川岸のヤナギの枝の陰に両手を仲ばして待っているのは誰? その笑い声は頭上の高い枝から揺れながら転がり落ち、顔は光と木の葉の影からなる視界の隅っこにある下生えのなかに見えたかと思うと、瞬く開に消えてしまう。
 今年といわず、幾度目の夏が来ようと、その子どもたちが青春を謳歌することはない。今年の夏はもう、こっそり蓄えていた強さや勇気を見いだす必要はない。大人の世界の複雑さに立ち向かって、より悲しくより賢くなり、生涯の絆で結ばれながら離れ離れになるのだから。


   1


 忘れないでもらいたいのは、ぼくが刑事だということ。刑事と真実との関係は必須だが、そこにはひびが入ってもいて、砕けたガラスさながらの屈折を見せて惑わしてくる。真実は、この職業の核であり、われわれが打つ手すべての大詰めである。われわれは嘘と隠匿とありとあらゆるだましの手法を駆使して組み立てた戦略を用いてそれを追い求める。真実は世界一魅力的な女で、われわれはやたらと嫉妬深い恋人、ほかの誰かが彼女をちらっと見たことすらひそかに打ち消す。そのくせ日常的に彼女を裏切り、何時間も何日も嘘のなかにどっぷりとつかったのち、恋人の究極的メビウスの輪を差し出しながら彼女のもとに戻る。でも、きみをすごく愛しているからしたことなんだよ。
 ぼくにはちょっとした空想癖がある。とりわけ、安っぽく皮相的な空想だ。だからといって、みんなをだますつもりはない。刑事はダブレット(腰のくびれた胴衣で、十五〜十七世紀ごろの男の軽装)を着た完全無欠な紳士的騎士団で、助け出したレディー・トゥルース(真実)を彼女の白い馬に乗せてやったあと、颯爽と馬で走り去る、などとは言わない。われわれのしていることといったら、粗雑で俗っぽく卑劣だ。ノースサイドのコンビニに押し入った強盗が店員を刺殺する事件が起き、その容疑者のアリバイを恋人である若い女が主張したとする。ぼくはまず、その女を相手に軽口をたたく。きみが彼女だったらずっと家にいたい理由がわかる気がするよ、とかなんとか。


悪意の森 (上) (悪意の森) (集英社文庫)

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悪意の森〈下〉 (集英社文庫)

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