泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 - 酒見賢一

文庫化された。
酒見は冒頭で単刀直入に『三国志』の残忍性について触れる。小生は昔から『三国志』の人気ぶりとその残忍性とのギャップが不思議でならなかった。つまり、現代の平和な日本において、何故『三国志』の残忍性がすんなりと受け入れられるのかが不思議でならなかった。なので、この箇所を読むと思わず膝を打ってしまう。

 ちかごろ、わたしにもようやく諸葛孔明の偉大さがわかってきた。
 決して皮肉ではない。
 全国二百万の諸葛孔明ファンからは何をいまさらと言われるかも知れないが、不敵にして覚らなかった。


 わたしはもう十年以上も前、『三国志』の後半、孔明南征のくだりを面白く読んでいたのだが、孔明率いる蜀漢軍に次々に襲いかかる一種の人種差別としか言いようのない、洞穴かなんかに棲んでいる南蛮の酋長どもの描写と戦闘がある。蛮族洞主が次々に繰り出す荒わざに、多分真面目な武将趙雲たちが、いきなり虎や豹の野獣軍と異種格闘戦を強いられ苦戦するわけだが、ところが孔明すこしもあわてず、
「既に成都におりしより情報を得て、このようなこともあろうかと準備しており申した」
 と、いつ造って運んできたのか知らないが、巨大な野獣模型兵器(人が中に入って動かすトロイの木馬的なものだが)を出動させ、口からは火炎放射、硫黄の毒煙を吐かせて野獣軍を四散させ、地雷まで仕掛けて、蛮族どもを虫けらのように焼き殺してしまうのであった。
 そんな孔明のこども好きのするおとなげない所業もさることながら、何故このロボット兵器群を、後の魏との北伐戦、斜谷、街亭、五丈原に投入して魏軍を攻撃させなかったのかが不思議でならない。読者だって司馬仲達の大軍が火を噴く怪獣兵器部隊にやられて地雷爆破を喰らって逃げまどうところを見たかったはずなのだ。そしたら勝てたのに、残念なことだ、と思うのはわたしだけか。


 そもそもわたしが初めて『三國志』を読んだのは、作家になって後のことである。わたしのデビュー作が、「シンデレラ+三国志金瓶梅ラストエンペラー」のおもしろさと評されていたので、どんなものか見てみようと思ったのであった。そのことが無かったら一生読んでいなかったかも知れない。
 それも『三國志』は漢字が難しいので読めず、『三國志通俗演義』もまた漢字が難しいので読めなかったから、適当に和訳された『三国志』をつらつら眺めたのであった(ちなみに『金瓶梅』はいまだに読んでいない。また先年話題になった原グリム版のすごく恐ろしいらしい『シンデレラ』も読んでいない)。これを元にした吉川英治の国民的『三国志』は読んでいないし、横山光輝小国民的『三国志』もまた読んでいない。
 とんだ『三國志』知らずであったわけだが、しかし"諸葛孔明"の威名だけはしばしば目耳にして知ってはいた。
「千年に一人の神算鬼謀の軍師」
「智謀秘策の湧き出ずること岳泉の如し」
「行くとして可ならざる奇策縦横の士」
「作戦の神様」
 等々。
 その時代に傑出した武道家を評するとき、「今武蔵」とか「現代の姿三四郎」とかいうように、日本史においても、稀なる将帥、智謀の戦術家があらわれると諸葛孔明の故事がひかれ「今孔明」とか「本邦の孔明」などと称されて、昭和初期の日本軍までは不滅の褒め言葉となっていた。たとえば戦国美濃の武士、竹中半兵衛がそうである。
 また日清日露日中戦争中においても、
「貴様は孔明を気取るつもりかっ!」
 とか、
「その経綸軍略、まさに貴様は孔明の再来だな」
 とか、中国と闘っている場合であっても、軍営ではそんな言葉が交わされていた。何故にそこまで?
 諸葛孔明とは、戦争の天才というか、国境を越えてもう史上最強、西洋人には分からぬことだろうが、東洋には孔明以上の軍師参謀は存在してはいけないかのような錯覚をおぼえさせるほどの決定的な名なのである。
 以下面倒なので正史『三國志』は「國」とし、『三國志通俗演義』(いわゆる『三国志演義』である)と、その和訳や亜流作品は「国」と書いて区別することにしておく。

 しかし『三国志』は後漢末、黄巾の乱が起きた一八四年から司馬氏の晋が成立する二六五年までのたかだか八十年の間に起きた出来事なのであり、長寿の人なら治乱興亡のすべてを見聞に入れることが出来たろう。
「しかし、こいつら、なんでこんなに戦争ばっかりしてるんだ?」
 と感想せざるを得ず、大陸人同士が、やめりゃいいのに人口が半減するほどの殺し合いを飽きもせずに続けるという異様な話なのである(だが中国史とはこのような強烈な話の連続なのであって、三国時代がとりたてて異常なわけではない)。
 現代の、平和を愛する日本人たちが見たら、身震いするほどおぞましい時代のはずである。
 ----のそりと馬を下りてレストランに入ってきた髭面の巨漢の眼が裂けてあまりに汚いので、ウェイターがおそるおそる注意すると、
「いささか戦塵にまみれてき申した」
 と真顔で言われたり、ただいま、と元気に帰ってきた息子が片手にまだ血のしたたっている首をぶら下げていて、
「でへへへ」
 と照れくさそうに笑って、
「わが君に検分してもらわなくちゃならないんだよ。腐ると臭うから冷蔵庫にいれといて」
 と、ママに渡して晩御飯を食欲旺盛にかきこみ始めたりするのが日常茶飯事であったのだ。家に人の首や四肢を飾ったり収蔵したりしておく、これは決して連続快楽殺人者の仕業ではないのである。
 そして、そこには悠久の歴史ロマン、また男のロマンとやらがあるらしいが、英雄豪傑どもの果てしない戦いの背後では、老人幼少が分け隔てなく大屠殺され、女は掠われ見境無く繰り返し繰り返し強姦されているのであり、残虐この上なく、『三国志』には踏みにじられた人々の怨嗟の声が満ち満ちて抑圧され秘められているのである。『三国志』を面白がっていいものかどうかいささか悩むところである。
 英雄連中もしょっちゅう二十、三十万の大軍を起こしては火で燃やされたり、河江に沈められたり、得体の知れない罠にはまったりして、虫けらのように殺されてゆく。それを、
「乾坤一擲の大智謀、秘計が当たったわい!」
 と喜んだり、褒めたり、けなしたりし合っているのである。人間の知性は『三国志』では、人殺しに用いられるばかりである。紛争解決にもっとよい知恵を出すのが知性というものだろうと思いたい。敢えて人類とは度し難い生き物だということを示したいのか。
「・・・・・・こいつら、結局、根本的に頭が悪いんじゃないのか?」
 と首をかしげさせられることもしばしばである。しかしやむなくでも、戦場に立ったこともない者が、戦争の意義とその心理について語るのは失礼なことなので、そこは言うべきではあるまい。
 また物語としては、次々にいいキャラが死んでゆくので、感情移入が途絶え、全編を一人の主人公を選んで描ききることはまず不可能であると言える。今後『三国志』をどう書くかは、とくに作家は、いろいろな意味でその手腕を問われることになるであろう。すくなくともわたしにとっては通して書くことは無理な注文といえそうだ。
 その天下麻の如く乱れた凶悪無惨の地獄に、天が平和を勧めて遣わした一人涼やかな忠烈義仁の男、それが諸葛亮孔明だ、ということになっている。
 しかし孔明の逸話を史書に照らして検討していくと、途端に深い疑念にとらわれることになる。結局孔明は戦火に油を注ぎこそすれ、平和を実現させることはなかった。また戦さに勝ったことなど数えるほどしかなく、何故この男が稀代の軍略家と讃えられるのかさっぱり分からない。孔明神話というものなのか。
 とくに晩年、なんの気に入らないことがあったのかは知らないが、天下の大勢が魏の曹操の一族により定まり、ようやく平和が訪れそうなことが分かっていながら、もう意地になっているとしか思われない北伐四回に及び、蜀の民衆を疲弊させて迷惑をかけ、しかも魏の領土を一片たりとも奪れなかったという意味では全戦全敗しているのである。なんなんだ一体。どう見ても名宰相・軍略の天才のすることではない。一軍を起こすのにどれだけの手間暇費用人力がかかるかは、言わずとも知れたことで、その費用はすべて徴発税金で賄われるのだから、孔明が如何によい政治をしていたとしても、一敗戦にてご破算どころかマイナスとなる。
 後漢--魏--晋ラインを正統とする史書には(中国の歴史認識では朱子らが水戸光圀的にいちゃもんをつけるまではこれが常識であった)「この年、またもや孔明が侵入した」と泥棒か何かのように書かれたりしており、王道和平の邪魔をする困った奴といった苦々しい雰囲気で筆誅されている。


 その上で諸葛孔明とはどういうひとだったのか。
 とにかくわたしの目には、まずは、孔明が、おとなげない男、と印象づけられたことは確かである。

泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)

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