野村再生工場 ――叱り方、褒め方、教え方 - 野村克也

なるべく教えるな

「教えないコーチは名コーチ」----メジャーリーグにはこういう名言があるそうだ。じつは私も同じ考えである。
 私がプロ野球の世界に飛び込んだころはコーチなどいないも同然だったが、現在ではどのチームでもバッティング、ピッチング、守備・走塁、バッテリー……というようにコーチが細かく分かれ、それぞれが専門に技術的指導やチェックを行っている。そして、彼らは教えることが自分の義務だと思っているのか、あるいは教えないとサボッているとみなされると思っているのか、競い合うように選手を教えている。
 だが、コーチがあれこれと口と手を出すことは、必ずしも選手のためにはならない。だから私はいつもコーチたちに言っている。
 「なるべく教えるな」
 なぜか。教えすぎると、選手がみずから考えることをしなくなるからである。
 監督業をはじめて以来、私はいつもコーチに言ってきた。
 「"教えたい"というおまえたちの気持ちはよくわかる。だが、まずは選手にやらせてみろ。「あいつは何もしない」と言われようとも気にするな」
 人間は、失敗してこそ自分の間違いに気づくものだ。自分で気づく前に何か言われても、真剣に聞く耳を持たない。たとえ聞いたとしても頭には入っていないことが多い。やってみて、失敗してはじめて、自分のやり方は間違っているのではないかと考えるのである。
 たとえば、明らかに間違った打ち方をしているのに、何も訊いてこない選手がいたとする。そういう選手は何も考えていないに等しい。あるいはとんでもなく鈍感なのだ。いずれにせよ、そんな選手に対してすぐに教えてしまうのは逆効果である。
 まずは選手のなかで問題意識が高まるようなアドバイスをし、本人に疑問が生まれるように仕向けることが必要だ。
 すると、「どうしたらいいでしょうか」とコーチに訊いてくるようになる。そのときこそがコーチの出番である。今度は絶対に選手を突き放してはいけない。徹底的に教え込むのである。
 というのは、選手が自ら教えを乞いにくるときは、選手の向上心や知識欲が最高潮に達しているときだからだ。そんなときの選手は、聞き入れ態勢が整っているから、スポンジが水を吸い込むようにコーチの言ったことを吸収する。その結果、見違えるような成長を見せることがあるのである。
 つまり、コーチは選手を日頃からよく観察し、それぞれの選手の心理や置かれた状況をきちんと見極め、もっとも効果が期待できるタイミングを見計らって教えることが求められるのだ。

目標を自ら考えさせる

 ただし、いくら選手が自分の間違いに気づき、疑問が高まって、受け入れ態勢ができたとしても、技術を教えるのは最後でいいと私は思っている。その前に、自ら取り組もうとする意欲を促すことが必要だからだ。
 いくらコーチに教えられても、言われたことだけを言われたとおりにやっているだけでは、それ以上の成長は見込めない。選手自身に創意工夫しようとする気持ちが生まれなければ、「もっと打てるようになるにはどうすればいいのか」と考えることがなければ、絶対に一流にはなれないのだ。だからこそ、技術論を教える前に、自ら能動的に取り組むという意識を植え付けることが大切なのである。
 そこで私は、選手たちに次のような質問を投げかけるようにしている。
「将来、どんなバッターやピッチャーになりたいのか」
「何勝したいのか、何割打ちたいのか」
「いくら稼ぎたいのか」
 つまり、プロ野球選手としてのそれぞれの選手の目標を明確に聞き出すのである。そのうえでこう訊ねる。
 「では、そのためにどうすればいいのか? 何をしなければいけないのか?」
 私がプロ野球の世界に身を投じた最大の理由は、「金を稼ぐため」だった。貧乏生活から抜け出し、苦労して私を育ててくれた母と、私に野球をやらせるために大学進学をあきらめた兄をなんとかして楽にしてやりたいと思った。
 そのために金が必要だった。そして、その気持ちが私の原動力となった。たくさん金を稼ぐには、一流にならなければならない。そのために私は徹底的に考え、努力した。とりたてて際立った野球の才能に恵まれなかった私が、まがりなりにも三冠王を獲れるほどの選手になれたのも、明確な目標があったからなのだ。
 もちろん、物があふれ、飢えを経験したことのないいまの選手たちに私のようなハングリー精神を求めても不可能だ。だが。だからこそ。「自分は何のために野球をやっているのか」ということを明確にさせることが必要なのである。でなければ、人間は弱いものだから、そうそう努力などできるものではない。目標を達成するために「足りないものは何か」「何をしなければならないのか」を考え、課題に対して自ら真摯に向き合える者だけが一流になれるのである。
 依頼心が強ければ強いほど、人間の思考能力は衰える。思考を停止すれば、進歩も止まる。一流とは、より多くの疑問を抱き、失敗からたくさんのことを学び取る能力に優れた人間のことをいう。
 だからこそ、選手は自分自身で疑問を感じなければならず、コーチはそのように仕向けてやらなければならないのである。

長谷部にもシュートをマスターさせる

 二〇〇七年のドラフトで、楽天は前年の田中に続き、将来のチームを背負っていくであろう逸材を引き当てた。アマチュアで唯一、北京五輪予選に臨む日本代表に選ばれた愛知工業大学のエース左腕、長谷部康平である。
 長谷部は一七三センチと小柄だが、コントロールがすばらしく、とくにチェンジアップとスライダーのキレがいい。しかも貴重な左腕。いみじくも私は「小さな大投手」と評したが、順調に育てばそのとおりになる可能性を持っている。
 ただし、現状のままで活躍できるほどプロは甘くないのも事実である。キャンプに入ったとき、私は長谷部に訊ねた。
 「球種は何をもっているんだ?」
 「ストレートとスライダーとチェンジアップです」
 「それだけか……」
 私は少々落胆した。たしかに彼のスライダーはいい。だが、それだけでははじめはよくてもいつかは通用しなくなるのが目に見えている。長谷部のストレートは決して速くない。したがって、それを狙い打ちされてしまえば、もうおしまいだ。
 私はあらためて長谷部に訊いてみた。
 「そもそもピッチャーはなぜ変化球を投げる必要があるのか考えてみたことがあるか?」
 長谷部は答えられなかった。ある意味では当然だろう。プロであってもピッチャーで真剣にそんなことを考える人は少ない。



まえがき


なぜ、「ぼやく」のか
「失敗」と書いて「せいちょう」と読む
実践指導
第一章 弱者を強者にするために

なるべく教えるな
目標を自ら考えさせる
長谷部にもシュートをマスターさせる
マーくんよ、ストレートを磨け
エースとしての自覚
欲から入って欲から離れる
井川には「バッターを消せ」、福原には「キャッチャーを消せ」
ブルペンエースにはショック療法
目の色が変わった磯部
満足→妥協→限定は再生の最大の敵
スタートは意識改革
足りない戦力
中心の不在
無形の力を養う
野村野球とはプロセス
準備とは意識付け
交流戦の好成績はデータの勝利
分析・観察・洞察・判断・記憶
無形の力の結晶、イチローの攻略
選手の適性を見抜き、適所に起用
フォア・ザ・チームの徹底
人間的成長なくして技術的進歩なし
第二章 楽天的、意識改革

フロントの意識改革
アスレチックスとレッドソックスの強さの秘密
エースを獲ってくれ
エース候補・田中
山粼を誤解していた私
真のリーダー山粼
若手を抜擢
一年で成長を見せた嶋
チーム一丸となって最下位脱出
第三章 再生の極意は気づきにあり

野村再生工場
自己限定を捨てさせ、自信を与える
鉄平
シュートで開眼した川崎
闘争心が生んだ荒木の復活
考える力を身につけた小早川
何も考えていなかった山粼
苦手・和田を克服した理由
冷静な読みが生んだ二本のホームラン
考え方を変えて甦った江夏
チームのためにブンブン丸を封印した池山
再生とはよく観察し、気づかせること
適所が飯田の才能を引き出した
シンカーで活路を見出した高津
もっとも大切なのは愛情
第四章 弱い組織を再生させる

面接
選手の気持ちが監督から離れている
田尾監督の解任
仙台の新しい球団という魅力
弱いチームを強くするのが生きがい
第五章 私の人生もまた再生の歴史である

貧乏育ちのテスト生
一年でクビ宣告
一軍昇格
一流の壁
データとクセの研究で打撃に開眼
私のレベルを上げてくれた稲尾
バッター攻略でもデータを活用
考える野球の真髄
三悪人との出会い
野村スコープ誕生
指導者は言葉を獲得しなければならない
私を突き動かした巨人への対抗心