誰もが聖書を読むために - 鹿嶋春平太

本書は『村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則』で推薦されている。

最初の章の人間は鳥獣より後に造られている


 ところが、聖書をよくながめると、もう一つの考え方も可能になってくるから不思議です。それはなにかというと、創世記の第1章で造られたと書かれている人間は、アダムとイブとは違うのではないか、という筋道も浮かび上がってくるのです。
 創世記の第1章には、よく知られた神の天地創造のわざが記されています。そこでは神は、一日目に光を造り、二日目に大空を造り、三日目に地と海と植物を造り、四日目に太陽と、月と星を造り、五日目に魚類、鳥類を造り、六日目に陸の動物を造り、自分の形に似せて男と女に人を造っています。その際の記述は、次のごとくです。まず神は、

「『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』」(創世記、1章26節)
と言っています。そして、
「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」(創世記、1章27節)
と、聖書は記しています。以後も神はこの人間に、
「『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」(創世記、1章28節)
とか
「『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。』」 (創世記、1章29節)
 とかいう言葉を発していますが、人を造るくだりは右記の部分だけです。そして神は、七日目は安息されたことになっています。



アダムは鳥獣より先に造られている


 他方、アダムとイブが造られるくだりは、それにつづく第2章に記されています。よくみてください。そこでは、まず、地にはなにもなかった、と書かれています。ただ霧が地から立ち上っているだけです。そこにアダムを造り、エデンに園を設け、そこにいのちの木、善悪の知識の木を造り、次に野の獣、空の鳥を造ったことになっています。イブはその後に造られています。
 第1章における人間の創造と、第2章におけるアダムのそれとは、状況が全然別なのです。前者では、神は先に動植物を造っておいてから人間を造り、後者では、人間を造った後に、動植物を造っています。
 こうなると、もしかしたら、第1章に記されている人間創造は、この地球上の広大な範囲におけるそれについて記していて、第2章でのそれは、その後のとある一地点における出来事を述べているのではなかろうか、という疑問も成り立ってきます。最初に造られた人問と、アダムとは違う存在という思想を聖書は持っているのではないか、と。
 そこで、この観点からあらためて読んでみると、それらしき聖句も浮かび上がってくるから不思議です。

「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創世記、2章15節)
 ここで「人」とはアダムのことです。それはいいのですが、その彼に神はエデンの園を「守らせて」います。これはいったいどうしたことでしょうか。アダムは何に対して、園を守るのでしょうか。もしアダムが最初の人間なら、動物に対してのみでしょう。けれども、動物に対してというのは、どうもおかしい感じもする。もしかしたらそれは、他の人間に対してではないでしょうか。
 そうした気持ちをさらに強くさせるのは次の聖句です。
「『……ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。』主は彼に仰せられた。『それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。』」(創世記、4章14-15節)
 これは、弟アベルを殺したカインに対して告げられる言葉です。聖書ではアダムとイブの間には、まずカイン、アベルという二人の子供が生まれたことになっています。そして二人が成人した後にこの、兄による弟撲殺事件が起きます。ということは、もしアダムとイブが最初の人類であったのなら、この時点で地球上には人間は彼ら夫婦とカインとの三人しかいないことになりますね(その後、アダムが百三十歳になったとき、セツが生まれたことになっています)。なのに、カインは、「私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう」といい、神はそれを受けて(否定しないで)「カインを殺す者は、七倍の復讐を受ける」と言っています。
 ここではかなり明らかに、他に人間が、それもかなりな数存在することが前提とされている、そういうニュアンスが濃厚ではないでしょうか。この「出会う者」も、動物を意味している可能性があるって? いくらなんでもそれはないでしょう。

誰もが聖書を読むために (新潮選書)

誰もが聖書を読むために (新潮選書)

序 章 オーソドックスな聖書の読み方とはどういうものか
第1章 なぜ、神が「光よ。あれ」というと、光が出現するか
第2章 バイブルでいう「神(GOD)」とはなにか
第3章 人類の歴史はわずか六千年か ---- 二種類の人間がいた?
第4章 人間の構造をどうみているか ---- 肉体・霊・いのち
第5章 二つの人間はどうちがうか
第6章 エデンの「楽園」の様子と神の理想の「夫婦像」
第7章 「善悪の知識の木」から食べるとなぜ「罪(sin)」か
第8章 なぜ園から追放されるか ---- 天国は「完全者」の国
第9章 アダムとイブはなぜ「腰の覆い」を作ったか
第10章 「頭を砕き」「かかとを噛む」とはなにか
第11章 「父なる」創造神とイエスはどういう関係にあるか
第12章 「天国」はどこにあるか ---- バイブルの空間理念
第13章 イエスはどんな存在とされているか
第14章 イエスは人間の「手本」になるか ---- 日本型キリスト教の限界
第15章 聖書の描く世界史(1)---- 創世記以前
第16章 聖書の描く世界史(2)---- 天地創造と旧約時代
第17章 聖書の描く世界史(3)---- 新約時代と終末
第18章 「信仰」とは「約束」の言葉を抱くこと
終 章 日本の若者はなぜ宗教に食われるか
付 録 旧約聖書・創世記
あとがき
参考文献
コラム


(検索用)村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則、村上憲郎、グーグル、Google