憲法で読むアメリカ史 上 - 阿川尚之

本書は『村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則』で推薦されている。

第四三代大統領ジョージ・W・ブッシュ

 西暦二〇〇〇年一月二〇日、首都ワシントンの中心に位置する連邦議会議事堂前で、テキサス州知事ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国の第四三代大統領に就任した。初代大統領ジョージ・ワシントンが一七八九年に就任したとき使ったのと同じ聖書の上に手を置かせ、「大統領としての職務を忠実に果たし、合衆国憲法の堅持に全力を傾注する」と新大統領に宣誓させたのは、合衆国最高裁判所のウィリアム・レンクイスト首席判事ある。宣誓の内容は憲法第二条一節八項に定められたとおりであって、これまたジョージ・ワシントン以来四二人の大統領が合計五三回宣誓した内容と、一言一句変わっていない。
 ときおり小雨が降る冬の曇天のもと、宣誓を終えたブッシュ新大統領は就任式へ出席した人々に向かい、またテレビの画面を通じて見つめる全国民に対して、就任演説をこう切り出した。
 「今皆さんが目にした平穏な権力の委譲は、歴史的に見れば稀なできごとであるけれども、我が国においてはごく当たり前である。簡潔な宣誓とともに、われわれは古き伝統を再確認し、新たに出発する。大統領就任にあたって、わが祖国のために尽したクリントン大統領へ感謝したい。そして精一杯選挙戦を戦いながら、最後には潔く敗北を認めたゴア副大統領に感謝したい」
 このあと新大統領は、ときに闘違いをも犯したアメリカの歴史について、アメリカを一つにまとめる理念について、礼節、勇気、思いやり、品格といった、理念実現のために必要な徳について、政府のもつ責任と市民一人ひとりが果たすべき役割について、格調高く簡潔なことばで訴えた。
 「世代を超えてアメリカを束ねるかずかずの永続的な価値。そのなかでもっとも偉大なのは、すべての人が社会の重要な一員であり、すべての人に機会が与えられており、意味のない人生というものは一つもないという信念である。われわれ一人ひとりが日々の生活を通じ、また法律を通じて、この理想を実現すべく求められている、時にその努力は妨げられ、時にその歩みは遅々たるものであるとしても、われわれはこの道からいささかも外れてはならない」
 就任にあたって自らの信念を披瀝するブッシュ氏のことばに耳を傾ける人々のなかには、八年間の任期を終えてワシントンを去るビル・クリントン大統領、新大統領の地位をブッシュ知事と最後まで激しく争って敗れたアルバート・ゴア副大統領、そして八年前民主党候補のクリントンアーカンソー州知事に選挙で敗れ、この同じ場所で勝者の就任演説を聞いてワシントンを去った新大統領の父ジョージ・ブッシュ元大統領の姿があった。
 それから三年半のあいだ、ブッシュ大統領は予想もしなかったような重い決断を次々に迫られた。二〇〇一年九月同時多発テロ事件の際は、みごとな指導力を発揮して国民が衝撃から立ち直るのを助けた。しかしイラク戦争開戦とイラク占領の実施については、国の内外で大きな反対を受けた。後世いかなる評価を受けるのかを、予測するのはまだ早い。そしてどんな功績を残すにしても、テキサス出身のこの大統領が歴史にその名をとどめるであろうことは、すでに就任のときから確実であった。それは二〇〇〇年秋の大統領選挙が史上稀に見る接戦であり、アメリカ国民が長く複雑な経過をたどって、ようやく新大統領を選出したからである。
 ブッシュ氏が就任演説の冒頭で、「権力が平和のうちに委譲された」と述べたのは正しい。しかしその過程は決して平坦でなく、党派心がむき出しとなった激しい戦いであった、しかも最後は合衆国最高裁判所という、司法最高機関の判断を仰がねばならなかった。投票から一ヶ月以上経っても大統領が決まらないという異常な事態をみて、一部の人々はこれをアメリカ民主主義機能不全の表れと考えた。また五〇にのぼる訴訟が提起され連邦最高裁はじめ多くの裁判所が大統領選挙へ介入したのをみて、ある人々は司法の正統性への疑問を呈した。
 けれどもおおかたの日本人にとっては、そもそも二〇〇〇年秋の大統領選挙で何か起こったのか、憲法上あるいは法律上の問題は何なのかが、わかりにくい。すでに歴史の一ページとなった選挙の経過を振りかえり、その複雑な過程と争点を整理して、この混乱の性格およびアメリカという国家の仕組みについて、まず最初に考えてみよう。

熾烈な戦いの幕開け

 いったいだれが大統領に選ばれたのか。二〇〇〇年秋の大統領選挙で共和党ブッシュ候補と民主党ゴア候補の選挙人獲得数の差があまりにも僅少であったため、投票が締め切られ票が集計されても、この単純な問いかけへの答えがなかなか明らかにならない。しかし、まさかそれから一ヶ月経っても結果が出ないとは、この時点でだれも予測しなかった。当事者を含め多くの人が、投票後数日のうちには勝敗が決すると当初は考えたようである。
 アメリカ全土で国民が意中の候補にそれぞれ票を投じたのは、一一月七日である、選挙によっては時差の関係で、合衆国の西端に位置するハワイ州の州民がまだ投票中に勝敗がつくことさえあるのに、今回は翌日一一月八日の未明になっても当選者が決まらない。両候補が獲得した票数、選挙人数ともに、ほとんど差がなかった。いくつかの州でなかなか結果が確定しなかったものの、結局大票田の一つであるフロリダ州で多数を制しこの州に割り当てられた選挙二五人を獲得したほうが選挙人総数の過半数を押さえて勝者となることがわかり、全米の注目はフロリダ州の開票結果に集まる、同州を除いた最終的な選挙人獲得数は、ゴア副大統領が二六七人、ブッシュ知事が二四六人で、いずれもフロリダ州の選挙人を獲得しなければ過半数の二七〇人に達しなかった。
 アメリカの各メディアは東部時間七日の午後八時ごろ、ゴア候補がフロリダ州を制したといったん報じる、しかしすぐにこの報道を撤回し、八日未明、今度はブッシュ候補の勝利を伝えた。その結果ゴア候補は敗北を認め、午前二時四五分、ブッシュ候補に電話をかけて祝意を表す。ところが得票差がきわめてわずかであるとわかって数時間後に電話をかけなおし、敗北宣言を撤回した。明け方、ゴア候補の選挙対策本部が置かれたテネシー州ナッシュヴィルから、一睡もしていない七二人の運動員を乗せた満員のチャーター機が、フロリダ州の州部タラハシーに向けて飛び立つ。ブッシュ陣営も負けずと、テキサス州オースティンから人を続々と送りこんだ。大統領選挙の勝者を確定するための三六日におよぶ長く熾烈な戦いは、


憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)

憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)


まえがき
第一章 最高裁、大統領を選ぶ
第四三代大統領ジョージ・W・ブッシュ
熾烈な幟いの條開け
二回の再集計
手集計をめぐる争い
連邦最高裁での第一回判決
得票数公式認定と異議申立て
連邦最高裁第二回判決とブッシュ勝利
第二章 最高裁、大統領を選ぶ
合衆国最高裁の判決---六つの意見
法の下の平等
最高裁判所による立法権の侵害
敗者はだれたったのか
「ブッシュ対ゴア事件」が残したもの
司法による政治への介入
アメリカ政治と司法の役割
第三章 アメリカ合衆国憲法の誕生
新しい国
フィラデルフィアヘの道
憲法は違法?
この国のかたち
よりよき連川をつくるため
第四章 憲法批准と『ザ・フェデラリスト
憲法草案への反対
フェデラリストの反撃
『ザ・フェデラリスト』の筆者たち
大きな共和国の思想
憲法の発効と連邦政府の発足
第五章 憲法を解釈するのはだれか
合衆国最高裁判所の誕生
一八〇〇年の革命
マーベリー対マディソン事件
マーシャル首席判事の判決
マーベリー対マディソン事件判決の意味
第六章 マーシャル判事と連邦の優越
ジョン・マーシヤルの経歴
合衆国銀行の設えとその合憲性
マカラック対メリーランド事件判決の内容
マカラック対メリーランド事件判決の意義
第七章 チェロキー族事件と涙の道 一
変わりゆくアメリカー
土地はだれのもの
チェロキー族の文明開化
ジョージア州との法廷闘争
ジョージア州対タッスルズ事件
第八章 チェロキー族事件と涙の道 二
チェロキー族対ジョージア州事件
ウースター対ジョージア州事件
ジョージア州最高裁判決を無視する
チェロキー族の敗北と涙の道
第九章 黒人奴隷とアメリ憲法
憲法制定と奴隷制
奴隷をめぐる南北の共存
第十章 奴隷問題の変質と南北間の緊張
奴隷解放運動の高まり
ブリック対ペンシルヴァニア事件
北部の反発
南部の態度の変化
第十一章 合衆国の拡大と奴隷問題
合衆国領土と奴隷制
合衆国の西力拡大
ミズーリの妥協
一八五〇年の妥協
流血のカンザスネブラスカ
第十二章 ドレッド・スコット事件
ドレッド・スコット北へ行く
ドレッド・スコット対エマーソン事件
ドレッド・スコット対サンフォード事件
ドレッド・スコットはなぜ敗れたか
第十三章 南北戦争への序曲
ドレッド・スコット事件判決に対する反応
ルコンプトン州憲法問題
リンカーン・ダグラス討論
第十四章 連邦分裂と南北戦争の始まり
一八五八年の選挙結果と南部の態度変化
ハーバーズフェリー襲撃事件
一八六〇年の大統領選挙
連邦分裂を回避するために
連邦脱退の合憲性
第十五章 南北戦争憲法
開戦とリンカーンの対応
南部港湾の封鎖と戦争の定義
プライズ事件判決と司法による戦争の認定
治安維持と人身保護令の停止
真の統一国家

付録 アメリカ合衆国憲法(原文)


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