金融危機後の世界 - ジャック・アタリ

1……史上初のグローバル金融危機


 人類は、いつの時代も、宗教的・道徳的・政治的・経済的な危機を乗り越えてきた。とくに資本主義が「勝利」してからは、むしろ経済的な危機が頻発し慣れっこになってしまい、当然のことのように乗り越えてきたという観さえある。
 しかしながら、現在、約束されていると思われていた明るい未来が、大恐慌に襲われようとしている。あるいは、われわれの生活様式や社会組織に、非常に根源的な変化の波がじわりと押し寄せようとしている。こうしたショッキングな事態が進行していると、今、世界の多くの人が、不安を抱いているのではないだろうか。
 では、その正体とは、いったい何であろうか?
 今回の危機については、まず政治やイデオロギーにその原因が求められた。例えば、この危機はグローバリゼーションが破綻する兆候である、あるいは反対に、グローバリゼーションをもっと加速させなかったからだ、といった意見が聞かれた。官僚主義に終止符を打つべきだ、すみやかに規制を打ち出す必要がある、地球規模の組織的収奪をやめさせろ、といった意見も聞かれた。また、インフレやデフレの脅威も語られた。この危機は、借金の有害性の例証であるといった意見や、逆に借金しまくることが有利なのだといった意見もあった。民間銀行相互の競争の重要性を語る者や、民間銀行の国有化を訴える者もいた。
 現在の金融危機は、地球規模に拡大したという観点においてのみ、史上初なのである。この危機は、経済危機をも引き起こしはじめたが、まだ通貨危機には至っていない。人類がこれまでに経験したすべての出来事のうちでも、今回の危機は、さまざまな面において根源的・破壊的であり、広範囲に影響をおよぼすものとなるだろう。この危機は終息するのではなく、加速する出来事として「21世紀の歴史*1」を刻んでいくことになるだろう。


2……歴史的な〈中心都市〉での金融危機


  〈中心都市〉と金融危機
 この危機を理解するためには、これまでに発生した同じような出来事と、歴史的に比較検証してみる必要がある。

 ブルージュ*2で一二世紀に資本主義が開花して以来、大規模な金融危機は、毎回、その当時の金融の中心地で発生してきた。ほとんどのケースでは、金融の中心地とは、経済的・政治的な〈中心都市*3〉である。危機は、まず〈中心都市〉の通貨・財政・金融機関が脆弱化することからスタートする。そして、適切な措置が打ち出されれば〈中心都市〉は強化されるが、もし解決手段を見出せない場合には〈中心都市〉は他の都市へ移動することになる。


  ジェノヴァ金融危機 ---- 一六二〇年頃
 例えば、一六二〇年頃に発生した、ジェノヴァ*4金融危機の場合を見てみよう。
 アメリカ産の金や銀の主要マーケットであった〈中心都市〉ジェノヴァは、依存関係にあったスペインの景気が後退したことで、その影響をまともに受けてしまった。自由闊達なオランダ人たちが、新たに開設された大西洋貿易ルートを支配して、アメリカの金銀をアムステルダムに引き寄せたが、ジェノヴァはこれを阻止することができなかった。こうして、資本主義の中心は、地中海のジェノヴァから、大西洋のアムステルダムに移動することになった。
 それまで、ブルージュ(大西洋)、ヴェネチア(地中海)、アントワープ(地中海)、ジェノヴァ(地中海)と、大西洋と地中海の間で〈中心都市〉は移転をくり返してきたが、アムステルダム以降、地中海に〈中心都市〉が戻ってくることはなく、地中海は世界資本主義の主役の座から転落した。地中海に面したスペイン王国・イタリア教皇国・フランス南部などの国々は、〈中心都市〉とのコンタクトさえ永遠に失うことになり、衰退を余儀なくされた。以後、彼らの生活水準は、アムステルダムの住民をはじめ、常に新興勢力の生活水準を下回ることになるのである。


  アムステルダム金融危機 ---- 一六三七年
 次に〈中心都市〉となったアムステルダムでは、まだ自国市場は充分に整備されていなかったが、すぐに金融的な熱狂状態に陥った。一八三六年、富と豪奢の象徴であるチューリップの球根をめぐる投機、すなわち「チューリップ・バブル*5」が最高潮に達する。人々は、市場価格が急上昇するチューリップの球根を争って買い求め、その価格は、優秀な技能をもった職人の年間所得の二〇倍にまで跳ね上がった。
 やがて、価格が常軌を逸しているのではないかと人々が不安を感じはじめ、一六三七年、買い手が付かなくなるという噂が広まり、チューリップ・バブルの崩壊*6が起きる。熱狂はパニックに変わり、価格高騰と同じ勢いで価格が暴落した。
 チューリップ・バブルは、のちにフランス語で「空疎な貿易」(commerce duvent)と呼ばれるようになるが、このバブル経済に終止符を打ち、危機を乗り越えたことによって、ネーデルラント連邦共和国*7の金融市場は強化された。この危機の克服により、ネーデルラントは、自信をもって世界中から資本を引き寄せ、集めた資本を自らの目的のために投資し、貯蓄から生じる利益の大半を吸い上げることができるようになったのである。
 ネーデルラントは、この資本を使って、とくに商業船団を組織し、海軍を強化した。こうしてアムステルダムは、一世紀半にわたって世界に君臨することになるのである。


  ロンドンの金融危機 ---- 一七二〇年/一八四四年/一八九〇年
 一七二〇年、政治面・経済面・金融面でアムステルダムの強力なライバルであったロンドンでは、株価・通貨のバブル崩壊により、「南海会社」ならびに数行の銀行が破綻した(「南海泡沫事件*8」)。これを教訓にして、イギリス政府は「シティー*9」を整備し、イギリスがネーデルラント連邦共和国から権力を奪い取る土壌を作り出した。
 一七八〇年には、優秀な金融マンの後を追うように、オランダの海運業者は、オランダから抜け出し、ヨーロッパで最も将来が確実で活気溢れる都市であるロンドンへと移住していった。イギリスの優位は決定的なものとなった。その八年後に、オランダの主要な銀行は破綻し、資本主義の〈中心都市〉は、テムズ川のほとり*10に拠点を構えるために、躊躇することなく北海を越えて移動した。ロンドンでは、民主主義と市場が歩調をあわせて進化することになった。
 一八四四年、新たに発生した金融危機に対処するため、イングランド銀行中央銀行化され、紙幣発行の独占権が与えられ、自国通貨の平価を固定するために金本位制が導入された。これによって、シティーは金融市場としての基盤を固めた。
 一八九〇年ごろ、外見上は栄華を誇っていた大英帝国だが、自国植民地の防衛費のために積みあがった借金に疲弊していた。とくに、英国によるインド統治は、予想を裏切る、まったくの浪費であった。こうして、半世紀前に多くの銀行が破綻したように、この時もほとんどの銀行が破綻した。だが、ロンドンはこの危機を乗り越えることができなかった。
 こうして、二〇世紀に入る少し前に、世界経済の八番目となる〈中心都市〉はボストンへ、そして金融の中心は「ウォール街」へと移転した。


  アメリカの金融危機 ---- 一九〇七年
 アメリカの〈中心都市〉も、アムステルダムやロンドンがそうであったように、金融危機の発生によって鍛えられた。一九〇七年、株価が暴落し、二〇世紀最初の金融危機が勃発する。これを教訓として、ワシントンに「連邦準備制度*11」(FRS)が設けられ、国際貿易では、ドルが次第にポンドに取って代わるようになる。
 この時点で、国際金融市場の様相がまたしても変化した。第一次世界大戦が近づくにつれ、J・P・モルガン、ロックフェラー、チェース、シティ、リーマン・ブラザーズモルガン・スタンレーといった、一九世紀に設立された銀行の大半は、大規模に預金を集めて証券に投資する機関となった。戦時公債からはじまり、しだいに株券や債券を扱うようになった。企業は、資本市場から資金調達を行なうようになり、少しずつ株式市場の動向によって企業戦略を練るようになった。金鉱脈や油田に関する新たな情報など、利益をもたらす情報を事前に握った〈インサイダー〉たちは、他人の貯蓄を利用して莫大な資産を築き上げていっ
たのである。


3……アメリカでの大恐慌 ---- 一九二九年


 第一次世界大戦の直前、ヘンリー・フォードによってはじめられたテーラー・システム*12が普及すると、この戦争によってアメリカの機械生産の産業化か加速する。労働者の賃金は上昇した。持ち株会社や信託業務など、新たな投資手段が、何ら規制を受けることなく数多く登場した。預金業務と投資業務を同時に行なっていたアメリカの銀行は、イギリスの銀行に取って代わりはしめた。アメリカの銀行は、住宅や証券を購入するための資金を借り入れようとする、国内ならびに世界中の人々に融資した。アメリカの資本主義は、最貧層、とくに黒人やアメリカ東部地域の白人を除き、絶頂期に向かったかに見えたのである。
 ところが、まさにこの時期に、現在の危機が起こる前までは史上最悪であった危機が、アメリカに訪れる。現在起こっている危機を分析するためには、この危機は教訓に満ちている。


  不動産バブルから、株式バブルヘ
 一九一九年ごろから、さらに金持ちになろうと夢中であったアメリカ人たちは、


金融危機後の世界

金融危機後の世界


[日本語版序文]
日本経済は"危機"から脱出できるのか?
 ----「失われた一〇年」から「世界金融危機」へ、そして……


世界金融危機」と過去の二つの"危機"
バブルから危機ヘ----日本のバブル経済と米国の金融バブル
日米の危機対策の類似性
日本経済の回復----輸出依存・円安依存・高付加価値化
日米の危機の差異----米国が日本から学んだこと
日本は、危機から脱出できるか?
金融危機後の日本

[序文]
金融危機後、世界はどうなるのか?
 ----安易な楽観論では「21世紀の歴史」を見通すことはできない


なぜ世界は、こんな事態に至ってしまったのか?
世界は、大恐慌へと突入するのか?
資本主義の試練としての金融危機
金融危機の経緯と背景
バブルから、パニックヘ----金融危機の勃発
そして、民間機関の債務が、政府(納税者)の債務に
しかし、何も解決されていない----オバマ大統領、ガイトナー米財務長官、そしてG20
21世紀の大惨事は避けられるか?
危機から脱出するために必要な措置


第1章 資本主義の歴史は、金融危機の歴史である----いかに世界は危機を乗り越えてきたのか?



1……史上初のグローバル金融危機
2……歴史的な〈中心都市〉での金融危機

〈中心都市〉と金融危機
ジェノヴァ金融危機 ---- 一六二〇年頃
アムステルダム金融危機 ---- 一六三七年
ロンドンの金融危機 ---- 一七二〇年/一八四四年/一八九〇年頃
アメリカの金融危機 ---- 一九〇七年

3……アメリカでの大恐慌 ---- 一九二九年

不動産バブルから、株式バブルヘ
暗黒の木曜日
世界恐慌への対策

4……戦後経済体制の矛盾の根源

戦後体制への秘密裏の交渉
ケインズとホワイトの対立
ブレトン・ウッズ会議 ---- ドル・ヘゲモニーの確立
ブレトン・ウッズのジレンマ

5……ドル体制の危機とアメリカ経済の復活

ブレトン・ウッズ体制の崩壊とドルの危機
IT革命 ----〈中心都市〉は、東京ではなくカリフォルニアへ

6……グローバル経済の進展と危機の予兆

危機とともに進展したグローバル経済
法整備をともなわない市場のグローバル化
進む規制の解体
アジア通貨危機、「チャイメリカ」、日本のバブル崩壊
ITバブル崩壊から、サブプライム・ローンヘ
金融危機の予見者


第2章 史上初の世界金融危機は、こうして勃発した



1……今回の金融危機は、どのような試練なのか?
2……所得格差と需要の減少
3……借金による需要創出

なぜアメリカ人は借金漬けになったのか?
住宅ローン
企業買収(M&A

4……金利レバレッジ効果資産効果
5……資金争奪戦 ---- 証券化デリバティブ

6……資本調達が困難になり、モノラインCDSが登場した

躊躇する一般投資家への対策として
クレジット・デフォルト・スワップCDS
モノライン

7……格付け機関の実態
8……破裂寸前のグローバル化した債務
9……危機を予測した人たち
10……なぜ多くの人々が、危機感を抱かなかったのか?

「ポジティブ・アティチュード」「ポジティブ・シンキング」というイデオロギー
コカイン資本主義

11……バブルからパニックヘ ---- サブプライム市場の急変
12……金融破綻までのカウントダウン ---- ドキュメント:サブプライム危機/リーマンショック
13……2007年

2月        6月        7月
8月        8月10日(金曜日) 9月13日(木曜日)
9月14日(金曜日) 10月1日(月曜日) 10月8日(月曜日)
12月

14……2008年

1月        1月22日(火曜日) 2月7日(木曜日)
3月4日(火曜日) 3月11日(火曜日) 3月14日(金曜日)
3月16日(日曜日) 3月24日(月曜日) 4月
5月        6月30日(月曜日) 7月7日(月曜日)〜9日(水曜日)
7月15日(火曜日) 8月        9月6日(土曜日)
9月7日(日曜日) 9月12日(金曜日)〜14日(日曜日)
9月15日(月曜日) 9月16日(火曜日) 9月25日(木曜日)


第3章 資本主義が消滅しそうになった日 ---- ドキュメント:世界金融危機



1……2008年

9月末ごろ     9月26日(金曜日) 9月29日(月曜日)
9月30日(火曜日) 10月3日(金曜日) 10月4日(土曜日)
10月6日(月曜日) 10月7日(火曜日) 10月8日(水曜日)
10月9日(木曜日) 10月11日(土曜日) 10月18日(土曜日)
10月21日(火曜日) 10月22日(水曜日) 10月23日(木曜日)
10月24日(金曜日) 10月26日(日曜日) 10月27日(月曜日)
10月30日(木曜日) 11月4日(火曜日) 11月9日(日曜日)
11月10日(月曜日) 11月12日(水曜日) 11月14日(金曜日)
11月15日(土曜日) 11月18日(火曜日) 11月20日(木曜日)
11月21日(金曜日) 11月24日(月曜日) 11月26日(水曜日)
11月28日(金曜日) 12月1日(月曜日) 12月4日(木曜日)
12月11日(木曜日) 12月12日(金曜日) 12月13日(土曜日)
12月15日(月曜日) 12月17日(水曜日) 12月20日(土曜日)
12月30日(火曜日)

2……2009年

1月2日(金曜日) 1月12日(月曜日) 1月拓日(金曜日)
1月20日(火曜日) 1月22日(木曜日) 1月23日(金曜日)
1月26日(月曜日) 2月9日(月曜日) 2月10日(火曜日)
2月13日(金曜日) 2月22日(月曜日) 2月27日(金曜日)
3月3日(火曜日) 3月10日(火曜日) 3月14日(土曜日)
3月15日(日曜日) 3月22日(日曜日) 4月2日(木曜日)
4月9日(木曜日) 4月12日(月曜日) 4月15日(水曜日)
4月18日(土曜日) 4月24日(金曜日)

3……金融危機からの奇跡的な脱出?

ガイトナー計画」と「会計制度の変更」
ガイトナー・バブル」を超えて


第4章 金融危機後の世界 ---- 世界は大恐慌へ突入するのか?



1……今後、想定される最悪のシナリオ

危機は去ったのか?
われわれを待ち受けている危機のタイプは?
最悪のシナリオ

2……金融システムの新たな問題点

さらなる危機を迎える銀行
銀行以外の金融機関
保険会社の国有化

3……景気停滞
4……不況
5……インフレ
6……アメリカの破綻と「チャイメリカ」の行方
7……為替危機
8……民主主義の危機


第5章 なぜ金融危機は起こったのか? ---- 市場と民主主義の蜜月の終焉



1……危機の根源にあるもの

危機の根源はシステムにある
社会的不平等の拡大と金融商品の開発
金融機関による情報と利潤の独占
金融危機の二つのケース

2……市場と民主主義、そして〈インサイダー〉

市場と民主主義のコンビが資本主義を発展させてきた
市場を支配する〈インサイダー〉

3……〈インサイダー〉の特権と不誠実さ
4……グローバル化する市場/グローバル化しない法整備
5……金融資本主義の勝利
6……金融危機の勃発
7……解決策 ---- 法整備によって市場のバランスを取り戻す


第6章 金融資本主義への処方箋 ---- 緊急プログラム



1……われわれは何をなすべきか?

金融資本主義を法の枠組みに囲い込むために
"最終警告"としての金融危機

2……各国経済における秩序の立て直しのための緊急プログラム
3……ヨーロッパ内の規制強化のための緊急プログラム

金融危機とユーロ
EUは何をすべきか?

4……国際金融システムに規制を施すための緊急プログラム
5……世界統治システムの構築
6……地球規模の大型公共事業
7……比較的迅速に取り組むことが可能な五つの事項


第7章 "21世紀の歴史"と金融危機



1……新たな世界の構築に向けて
2……次に世界を襲う新タイプの金融危機
3……複雑化したグローバルーシステムの未来

経済危機を超える地球規模の危機
忘却されがちな、四つのシンプルな真理
"金融危機後の世界"を考えるための基本用語
訳者あとがき……林昌宏

*1:「21世紀の歴史」 本書の著者ジャック・アタリに同名の著書がある。26頁の注を参照。

*2:ブルージュ 現在のベルギーの都市。アタリは、歴史上初の世界経済の〈中心都市〉であるとし、初めて資本主義の秩序がブルージュで形成されたと述べている(『21世紀の歴史』参照)。

*3:〈中心都市〉 資本主義の世界的な中核となる都市。アタリにおいては、資本主義の歴史を読み解くキイとなる概念である。「企業や家系が、超長期的に資本蓄積を行なうことはできないため、都市が資本蓄積を行なうのであり、この〈中心都市〉こそが、世界の資本主義の中核となり、これを組織していくのである」(『21世紀の歴史』)。 〈中心都市〉には頭脳やマネーが集積し、経済危機や戦争によって他の都市へと移る。歴史上、九つの〈中心都市〉が存在し、東から西へと移動してきている(45・47頁の図表を参照)。1、ブルージュ(現ベルギー)2、ヴェネチア(現イタリア)3、アントワープ(現ベルギー)4、ジェノヴァ(現イタリア)5、アムステルダム(現オランダ)6、ロンドン7、ボストン8、ニューヨーク9、ロサンジェルス

*4:ジェノヴァ 四番めの〈中心都市〉となった現イタリアの都市。ジェノヴァの商人たちは、類まれな会計簿記の知識を持っており、これによって商業ネットワーク全体で力を発揮するようになる。そしてジェノバは、スペインの支配下にあった一六世紀初頭から頭角を現わし、一五六〇年ごろにはヨーロッパ最大の金融市場、すなわち、この時代の資本主義下の〈中心都市〉となった。ジェノヴァの銀行家たちは金の市場を支配し、すべての通貨の為替相場を決定し、スベイン・フランス・イタリア・ドイツ・ポーランドの王族の事業に資金を貸し付けていた(『21世紀の歴史』参照)。

*5:38頁の注を参照。

*6:一六三七年二月三日、春の球根受け渡し時期が近づくと、不安が増大し、球根価格が一気に暴落。ネーデルラントの諸都市は、混乱に陥った。しかし、少数の破産者を出したものの、ネーデルラント経済には悪影響を残さなかった。球根の取引は、教訓として語り継がれ、二度と同じようなバブルは発生しなかった。

*7:現在のオランダ王国の当時の名称。

*8:原語は「South Sea Bubble」。バブル経済の語源になった事件。一七一一年、イギリス政府は、財政危機を救うため「南海会社(South Sea Company)」を設立し、南米および南太平洋の貿易の独占権を与えた。一七九九年、同社から株式が発行されると株価が高騰し、他の銀行株も押されて、空前の投資ブームが発生した。しかし、一七二〇年に入り、政府が規制に乗り出すと、一気に暴落。多くの破産者・自殺者が生み出された。かのニュートンヘンデルも株に手を出し、大きな打撃を受けている。ニュートンは「天体の動きは計算可能だが、人間の狂気は計算できない」と述べたという。

*9:「シティー・オブ・ロンドン」(City of London)の略称。ロンドンの起源となる地域だが、イングランド銀行をはじめ、大銀行・保険会社・株式取引所などが密集する金融の中心となっており、"ロンドン金融市場"のことを指して使われることが多い。なお同名の銀行が存在するが、銀行は「シティ」と表記した。

*10:ロンドンのこと。

*11:巻末の「基本用語」を参照。

*12:ベルトコンベアを使った、流れ作業による組み立てシステムのこと。フォード社の創業者ヘンリーは、これによる自動車の大量生産システムの実現によって、自動車(T型モデル)の価格の低下、そして労働者への高賃金を実現した。これが、大量生産・大量消費型の資本主義の発展を実現する基盤となった。「フォーディズム」(フォード式生産方式)とも呼ばれる。