墓標なき草原 - 楊海英

第14回司馬遼太郎賞受賞作。著者は静岡大学教授の楊海英氏(内モンゴル出身)。本書は文化大革命時に内モンゴルであった迫害の実態をあぶり出す民族誌

 何故、中国にもモンゴル人がいるのだろうか。今、モンゴルといえば、朝青龍白鵬という二人の横綱の出身国であるモンゴル国を指す、と大方の日本人たちはそう理解しているだろう。実は、中国にもモンゴル人が居住する広大な地域がある。内モンゴル自治区と呼ばれ、日本の約三倍の面積を有しているところだ。正確にいえば、モンゴル人が歴史的にずっと住んでいた地域の一部が、中国人たちに占領され、中国の領土に組み込まれたために、「内モンゴル自治区」という存在が誕生したのである。本来ならば、この「内モンゴル自治区」という地域も、そこの住民のモンゴル人たちもすべてモンゴル国の一部でなければならなかった。本書はまず、モンゴル人の土地(ホームランド)がどうして中国人の領土とされ、モンゴル人の一部が不本意にも「中国籍モンゴル族」とされたのかを説明している。現在、「中国籍モンゴル人」の人口は約五〇〇万人で、自治区の人口の一〇パーセントを占める。人口構成から見ると、モンゴル人は自らの故郷においてマイノリティに転落した人々である。

はじめに

「白玉蘭という美しいモンゴル人女性がいました。その夫の名はジャラングルバ(中国名は楊文華)で、ジュンガル旗出身で、ハンギン育ちでした。夫婦ともに『内モンゴル人民革命党員』として、逮捕されていました。一九六九年五月末、白玉蘭は『自殺』した、と夫に知らせが入りました。夫と親戚の者たちが見に行くと、陰部に棒が挿しこまれ、屎尿も出ていました。下半身に精子が残っていました。漢人たちに輪姦されたあとに、殺されたのです。残された二歳になる娘もやがて死んでしまったそうです」
自治区の首府フフホト市に近いトゥメト地域の将軍窯子(ジャンチュン・ヨース)に綺麗なモンゴル人の娘がいました。ある漢人共産党幹部が彼女と結婚したかったらしいのですが、彼女はそれを断ってモンゴル人と結婚しました。文化大革命中に、漢人たちはガラスの破片を張り詰めた土塀の上に彼女の夫を乗せて、その生殖器を破壊しました。さらに、彼女を捕まえて裸にし、ざらざらした太い牛の毛で編んだ縄を跨がせて、両側から鋸を引き合うようにして下半身を破壊したそうです」
 私の母は、自分と同じような女性たちの悲惨な運命を一生懸命に伝えようとしている。
「モンゴル人の命は何の価値もありませんでした。虫けらのように簡単に消されていました。」

序 章

「一九四七年五月一日に内モンゴル自治政府が成立して以来、モンゴル人たちはずっと中国人たちに虐待されてきました。内モンゴル人民革命党員たちを粛清する運動も『やや拡大してしまった』と毛澤東は軽く話していますが、『間違った』と謝罪はしていません。あれだけ何万人ものモンゴル人が殺されても、謝罪していません。文化大革命以来、我がモンゴル族はエリート層を完全に失ってしまったので、今や最低限の自治権利すら確保できなくなりました。国際的にも、中国の民族問題といえば、チベット侵略やウイグル人弾圧だけは広く知られていますが、モンゴル人大量虐殺は隠蔽されたままです。虐殺について陳謝しないことと、虐殺そのものを隠し続ける行為は、中国人による抑圧が続いていることの現れです」

第4章

 ここに『大漠忠魂』という本がある。(中略)本のなかにこんな文章がある(劉玉祥 2002, 2, 8)


奇治民同志は早くから革命運動に参加し、(国民党の)敵に追撃され、殺されそうになったこともある。(解放後は)劣悪な環境のなかで、模範的に働いた。まさに共産党員としての優秀さを一身に備えた人物だ。過去にも現在にも人々を励ましつづける彼の精神を発揮すれば、我が共産党は永遠に無敵である。


(中略)


 奇治民はモンゴル名をアムルリングイという。文化大革命を経験したことのある内モンゴル自治区オルドス地域のモンゴル人なら、アムルリングイという名を知らない者はいない。また、良識的な漢人たちも彼の中国名、奇治民を記憶している。
 現実の奇治民ことアムルリングイは共産主義者として中国共産党を信じて革命運動に身を投じたが、文化大革命中に筆舌に尽くせない残忍な方法で殺害された。右のような華麗な文言も殺害されてから三三年の歳月が経ってから、ようやく中国政府が認めた評価である。いざ不要となれば、さまざまな罪を冠されて非道な方法で殺害する。しばらくしてからまた「平反(ピンファン)」(名誉回復)する。これこそ、「偉大で、光栄で、常に正しい中国共産党」が建党以来にずっと繰り返してきた歴史である。アムルリングイもそのような悲惨な歴史に真正面から巻き込まれたモンゴル人の一人である。
第9章

共産党の偉業を褒めるのに、「赤い柱(ウラーンバガナ)」という名前自体に特別な意味がこめられていた。この時代「赤(ウラーン)」ほどポピュラーな名前はほかになかった。例を挙げてみよう。自治区の最高責任者の名は「赤い息子(ウラーンフー)」で、民族自決運動の発祥の地も日本統治時代の王爺府から「ウラーンホト」、つまり「紅い都」に変えられていた。そして、憧れの同胞たちの国、モンゴル人民共和国の首都は「赤い英雄(ウランバートル)」だ。

終 章

類書には、本書でも紹介されている『毛沢東の文革大虐殺―封印された現代中国の闇を検証』(宋永毅)がある。

墓標なき草原(上) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録

墓標なき草原(上) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録

人物紹介・重要歴史事項・地図
はじめに―内モンゴル文化大革命に至る道

一 モンゴル人が担う日本の現代史
二 本書の構成
三 自発的な処刑人の形成
四 コミンテルンの寵児たち
五 「日本刀をぶら下げた」モンゴル族知識人たちの夢
六 ゆりかごのなかで絞め殺された民族の自決
七 「奴隷」に対する「奴隷主」からの制裁
八 内モンゴルから始まった中国の文化大革命
九 「奴隷」としての罪
一〇 民族自決の歴史に対する再清算
一一 文化大革命内モンゴルから始めた狙い
一二 漢人高官からなる秘密の情報ライン
一三 権力の掌握と虐殺の環境づくり
序章 「社会主義中国は貧しい人々の味方」
中国共産党を信じた牧畜民バイワル

一 小さな、白い遺骨箱
二 遺体が通る道
三 「北上抗日」してきたアヘン売人
四 鍋を壊す不吉な「赤い漢人
五 楡と漢人雇い人
六 不釣合いの結婚?
七 一家四人、異なる「階級的身分」
八 殺害に等しい侮辱
九 「生まれ変わったら、貧乏人がいい」
一〇 「悪い人間から悪い子しか生まれない」
一一 母が受けた侮辱
一二 殺戮を主導した漢人
一三 「モンゴル人の命は価値がなかった」
一四 加害者の悲哀
第 I 部 「日本刀をぶら下げた連中」
第1章 日本から学んだモンゴル人の共産主義思想
―一高生トブシン,毛澤東の百花斉放に散る

一 「日本刀をぶら下げた」エリートたち
二 一高のモンゴル人
三 復活した内モンゴル人民革命党
四 内外モンゴル統一の挫折
五 骨抜きにされた「高度の自治
六 近代化の先陣を走った少女
七 土地改革で分断された社会
八 「偉大な領袖」が仕掛けた「陽謀」
九 流刑生活
一〇 右派の妻として夫唱婦随する
一一 陰謀の連続――「二〇六事件」
一二 漢人知識人の暗躍
一三 文化大革命の残虐
一四 「戦略的疎開
一五 「政治姿勢」という暴力
第2章 「亡国の輩になりたくなかった」
満洲建国大学のトグスの夢

一 トグスの「罪悪に満ちた歴史」
二 モンゴルを復興させよう
三 亡国の輩になりたくない
四 自分たちを犠牲にする決意
五 漢人眼中の内モンゴル人民革命党
六 「民主的」な籤引き
七 「進歩的な青年」トグス
八 消された男――マニバダラー
九 青年学生の「祖国を裏切った行為」
一〇 「反ウラーンフー」のために選ばれたトグス
一一 陰謀の渦巻きのなかで
一二 造反派眼中のトグス
一三 重犯としての歳月
一四 「自ら人民に縁を断とうとした」夫人
一五 なぜ、漢族と団結しなければならないのか
第3章 「モンゴル族は中国の奴隷にすぎない」
―「内モンゴルシンドラー」,ジュテークチ

一 満州族が育てた「シンドラー
二 医術だけが利用された「対日協力者」
三 「法網から漏れた右派」
四 入党記念日に入った牛小屋
五 殺す権利と転院の権利
六 「モンゴル人医者の陰謀」
七 闘士と奴隷
第II部 ジュニアたちの造反
第4章 「動物園の烽火」
―師範学院のモンゴル人造反派ハラフ

一 「日本の記憶」と金丹道の本質
二 日本の退潮
三 解放者ロシア兵の振る舞い
四 土地改革の残虐
五 漢族から見れば、「師範学院は動物園」
六 「愛国華僑の女性」と「統一党」
七 内モンゴルの造反派たちと複雑な「歴史問題」
八 「韓桐事件」とモンゴル人への憎しみ
九 「亡くなった人たちを歴史として覚えよう」
一〇 「内モンゴルに民族問題がない」わけ
第5章 陰謀の集大成としての文化大革命
―師範大学名誉教授リンセの経験

一 「モンゴル人は中国のハンガリー人」、内モンゴルに投影された国際情勢
二 国内民族問題の波及
三 陰謀の渦巻き
四 文化大革命的政治手法は一九六四年から
五 北京と連動する内モンゴル
六 師範学院は「典に通ずる」
七 内モンゴルの造反派たち
八 「ウラーンフーは中華民族の裏切り者だ」
九 造反派の分裂と殺戮の都市
胎児の「事前処理」
中国人による性的犯罪
母国語の使用禁止
一〇 今のモンゴル人たちは何をすべきか
第6章 漢人農民が完成させた「光栄な殺戮」
―草原の造反派フレルバートル

一 五千年の文明の地に住む「野蛮人」
二 「丑年の乱」で定着した漢人
三 漢人アウトロー共産党のアヘン売買
四 リボンごとに異なる階級
五 一九四〇年代から始まった殺戮
六 民族間の対立
七 漢人農民が完成させた「光栄な殺戮」
八 文化的な侮辱
九 故郷が他人の国土にされた民族の悲劇
墓標なき草原(下) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録

墓標なき草原(下) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録

第III部 根元から紅い「延安派」
第7章 「モンゴル人を殺して,モンゴル族の人心を得る」
―延安派に嫁いだオルドス・モンゴル人女性,奇琳花

一 夕陽に輝く王女
二 「砂漠からの虹」を支えた名門
三 「急進派」兄妹
四 雲需府(ユンシプ)の共産主義者
五 共産党の武器としてのアヘン
六 不利な条件下の「義挙」
七 粗野な共産党員たちの卑劣な行為
八 台湾行きのチケット
九 「国民党の女スパイ」と踊った「民主人士」
一〇 「モンゴル人を殺して、モンゴル族の人心を得る」
一一 愛と共産主義のあいだ
一二 「延安派」としての浮沈
一三 幸運の監禁
一四 「ウラーンフーの息子の妻」として
一五 亡き兄の魂の復活
一六 脱臼と豚の餌
一七 少数民族は法治の対象外
第8章 「モンゴル人虐殺は正しかった」
―所詮は「地方民族主義」にすぎぬ延安派オーノス

一 モンゴル人が見た陝西省北部の革命根拠地
二 延安でズボンを脱がされた少数民族
三 「延安派」と「日本刀をぶら下げた連中」
四 青島会議で牙を向く周恩来
五 「荊州を借りる作戦」を支持した深謀遠慮
六 陰謀のミキサー
七 更迭された「日本刀をぶら下げた連中」
八 「延安派」のために用意した陥穽
九 演じられた「犬同士の喧嘩」
一〇 拷問で開けられた「突破口」
一一 期待された「民族分裂主義者のクーデター」
一二 修羅場と化した内モンゴル
一三 強制収容所の「唐山毛澤東思想学習班」
一四 「モンゴル人虐殺は正しかった」
一五 モンゴルへ逃亡した林彪連座する
一六 阻まれた大虐殺の清算
第9章 「モンゴル人がいくら死んでも,埋める場所はある」
―大沙漠に散った延安派幹部アムルリングイ

一 漢人だけが書ける過去
二 「共産党員は人民の救いの星だ」
三 「共産党がなければ、新しい中国もない」
四 侵略者が「人民」になる
五 漢族人民の救世主
六 旱魃退治で「酷使」された漢人幹部たち
七 「抵抗感情」が見え隠れする書記
八 「延安派」と「日本刀をぶら下げた者」のあいだ
九 流氓無産階級(ゴロツキプロレタリアート)の嫉妬
一〇 殺す側の漢人
一一 「罪」は民族の歴史と個人の仕事から発見される
一二 漢人共産党員たちの組織的な暴力
一三 「モンゴル人がいくら死んでも埋める場所はある」
一四 「中国共産党は決して彼を忘れない」
第IV部 トゥク悲史―小さな人民公社での大量虐殺
第10章 「文明人」が作った巨大な処刑場
―トゥク人民公社の元書記ハスビリクトの経験

一 謎に包まれた虐殺
二 文化的、知的レベルの高いトゥク地域
三 「衛星を放った」詩人幹部
四 胎児も民族分裂主義者
五 周到に狙われたトゥク地域
六 共産党の眼中の「異端」
七 人民解放軍を待つ「弱った仔ヒツジ」
八 京字・三五五部隊の登場
九 人類に対する人民解放軍の犯罪
一〇 セムチュク一家の受難
一一 鼠よりも軽いモンゴル人の命
一二 「モンゴル人は死ねば死ぬほどいい」
一三 七歳の民族分裂主義者たち
一四 「偉大な領袖」の軍隊がもたらしたファシズム
一五 巨大なキリング・フィールド、そしても今も続く圧制
第11章 「中国ではモンゴル人の命ほど軽いものはない」
―家族全員を失ったチムスレン

一 殺戮の被害者の象徴
二 漢人たちにとっての造反の意味
三 「漢族人民の重版」
四 少女にとっての「死」
五 悲しみに重なる漢族からの侮辱
六 「日本刀をぶら下げたモンゴル人」の養女
七 革命委員会の見識にもとづく検屍結果
八 「公のため」の殺害
第12章 「モンゴル人が死ねば,食料の節約になる」
―革命委員会主任エルデニの回想

一 創造された社会主義の模範
二 反モンゴルで固まった漢人造反派
三 漢人主導の「紅色風暴」
四 恩を仇で返す「偉大な漢族人民」
五 人民解放軍の陽動作戦
六 狙われた「蛇の心臓」
七 「モンゴル人が死ねば、食糧の節約になる」
八 人民解放軍の撤退
九 「内モンゴル人民革命党員を粛清する運動は正しい」
終章 スケープゴートもモンゴル人でなければならない
―息子が語る「抗日作家」のウラーンバガナ

一 真の殺人犯を逃すための「正義の裁判」
二 「偽物の証拠」を裁く
三 「慈愛なる母親のような共産党と毛澤東」
四 政治への失望からの創作
五 「偽満州国」の経験を切売りする
六 草原にそそり立つ「赤い柱(ウラーンバガナ)」
七 漢人と抱擁した『紅い路』
八 「古い路」を歩む者への制裁
九 政府公安庁の極秘資料の登場
一〇 選ばれた生贄たち
一一 奴隷の奴隷根性
視座 ジェノサイドとしての中国文化大革命

一 「蒙古は支那の一部ではない」
二 分けて統治されるモンゴル人
三 虐殺の土壌は「文明人」による「解放」
四 文化大革命的な統治法が続く中国
五 中国の現状が織り成す「文化大革命後史」
六 示唆に重ねるしか方法がない
七 文化大革命内モンゴルから去らぬ
八 「犬」と造反派の裁き
九 中国の負の遺産に目をつぶる日本
一〇 欧米に立脚した諸研究
一一 氷山の一角と虐殺再来の危険性
おわりに―オリンピック・イヤーの「中国文化大革命

一 紅衛兵と「憤青(フンチン)」の中国、日本へ革命を輸出す
二 「漢姦」と「愛国主義」、そして民族問題
三 民族問題は国際問題である