午前零時のフーガ - レジナルド・ヒル

レジナルド・ヒルを読んでいたら、Edwin Muir の詩 The Child Dying が引用されていた。原文と松下祥子氏の訳を並べてみる。

Unfriendly friendly universe,
I pack your stars into my purse,
And bid you so farewell.

不親切で親切な宇宙よ、
ぼくはおまえの星々を財布に詰め、
おまえに別れを、別れを告げる


以下、参考までに『午前零時のフーガ』内の言及箇所を掲載する。

 Aレベル(高校卒業程度の全国共通資格試験)受験の練習問題だった。〝次の二つの詩を比較対照しなさい〟。一つはミルトンの「いとけない幼子の死」、もう一つはエドウィン・ミュアの「瀕死の子供」だ。
 彼女はミルトンの詩の古典的堅苦しさをさんざん嘲笑しておもしろがった。
 この詩はまず児童虐待から始まる、と彼女は書いた。冬の神がいとけない幼子を冷たい腕で抱きしめ、女の子は咳の出る病気にかかって死ぬ。そして締めくくりに母親を慰めようとする試みは、あまりにも冴えない、ほとんど喜劇的だ。


 〝あなたが神様にどんなすばらしい贈り物をしたか
 考えなさい〟


 こんな言葉に慰められる母観なら、子供がたった一人で、三つ子でなかったことをやや残念に思ったに違いない、と彼女は書いた。
 棺と結婚祝いの贈り物の箱がごっちゃになるというのは、この嘲笑のつけが今ごろまわってきたのかもしれなかった。
 もう一つの詩は、死を子供の目でとらえたもので、彼女はとても気に入った。実際、このスコットランド人ミュアは彼女のお気に入りの詩人の一人になったのだが、「瀕死の子供」に触発されて彼を好きになったというのは、今では奇妙な凶兆だったように思えた。
 当時、詩の冒頭部分は――〝不親切で親切な宇宙よ、ぼくはおまえの星々を財布に詰め、おまえに別れを、別れを告げる〟――その子供らしさが心を打つと同時に、宇宙的な共鳴があると思えた。だが、今の彼女にはわかる。あのころは詩の力というより、詩人の技術に感心していたのだ。
 当時、彼女はこの共鳴を外から見てすばらしいと思っていた。今、それは彼女の存在の内にあった。


 〝死がこんなに不思議なものとは知らなかった〟


 今の彼女は知っていた。
 そして、〝いとけない幼子〟の母親、ミルトンの姉も、知っていたはずだと彼女は確信した。〝絶望の向こう側から吹いてくる〟あの冷たい風を感じたはずだ。
 しかし、母親は〝激しい悲しみを抑えることを賢く学ぶ〟ことができたのだろうか? 弟の詩から暖かさを引き出し、その定型を身にまとって風を防ぐことができた? かっちり韻を踏んだ言葉を支えにすることができた?


午前零時のフーガ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

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