破壊する創造者 - フランク・ライアン

 ジェイコブ・ブロノフスキーは名著『人間の進歩』の冒頭で、「人間は非常に特異な生物である。人間には、生来、他の生物とは決定的に違った特徴がいくつもある」と書いている。性に関する言及など、この本には今から見れば時代遅れと思われるところもあるが、それでも、「人間は他の生物とは違う」という言葉を直感的に「正しい」と思う人は多いだろう。確かに人間は際だった特徴を持った生物である。まず、人間には、自分の存在を認識できる、という特徴がある。「自分が存在する」ということを、何も考えなくても、自然に実感できるのだ。人間は、自然界に存在する他の全ての生物の上に君臨していて、今や、自然界を自分の思い通りに操ったり、作り替えたりすることもできる。すべては「知性」という素晴らしい能力のおかげである。しかし、果たして本当に人間はそれほど変わった生物だろうか。知性があるというだけのことで他の生物と切り離して考えてよいものだろうか。私たちも、進化上の起源は他の生物たちと同じである。だとすればやはり共通する部分も多いのではないだろうか。
 国際ヒトゲノム配列決定コンソーシアム(IHGSC)と、民間企業セレラ社は、競争でヒトゲノムの解読を進め、二〇〇一年二月一二日、全ゲノムの一通りの解読を終えたことを同時に発表した。ヒトゲノムが解読されれば、それによって、人間がいかに他の生物と違っているかが明確になるはずだった。歴史上初めて、人間の四六本の染色体がどのような遺伝子から構成されているか、それが明らかになったのだ。残念ながら、他の生物にはない人間だけの特徴、というのはさほど多くはなかった。そして他にも意外な発見がいくつもあった。
 まず驚きだったのは、ヒトゲノムの「サイズの小ささ」である。ヒトゲノムに存在する遺伝子の数は、約二万個にすぎない。人間という生物の複雑さからして、一〇万個かそれ以上はあるだろうと予想されていたのだが、その予想をはるかに下回った。他の生物と比べても、この数は、細菌のわずか一〇倍ほどにすぎず、ショウジョウバエや線虫ともさほど変わらないのだ。少なくとも、ゲノムに保持される情報量だけから見れば、そういう「下等な」生物に比べて人間が際立って複雑ということはない。ただし、遺伝子からタンパク質を合成する仕組み、という点で比べれば、人間はショウジョウバエや線虫よりはるかに複雑である。これは、同じ数の遺伝子から作ることのできるタンパク質の種類が多いということだ。さらに、ヒトゲノムの解読によりわかったのは、私たち人間の遺伝子は、多くの部分が地球上の他の無数の生物と共通しているということである。たとえば、人間の遺伝子のうち、二七五八個がショウジョウバエと共通で、二〇三一個が線虫と共通している。そして、人間、ショウジョウバエ、線虫のすべてに共通する遺伝子も、一五二三個ある。
 こういうことを書くと、読者の中には自分が貶められたように感じる人もいるだろう。しかし、ダーウィンがこれを知ったらきっと喜んだだろうと思う。これだけの一致が偶然に起きることはまずあり得ないからだ。そのことにダーウィンならすぐに気づくはずである。犯罪捜査では、ほんのわずかな数の遺伝子が一致するかどうかで、犯人を見分けている。それが可能なのは、遺伝子が偶然一致するということがまずあり得ないからだ。わずかな数の遺伝子ですらそうなのだから、一五二三個の遺

破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた

破壊する創造者―ウイルスがヒトを進化させた

用語解説
はじめに──変化の風
第一章 ウイルスは敵か味方か
第二章 ダーウィンと進化の総合説
第三章 遺伝子のクモの巣
第四章 AIDSは敵か味方か
第五章 ヒトゲノムのパラドックス
第六章 ウイルスが私たちを人間にした
第七章 医学への応用
第八章 自己免疫疾患
第九章 癌
第十章 新しい進化論
第十一章 セックスと進化の木
第十二章 人間は多倍体か
第十三章 遺伝子を操る魔神
第十四章 新しい手がかり
第十五章 旅の終わりに
訳者あとがき
参考文献

フランク・ライアン
Frank Ryan
英国の進化生物学者、医師。シェフィールド大学で医学を修める。同大動植物学科名誉研究員。英国王立医師会、同医学協会、ロンドン・リンネ協会の会員。著書に、NYタイムズのノンフィクション・ブック・オブ・ザ・イヤーに選ばれた Tuberculosis(The Forgotten Plague)(1992)、『ウイルスX―人類との果てしなき攻防』(1996)、Darwin's Blind Spot(2002)など。


夏目 大(なつめ・だい)
翻訳家、ライター。翻訳学校フェロー・アカデミー講師。訳書に、リンデン『つぎはぎだらけの脳と心』、スタッフォード&ウェッブ『Mind Hacks』、メズリック『Facebook』など多数。著書に『3時間でわかるNGN(次世代ネットワークのすべて)』など。
ブログ:http://dnatsume.cocolog-nifty.com/natsume/