カエサル『ガリア戦記』第1巻 - 遠山一郎

はしがき
 本書は,カエサルガリア戦記』第1巻の原文に訳と注をほどこしたものである。
 この方式を思い立ったのは,筆者が早稲田大学文学部で授業「中級ラテン語」を20年あまり担当した経験からである。その授業の冒頭部分で,毎年必ず“比較的やさしい”原典として,通過儀礼をなす『ガリア戦記』を採り上げてきたが,板書による説明では学生の理解に徹底を欠くうらみがある。そこで原文を左頁に,訳を右頁に,注を両頁脚に配備して詳解することにした。
 テクストは,ラテン語言語学でフランスに留学した筆者の経歴から“フランス学派”の一端を担う者として C.U.F.版(いわゆる Budé 版あるいは Belles Lettres 版)をほぼそのまま採用した。そのさい,表記法は,日本で行なわれているものに合わせてある(ただし,i=i/j)。なお C.U.F.版の表記上の乱脈は整序しておいた。
 訳文は,できるだけ原文の構文を尊重しつつ,直訳を旨とした。このため日本語文としてはぎこちないものとなったが,ひとえに原文の理解に資するためである。[text = texture]
 は,歴史的な事象にかかわる注 ―筆者の任ではない― は極力抑えて,ラテン文法の基礎知識の提示,ならびに,ラテン語言語学さらにはそれによって示唆される一般言語学的な観点からのものを中心としている。
 語彙として収録したものは,個々の場合については本文中で採りあげているので,接頭辞(とくに co(m)-)を中心とした合成語の意味の展開を瞥見する試みとして,羅和小辞典に対する筆者の構想の一端を示すために付した。
 とくにについては,思わぬ誤り・不備が多々あることであろう。大方の叱正を俟つ,ということにしたい。

参考書目
(1)テクスト:
Constans, L.-A. (I:1964;II:1967): César: Guerre des Gaules, <C.U.F.>, Paris (Les Belles Lettres).
Edwards, W.J. (1970): Caesar, the Gallic War, <Loeb>, Cambridge, Mass. (Harvard U.P.) - London (W. Heinemann).
Dorminger. G. (1981): Bellum Gallicum: Der gallische Krieg, <Sammlung Tusculum>, Munchen (Artemis).
Hering, W. (1987): C. IVLIVS CAESAR, vol. 1. BELLVM GALLICVM, Leipzig (Teubner).
(2)注解書:
Constans, L.-A. (1929): César: Guerre des Gaules, Paris (Hachette).
Ewan, C. (11957-1993): Caesar, de bello Gallico I, London (Bristol Classical Press).
Le Mazou, R.-Y. (I: 1965 ; II: 1967): César, Bellum Gallicum, Paris (Bordas).
Greenough, J. B., D'ooge, B. L. & Danieli, M. G. (1898): Caesar's Gallic War, Boston (Ginn and Company).
田中秀央校注(1949):カエサル『ガッリア戦記』, 東京(岩波書店).
(3)日本語訳:
近山金次訳(11949 - 41964):カエサル著『ガリア戦記』, 東京(岩波書店:文庫).
國原吉之助訳(11981 - 21985):ユリウス・カエサルカエサル文集:ガリア戦記・内乱記』, 東京(筑摩書房).
(4)研究書:
Rambaud, M. (21966): L'art de la déformation historique les commentaires de César, Paris (Les Belles Lettres).
Rambaud, M. (31974): César, Coll. ≪Que sais-je?≫no 1049, Paris (P.U.F.).
(5)辞典:
Ernout, A. et Meillet, A. (11932 - 41985): Dictionnaire etymologique de la langue latine, Paris (Klincksieck).
Gaffiot, F. (11934 - 22000): Le grand Gaffiot [Flobert, P.], Paris (Hachette).

C. IVLII CAESARIS
COMMENTARII DE BELLO GALLICO
LIBER PRIMVS
I. 1. (1)Gallia (2)est (3)omnis dīvīsa in partēs trēs, quārum ūnam incolunt Belgae, aliam Aquītānī, (4)tertiam quī ipsōrum linguā Celtae, nostrā Gallī appellantur 2. Hī omnēs linguā, īnstitūtīs, lēgibus (5)inter sē differunt. (6)Gallōs ab Aquītānīs Garumna flūmen, ā Belgīs Mātrona et Sēquana dīvidit. 3. (7)Hōrum omnium fortissimī sunt Belgae, proptereā quod (8)ā cultū atque hūmānitāte prōvinciae longissimē absunt, minimēque ad eōs mercātōrēs saepe commeant atque (9)ea quae ad effēminandōs animōs pertinent important, proximīque sunt Germānīs, quī trāns Rhēnum incolunt, (10)quibuscum continenter bellum gerunt.

カエサル『ガリア戦記』第一巻
I.1. ガリアは全体で三つの地域に分たれており,そのうちのひとつにベルガエ族が,他のひとつにアクィーターニー族が,三つ目には自らの言語でケルタエ族・我々の <言語> でガリー族と呼ばれる者たちが居住している.2. これらの部族はすべて言語・制度・法律の点で互に異なっている.ガリー族は、アクィーターニー族からはガルムナ河が,ベルガエ族からは,マートロナ川とセークァナ河が分けている.3. これらの部族すべてのうちで尚武の気が最も高いのはベルガエ族である.なにしろ属州の文明開化から最も遠く離れており,彼らのもとへ商人たちが往来して志気を女々しくする物品を持ち込むことが極めて稀であるばかりではなく,レーヌス河の対岸に居住するゲルマーニー族にもっとも近く,彼らと絶えず戦争をしているからである.

あとがき
 筆者の古典語研究上の恩師は,古川晴風先生(早稲田大学名誉教授・『ギリシャ語辞典』[大学書林]の編著者)である。筆者が修士論文ラテン語の動詞組織について」を準備中の当時,大学院の授業のあと,幸いなことに帰り道が途中までご一緒であったので,親しくお話を伺うことができた。おもに修士論文に関連した行きづまりについて,大小を問わずさまざまな質問をすると,先生は快刀乱麻を断つ態で即答される。

 修士論文審査では,主査の指導教授川本茂雄先生がたまたまマサチューセッツ工科大学(M.I.T.)に言語学研究員として一年間出張されたため,副査筆頭の古川先生が主査を担当してくださった。
 フランス政府給費留学生としてパリ第IV大学(ソルボンヌ)ラテン語研究科に留学する直前の半年間は,古川先生にプラウトゥス『アンピトルオー』を一対一で講読して頂いた。

 1978年に帰国後,筆者は早稲田大学文学部で教鞭を取るようになった。ラテン語の授業はまず初級を担当した。学年末に例年の約3倍の21名の学生が単位を取得するという“快挙”を挙げることかできた。ついで中級も平行して担当するようになり,テクストにカエサル『ガリア戦記』を採りあげた。いざ教える段になってこまかな不明点が生じ,古川先生にご相談したところ,参考書目に掲げておいた Greenough et al. (1898) を貸して下さった。この注解書が,じつは,本書の淵源である。

 大学院のラテン語を担当するようになって,前期は筆者の研究テーマのひとつであるワロー『ラテン語について』を講読し,後期は受講者の希望を加味して,Pluatus, Terentius, Cicero, Vergilius, Lucretius, Seneca (L. A.)などを採り挙げた。

 ワロー『ラテン語について』(c.45 B.C.)は,ソルボンヌでの最初の指導教授コラール(Jean Collart)先生 [Varro と Plautus の専門家] によればラテン語に対する「recul(必要な距離)が足りない」と評されるが,古典期著述家によるラテン語に対する同時代的証言として貴重なものである。

 二人目の指導教授セルバ(Guy Serbat)先生は,コラール先生が文献学的側面が強かったのに対して,より言語学者的(plus linguiste que philologue)で,とくに与格について議論を重ねたことを思い出す。

 フランス滞在中に,自動車を駆って Alesia (とされる辺り)にまでカエサルの戦跡を探ねたこともよい想い出である。そこには丘の上に,ガリア人反乱の指導者 Vercingetrix の巨像(愛国主義的な意図をもつ後世の作)が立っていた。

 ダンジェル『ラテン語の歴史』(クセジュ文庫・白水社)共訳者高田大介氏には,完成版下を作成して頂いた。ここに記して謝意を表します。

 最後に,筆者の遅々たる仕事ぶりを辛抱強く見守ってくださった,大学書林社長佐藤政人氏に感謝いたします。

2007-2009年3月

遠山一郎


追記:
 上にお名前をあげた4人の先生方はいずれも故人となられており,筆者のこのささやかな仕事をご覧に入れることができないのは,まことに残念である。



カエサル『ガリア戦記』〈第1巻〉

カエサル『ガリア戦記』〈第1巻〉