聖書男(バイブルマン) - A.J.ジェイコブズ

はじめに
 これを書いているいま、ぼくはひげを生やし、モーセにそっくりだ。それかエイブラハム・リンカーン、もしくはテッド・カジンスキー[001]に。この三人とも名前を呼ばれたことがある。
 手入れの行き届いた、社会的に受け入れられるような代物じゃない。伸び放題に伸びたひげだ。目の玉に向かってじわじわと這いあがり、下は襟元にまで達している。
 これまで一度もひげを生やしたことがなかったので、めったにない貴重な体験をしている。ぼくはひげ男だけの秘密結社に入っている。メンバーは道ですれ違う際、互いにうなずき、わけ知り顔でうっすらほほ笑む。知らない人が寄ってきて、ひげに触ることもある。ラブラドールレトリーバーの子犬か、妊婦のお腹をなでるみたいに。
 ひげにまつわる苦労は多い。ジャケットのジッパーに挟まるわ、恐ろしくバカ力のある二歳の息子に思い切り引っぱられるわ、空港のセキュリティチェックであれこれ質問されるわ。
 名前はスミスで、兄弟で咳止めドロップを売っているのか[002]と訊かれたこともある。週に三回はZZトップ[003]の名前があがる。通りすがりの人に「よお、ガンダルフ[004]と声をかけられたことも。スティーブン・セガール[005]といわれたこともあるが、さすがにそれはないだろう。彼はひげを生やしていない。
 かゆみや暑さとも闘わなくちゃならない。これまでバーム、パウダー、ポマード、コンディショナーに一週間分の稼ぎをつぎこんでいる。ひげはカプチーノの泡やレンズ豆のスープの一時休憩所になっている。一部の人にとっては恐怖の対象でもある。これまで、小さな女の子二人が泣きだし、男の子ひとりが母親の後ろに隠れた。
 でも、こっちに悪気はない。ひげは一年前にぼくが始めた霊的修行の旅の最も顕著な肉体的表出にすぎない。
 旅の目的は、究極の聖書的生活を送ること。より正確にいうと、聖書の教えにできるだけ忠実に生きること。十戒に従い、産んで増え、隣人を愛し、収入の十分の一を神にささげる。それだけでなく、ほとんど顧みられないようなきまりも守る。混紡の服は着ない。姦淫の罪を犯した者を石打ちにする。もちろん、ひげの両端はそらない(レビ記一九章二七節)。選り好みせず、全面的に聖書に従おうと努力している。
 ぼくはニューヨークのおよそ信仰熱心でない家庭に育った。いちおうユダヤ人だが、ぼくをユダヤ人というのは、《オリーブガーデン》[006]をイタリアンレストランというのに等しい。つまり、名ばかりってこと。ヘブライ語学校には通ったことがないし、マツァ[007]も食べたことがなかった。わが家でいちばんユダヤ的なものといえば、クリスマスツリーのてっぺんに飾られたダビデの星ぐらいだった[008]。
 両親が宗教に批判的だったわけじゃない。肌に合わなかっただけだ。なんたって、ぼくたちは二十世紀に生きていたから。わが家では、信仰の話題は、父の給料や、姉がクローブ入りタバコを吸っていることと同じく、タブーに近かった。
 唯一、聖書と接した期間は短く、内容的にも浅かった。わが家のすぐ隣りにシュルツ師という親切な牧師が住んでいた。ルター教会[009]の人で、トマス・ジェファーソンにそっくりだった。シュルツ師は、六〇年代の大学の座り込み抗議について、いろいろと面白い話をしてくれた。ところが、神の話になるや、外国語を聞いているみたいで、いつもちんぷんかんだった(余談だが、シュルツ師の息子は俳優になり、奇遇にも『ザ・ソプラノズ』[010]で不気味な神父役を演じた)。
 バルミツバ[011]には何度か列席したが、式のあいだじゅうぼけっとしていた。暇つぶしに、ヤムルカ[012]の下の髪が薄いのはだれか、なんて考えていた。父方の祖父の葬儀に出たときは、ラビ[013]が式を執り行なっているのを見て驚いた。会ったこともない人をどうしてほめたたえられるのか。解せなかった。
 子どものころの宗教との関わりは、まあそんなものだ。
 ぼくは不可知論[014]者という言葉の意味を知る以前からそうだった。理由のひとつに、悪の存在がある。もし神が存在するなら、なぜ戦争や病気やミズ・バーカー(慈善バザーで売るクッキーに砂糖を使わせてくれなかった人)をのさばらせておくんだろう。
 でも、いちばんの理由は、神という観念が要らなく思えたからだ。姿も見えず、声も聞こえない神を、なぜ必要とするのか。神は存在するかもしれない。でも、この世では絶対に知りえない。
 大学はぼくの霊的成長を助けてはくれなかった。ぼくが入ったのは非宗教系の総合大学で、ユダヤキリスト教の伝統よりもウィッカ[015]の儀式における記号論を研究したがる学生のほうが多かった。聖書を読むことはあっても文学としてで、『妖精の女王』[016]ぐらい真実みに乏しい古くさい本としてだった。
 もちろん、宗教の歴史は学んだ。公民権運動や慈善の寄付、奴隷制の廃止など、人類の偉大な遺産の多くが聖書を原動力としてきたことも。戦争、大虐殺、征服といった、負の遺産を正当化するのに聖書が使われてきたことも。
 宗教にはいい面もあるけれど、現代社会においては危険な存在だとずっと思っていた。悪用される可能性がきわめて高い、と。ほかの旧弊なものと同じように、徐々に消えてなくなるだろうとも思っていた。近い将来、すべての決定がミスター・スポック[017]流の非情な論理に基づいて下される新啓蒙主義の楽園に暮らすことになる、と。
 もうお気づきだろう、みごとな誤解だった。聖書の、そして宗教全体の影響力はいまだに絶大だ。ぼくが子どものころより大きいかもしれない。そのため、この二、三年、宗教はぼくの強迫観念になっている。世界の半分がとんでもない妄想を抱いているのか、それとも精神世界を理解しようとしないぼくの人格に重大な欠陥があるのか。一度もベートーベンを聴いたことがない、あるいは恋をしたことがない男みたいに、人として大切な部分が欠けていたらどうしよう。なんといっても、いまは幼い息子がいる。信仰心のなさがぼくの欠点だとしたら、息子には受け継がせたくない。
 そういうわけで、なにをしたいかはわかった。宗教の探究だ。あとはどうするかだ。
 ヒントは親戚から得た。ギルおじさん。正確には元おじだ。ぼくのおばと結婚して、二、三年で離婚したが、いまだにわが家でいちばん議論を呼んでいる。ほかの親族が信仰心に欠けるとしたら、ギルはその分をひとりで補えるほど世界一宗教的な男だ。スピリチュアルなものはなんでもござれ。生まれたときはユダヤ人。ついでヒンドゥー教徒になって導師を自任し、マンハッタンのとある公園のベンチに八カ月間、無言で座りつづけた。その後、ニューヨーク州北部でヒッピー文化と出会い、さらに〝ボーンアゲインのキリスト教徒〟[018]となった。そしていまはイスラエルの超正統派ユダヤ教[019]徒。途中ひとつぐらい抜けているかもしれない。一時期、日本の神道にも傾倒していたと思う。まあ、これで大体おわかりいただけるだろう。
 霊的修行の道のある地点で、ギルは聖書を字義解釈しようと考えた。聖書に書かれているとおりにしようと。金を手に縛りつけるようにと聖書にあれば(申命記一四章二五節)[020]、銀行から三百ドルおろして、手のひらに糸で縛りつけた。衣服の四隅に房をつけるようにとあれば(民数記一五章三八節)、毛糸を買って房をつくり、シャツの襟や袖の端に縫いつけた。また、寡婦や孤児に施しをするようにとあれば、道行く人びとに未亡人か身寄りのない子かと尋ね、該当すれば金を渡した。
 一年半ほど前、サンドイッチショップで昼食をとっていたとき、ギルの奇妙な生活について友だちのポールに話すうち、ふとひらめいた。これだ、と。ぼくも聖書の教えを忠実に守りたくなった。それにはいくつか理由がある。
 聖書が真実を述べるよう求めている(箴言二六章二八節)[021]ので正直にいうが、理由の第一として本書の執筆がある。何年か前、『ブリタニカ百科事典』を全巻、AからZまで、もっと細かくいうと、a-ak(アアク。古代東アジアの音楽)からżywiec(ジビエツ。ポーランド南部の町。ビールが有名)まで読破するという内容の本を出した[022]。つぎはなにができるか。続く第二弾としてやる価値のありそうな唯一の知的冒険は、世界で最も影響力のある本、空前のベストセラー、聖書を究めることだった。
 第二に、このプロジェクトはぼくにとって精神世界への入国ビザになる。宗教を頭で学ぶだけにしたくない。実践してみたい。ぼくの心に〝神の形をした空洞〟[023]があるなら、この試みが埋めてくれる。ぼくの内側に神秘的なものが潜んでいるなら、この一年で表面化する。父祖のことを知りたければ、この一年で彼らの生き方を追体験できる。しかも、重い皮膚病にはならずに[024]。
 第三に、このプロジェクトは、聖書字義解釈主義[025]という非常に刺激的で大きなテーマを掘り下げるいいチャンスになる。聖書の記述を真に受けているアメリカ人は少なくない。二〇〇五年のギャラップ社の世論調査によれば、アメリカ総人口の三十三パーセント、二〇〇四年のニューズウィーク世論調査では五十五パーセントにのぼる。新旧約聖書の字義解釈は、アメリカ政府の政策を方向づけている。中東、同性愛、幹細胞研究、教育、人工妊娠中絶、はては日曜日にビールを買えるかどうかまで。
 でも、どうなんだろう。聖書を字義解釈するといっても、実際はみんな選り好みしているんじゃないか。左寄りであれ、右寄りであれ、自分の信条に合った個所を聖書から抜き取っているんじゃないか。
 ぼくは違う。層のように積み重なった解釈をはぎとり、その下にある真の聖書を見出すつもりだ。究極のファンダメンタリスト原理主義者になってやる。恐れはしない。聖書のいったとおりにす

聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

日本語への序文
はじめに
準備
 九月
初日………プロジェクトを実行に移す
第二日……産んで増やすⅠ
第二日……祈るⅠ
第五日……混紡の服の着用を避ける
第六日……欲しがらないようにする
第七日……計画を見なおす
第一一日……アーミッシュの村を訪ねる
第一三日……宗教顧問から助言を受ける
第一四日……十分の一の献げ物をするⅠ
第二三日……子どもに鞭を打つ
第三〇日…… 聖書の世界に生きる自分を
      ヤコブ命名する

 十月
第三一日、朝……イスラエル旅行を計画する
第三一日、午後……角笛を吹く
第三四日……生理中の妻との接触を避ける
第三六日……祈るⅡ
第三七日……うそをつかないようにするⅠ
第四〇日……創造博物館を訪ねる
第四二日……借金を帳消しにする
第四四日、朝……聖書解釈の歴史をひもとく
第四四日、午後…苦しむ人にワインを差し出す
第四五日……安息日を守るⅠ
第四六日……エホバの証人を家に招く
第四七日……小屋を建てる
第五〇日……怒りをこらえる
      〜スープキッチンでボランティアをするⅠ
第五五日……ハシディムのダンスパーティに参加する
第六一日……預言書を読みなおす

 十一月
第六二日……石打ちの刑を執行する
第六四日……祈るⅢ
第六七日……神を知らぬ者と対峙する
第七〇日……ひとの悪口をいわないようにするⅠ
第七二日……元おじの自伝を読む
第七五日……像をつくらないようにする
第七七日……創造論について再考する
第七八日……ひとの自由意志を尊重するⅠ
第八〇日……最も解せないきまりを挙げる
第八二日……盗まないようにするⅠ
第八四日……隣人を愛するⅠ
第八七日……産んで増やすⅡ
第九一日……敬虔な愚か者になる

 十二月
第九三日……ホリデーシーズンをやり過ごす
第九五日……いかなるときも純白の衣を着る
第九七日……安息日を守るⅡ
第一〇一日……眠れない夜を過ごす
第一〇三日……祈るⅣ
第一〇五日……性欲と闘うI
第一〇七日……性欲と闘うⅡ
第一〇九日……性欲と闘うⅢ
第一一〇日……一夫多妻制について調べる
第一一一日……盗まないようにするⅡ
第一一四日……渇いている人に水を差し出す
第一一四日の続き……信仰生活について指導を受ける
第一一七日……親の因果が子に報いる
第一二〇日……わけありの子が大物になる
第一二二日……聖書の儀式が身についてくる

 一月
第一二四日……ひとのいうことにいちいち反応しないようにする
第一二六日……神について子どもにどう教えるか悩む
第一二七日……元おじとコンタクトをとる
第一二八日……戸口の柱に神の言葉を書き記す
第一三一日……ひとの悪口をいわないようにする
第一三二日……産んで増やすⅢ
第一三三日……供犠をする
第一三五日……落ち穂を残す
第一三八日……十弦の琴を奏でる
第一四〇日……食物規定を守る
第一四〇日の続き……虫を食べる
第一四二日……老人の前で起立する
第一四二日……背筋を伸ばして歩く
第一四八日……隣人がなくしたものを見つけて返す
第一五三日……身体状況を点検する
第一五四日……神意をはかる

 二月
第一五五日……母鳥を巣から追い払い、卵をとる
第一六一日……息子を失ったダビデの心情を察する
第一六八日……赤毛の牛を捜し求める
第一六九日……一歩後退する
第一七七日……隣人を愛するⅡ
第一七九日……うそをつかないようにするⅡ
第一八〇日……祈禱ひもを巻く
第一八一日……聖書の著者について考える
第一八一日、午後……心境に変化が表われる

 三月
第一八四日……ウィンクを禁止する
第一八七日……産んで増やすⅣ
第一九一日……祈るⅤ
第一九六日……聖地巡礼の旅に出発する
第一九七日……エルサレムに到着する
第一九八日……ネゲブ砂漠へ向かう
第一九八日、夕方……旧市街で孤独に苛まれる
第ニ〇一日……果実を十分の一取り分ける
第二〇二日……サマリア人を訪ねる
第ニ〇四日……祈るⅥ
第ニ〇五日……元おじと会う

 四月
第二一五日……『十戒』を観る
第二一九日……喜捨をする
第二二二日……妻が不正確なはかりを使う
第二二三日……ワインを楽しむ
第二二九日……過越祭を祝う
第二三〇日……「神の思し召しなら」という
第二二二日……双子が争う
第二二三日……ひとと握手しないようにする
第二三四日……父母を敬う
第二三六日……隣人を愛するⅢ
第二三七日……奴隷候補が現われる
第二三七日、午後……祈るⅦ
第二三八日……信仰心が刻々と変化する
第二三九日……思いやりのある人間になる
第二四〇日……掟を守ることに喜びを覚える

 五月
第二四三日……新約聖書の掟に取り組む
第二四七日……ファンダメンタリストメガチャーチを訪れる
第二五六日……ゲイの聖書研究会に参加する
第二六三日……祈るⅧ
第二六四日……レッドレタークリスチャンと話をする
第二六八日……十分の一の献げ物をするⅡ
第二七〇日……悪を記録しないようにする
第二七一日……何者かの視線を感じる
第二七二日……奇跡について考える
第二七三日……親を打った子に罰を与える

一〇 六月
第二七七日……神の名や罵り言葉を発しないようにする
第二七九日……地上の法規を遵守する
第二八六日……性欲と闘うⅣ
第二八七日……字義解釈について考える
第二九〇日……うそをつかないようにするⅢ
第二九二日……極右のキリスト教思想を知る
第二九七日……蛇使いの教会を訪ねる

一一 七月
第三〇六日……スープキッチンでボランティアをする
第三〇九日……原始のライフスタイルを試してみる
第三一四日……幹細胞と人工妊娠中絶について考える
第三二四日……ひとの不幸を笑えなくなる
第三三二日……ひとの自由意志を尊重する

一二 八月(と九月前半)
第三三六日……身寄りのないやもめを大事にする
第三五九日……双子が誕生する
第三六一日……双子の世話に追われる
第三六三日……うそをつかないようにする
第三六六日……赤ん坊に割礼を施す
第三七二日……隣人を愛するⅣ
第三七四日……めいのバットミツバを祝う
第三七八日……一年を総括する
第三八一日……ひげをそる
第三八七日……奪ったものを返す


原註
謝辞
訳者あとがき
参考文献