なぜシロクマは南極にいないのか - デニス・マッカーシー

 あの偉大なる分野



科学的探究の源泉である生物地理学と、生命と地球の統一理論



 『生物地理学の基礎(Foundation of Biogeography: Classic Papers with Commentaries)』という本に目を通していた私は、数分もしないうちに近代科学の発展の中で今まで出会ったことのないような驚くべき事実に気づいた。この本は地味な論文を集めた分厚い本で、たくさんの専門家がそれぞれ、なぜある種類の植物や動物がある地域に生息していて、他の場所にはいないのかを説明し、生物の分布におけるはっきりしたパターンを明確にしようという目的で書いた文章が収められている。しかし、この本のもっとも驚くべき部分は内容ではなく目次であり、私は衝撃を受けた。この本はもっぱら生物地理学のあまり知られていない分野について書かれた論文を集めたものなのだが、その著者の欄はまるで科学に革命を起してきた人々の紳士録のようだ。次に挙げるのは、ここに収められているすばらしい論文の著者の一部だ。


 カルロス・リナエウス(カール・フォン・リンネ) 近代分類学の父
 チャールズ・ダーウィン 進化論提唱者の一人
 アルフレッド・ラッセル・ウォレス 進化論提唱者の一人
 アルフレート・ウェゲナー 大陸移動説の父
 E・O・ウィルソン 社会生物学の父、『知の挑戦』の著者
 ジャレド・M・ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄』の著者


 この研究者たちはみな生物学や地質学や社会学や人類学の既存の通説をくつがえした人々なのだが、信じられないことに、その前にそれぞれ動植物の地理的分布についてすばらしい説を生み出していたのだ。これほど輝かしい人物リストを誇れる科学の分野は間違いなく他にない。『原子の世界』、『動物行動の基礎』、『力学の歴史』のような概説集にも偉大な論文が多数収められているが、だいたい物理学者が物理について書き、化学者が化学について書くといったように、みなその分野で名声を確立した人物が書いた論文が載っている。科学の別の分野に革命を起こした偉人が書いているのは生物地理学だけなのだ。言語学でも統計力学でも心理学でもなんでもいい。なにかの分野ですばらしい論文を書いた研究者六人が他の分野に手を広げ、その分野の基本的な概念だった原理をひっくり返すところを想像してみてほしい。生物地理学がどれだけ特異であるかがわかってもらえるだろう。
 生物地理学がなぜこんなにも特異なのか。なぜこの全く異なる分野の専門家たちがみな、このあまり知られていない分野で、これほどたくさんの革命を起こしたのかも説明していきたい。チャールズ・ダーウィンは生物地理学が分野の壁を超越した重要な学問であると最初に述べた一人だ。一八四五年にJ・D・フッ力ーへの手紙で生物地理学を「あの偉大なる分野は創造の原理の要のようなものだ」とほめたたえている。さらにその一四年後に刊行した『種の起源』では二章分を「地理的分布」に費やしている。二〇世紀のはじめ、生物地理学は再び新たな科学革命の最先端になる。ここでもまた科学史上もっとも重要な本の一章を占めた。アルフレート・ウェゲナーの『大陸と海洋の起源』である。一九九七年、ジャレド・ダイアモンドはそれぞれの大陸で人間の社会的発展の状況が異なる理由について生物地理学の法則に則って導き出した、人類学の既存の説に異を唱える新説を発表した。本文で述べるように、人類の知的な進歩にとっては、物質的因果関係の原則を除けば、どんな信条やデータの集まりよりも、動植物の分布のパターンのほうが有益だった。
 本書の第1章「ガラパゴスの啓示」では、チャールズ・ダーウィンの地球一周の旅とともに、彼の頭脳がたどった道のりを紹介する。第2章「メソサウルスの問題」では、アルフレッド・ラッセル・ウォレスとアルフレート・ウェゲナーとアレクサンダー・デュ・トワの軌跡をたどる。この二つの章では、彼らが発見した生物地理学上の証拠からどのように革命的な視点にたどり着いたかを詳しく述べる。大洋島にカエルやイモリがいないことが非常に多いのはなぜか? そしてそれが種の起源の謎にとってなぜそれほど重要なのか? 鼻の長い水生の爬虫類メソサウルスの化石が南アメリカとアフリカ南部でしか発見されないのはなぜか? そしてそれは惑星科学とどう関係してくるのか? 進化論が発展し、大陸移動説が立証されていくにつれ、生物地理学は単なる趣味の研究ではなくなっていった。研究者たちは生物分布のデータから、何度も地球をひっくり返すような結論を導き出している。この二章では「動植物がそれぞれ現在の場所に生息するようになったのはなぜか?」という驚くほど単純な疑問が、実は科学史上もっとも重要な問題であるのはなぜかを説明している。
 続く第3章から第6章まででは、エキゾチックな生物数種の歴史を例に、進化論とプレートテクトニクス説が生物地理学のメタ理論にどう融合していったかを説明する。ダーウィン、ウォレス、ウェゲナー、デュートワはみな、生物と地球がともに進化してきたことを理解していた。そして動物や植物は山や川や平原と同じように、住んでいる場所の地形の一部だ。生物はその地域に起こった様々な地理的、気候的な変化をそのまま反映している。動植物は地球史の静かで忠実な記録者なのだ。
 科学の多くの分野が専門科目の寄せ集めになり、研究者たちはさらに狭い部分にだけ目を向けるようになっている中で、生物地理学者たちは今もその視点を広げ、スケールの大きなパターンに注目し、大陸、大洋どころか地球規模で起こっている原理に光を当てている。つまり、現代の生物地理学は進化と地理の変遷が協調して進んでいく様子を大きな観点から見せてくれるのだ。火山脈に沿って大陸が裂け、その裂け目に海水が流れ込み、海底火山が噴火して島ができ、大陸同士が接触し、プレートが折り曲げられたことによって山々が隆起する。この地形の変動によって天候も大きく変化し、海面が上下したり、氷河が進出したり後退したり、砂漠が肥沃な土地に変貌したり、熱帯雨林が不毛の地と化したりするのだ。地形が変動して新たに障壁ができると、動物や植物、昆虫や魚類などの種の個体群が新たな環境に隔離されたり、違う気候の土地に追いやられたり、新たな捕食者とともに暮らすことになったり、新たな食料源が手に入るようになったり、新たな障壁ができたり、今までの障壁がなくなったりする。生物は、この絶えず変化し、乱暴であることも多い地球に常に適応し続けていないと絶滅してしまう。
 本書ではイラストや地図を使って、動物と地形、緑と花崗岩、進化上の変化と地質学上の現象との関係をわかりやすく示す。このよりスケールの大きな視点により、生物地理学が単なる進化とプレートテクトニクス海洋学と気候学の寄せ集めではなく、これらすべての理論を包括する理論的枠組みであることを示せると思う。物理学は今も重力(一般相対性理論)と電磁気(量子力学)を結びつける大統一理論を模索しているが、生物地理学はすでに生命(進化)と地球(プレートテクトニクスと地学)の大統一理論となりえたのだ。
 第3章「ピグミーマンモスと謎の島々」では、カリフォルニア近海のチャンネル諸島に住んでいた小型種のマンモスをはじめとする、隔離された島に住むユニークな生物たちとその環境の関係を探る。この章では「なぜガラパゴスなのか?」。そして「なぜフィンチなのか?」という疑問への答えも示している。これまでダーウィン南アメリカの旅について論じるポピュラーサイエンスの本は数多く書かれているが、この群島がダーウィン理論のこれほどすばらしい実験場になった生物地理学的な理由を示した者は少ない。この章では、ダーウィンフィンチの進化的爆発の背後にある秘密を最終的に明かした新しい発見についても述べる。この章で語るように、ダーウィンガラパゴス諸島来訪は、「同時多発」的に起こった一連の出来事の最後の鍵であった。熟練した科学者が完全な条件の整った島にやってきて、理想的な例となる鳥たちを見つけるというすばらしい偶然然が重なったことが、「人類の頭脳に宿ったもっとも偉大なアイデア」を生み出す助けになったのだ。
 第4章「世界を変えた火山の環」では、南極を取り囲む海底にできたひぴ割れからはじまった南半球の陸地の隔離が、生物の現在の分布の多くを生み出したことを述べる。この大陸の変動によって動植物、さらには人間の文明にも及ぼされた影響は計り知れない。これは本書の終わりまで続くテーマの一つだ。南半球にはなぜこんなにも海が多いのか? 北半球の哺乳類が世界で圧倒的優勢を誇るようになったのはなぜか? ユーラシア大陸の人々とオーストラリア、南アメリカニュージーランドの先住民の人々の技術的な進歩に差ができた理由はなにか? 答えは、現在地球のもっとも南にある大陸を取り巻く火山海嶺の輪にある。
 第5章「南アメリカの無惨な敗北と三畳紀のムカシトカゲ」では、ゴンドワナ大陸の分裂によって起こった隔離が、囲い込まれた個体群に不変の均衡状態を作り出す助けになったことを述べている。それまでに地球を形作ってきたたくさんのプロセスは種分化の推進力になったが、ある種の植物、爬虫類、哺乳類、両生類は他の地質学的出来事によって長くその姿を保つことになった。この章で述べているように、ニュージーランドとオーストラリアと南アメリカは隔離されていたおかげで「生きた化石」数種の安全地帯となり、進化の副産物として北アメリカ、ユーラシア、アフリカでもっと後に生まれた、多くの獰猛で強い生物から守られることになった。しかし、パナマ地峡が隆起して南北アメリカ大陸をつないだように、障壁が取り除かれるようなことも時にはあり、この場合はかつて隔離されていた大陸に住む動物たちがおそろしい悲劇に見舞われることが多い。
 第6章「魔法の水」では、海における生物分布のパターンを詳しく述べ、海中の生物も地上と同じ原理に支配されていることを示している。また、「ロシアのガラパゴス」呼ばれることも多いシベリアのきらめく宝石バイカル湖のような、孤立した場所での進化のプロセスも解説する。こうした隔離された湖は大洋島に似た条件にあり、動植物が隔離され、珍しい姿の新種が多数生まれることも多い。
 人類の生物地理学という論議を呼びがちな題材を扱う第7章「エデンをめぐる戦い」では、人類の起源がどこであったかという嵐のような論争、フローレス諸島で最近発見された“ホビット”、『銃・病原菌・鉄』でジャレド・ダイアモンドが発表した文化の発展についての新たな道を切り開くような説を中心に述べている。ダイアモンドは生物分布が我々の科学的な考え方に大きな影響を与えるだけではなく、人類社会の運命も大きく左右していることを示している。そしてここでもまた、生物の歴史を形作るうえで大陸の配置が重要な役割を果たしていることがわかる。
「ここには竜がいる(Here Be Dragons)」(Here There Be Dragonsと書かれていることもある)という言葉には、その出自に関する伝説がある。地図に描かれていたという真偽の疑わしいこのスローガンは、古代の地図の未知の領域に書かれていたと思っている人が多い。実際は、古代の地図に「ここではサソリが生まれた」、「ここにはライオンがたくさんいる」などのような、分布についてのよく似たコメントが書き込まれていることはあるが、「ここには竜がいる」そのものは一つの例外を除いて見つかっていない。歴史家が唯一見つけることができたのはハント・レノックス地球儀(一五〇六年)に書かれているものだ。ハント・レノックス地球儀は直径一三センチ弱の小さな銅製の球体でできていて、現在ニューヨーク市立図書館に展示されている。コロンブスの新世界への航海の後にはじめて作られた地球儀だという、このソフトボール大の金属製の地球の東半球の部分をよく見てみると、HC SVNT DRACONES(つまりHere Be Dragons)という文字が東南アジアの部分に刻まれているのがわかる。この言葉は未踏の地へ旅する人への警告だと思っている人が多いが、中世の地図製作者たちがゾウやホッキョクグマやサソリやライオンといった魅力的な生き物の生息場所を示そうとするのを好んでいたことから考えると、「ここには竜がいる」もおそらく古代の人が生物の分布を地球儀に記そうとしたものなのだろう。東南アジアのコモド諸島とフローレス諸島は大型の肉食動物コモドオオトカゲの生息地だ。コモドオオトカゲは現世の爬虫類の中でもっとも身体が大きく、残酷なことが知られていたので、ハント・レノックス地球儀にこの有名なフレーズが刻まれたのだろう。「ここには竜がいる」は歴史上もつとも有名な生物地理学的コメントかもしれない。そしてコロンブス以降の地球儀にはじめて記されたコメントでもある。
 第8章では、生物地理学の現在、過去、未来をまとめている。「ここには竜がいる」のような生物地理学の草分けといえる分布記録から、現在の生物地理学者が使える最新の道具と分析技術までを紹介する。最近の画期的な発見が導き出されたのはこうした新技術のおかげだ。また、この最終章では本書で述べてきたデータと法則を用いて、生物地理学がどのように我々の毎日の生活と現在の環境を結びつけているのかを示す。今、我々を取り巻いている世界の生物はみな、地球の力によって形作られた人きな分布パターンの一部なのだ。だから生物地理学を理解すれば、毎日目にする動植物を通してその地球の歴史を知る助けになる。たとえば、ハワイ料理ルアウに昔から用いられているブタ、バナナ、ココナッツ、ニワトリなどの食材を調べると、ポリネシア社会のすばらしい歴史が浮かび上がってきて、彼らが驚くほど遠くまで太平洋を制覇していたことが裏づけられる。また、この章では動植物の分布の専門家たち数人だけが、なぜ生命と種の起源について、大陸と大洋の起源、文化と技術の起源についての基本的な疑問の多くを解明することができたのかをまとめている。もちろん、自然現象の研究はすべて重要であり、我々の現在の生命観、地球観に計り知れないほど寄与している。しかし生物地理学はずば抜けている。現代の視点が形作られるうえで動植物の分布が与えた幅広い影響は科学の中でも並ぶものがなく、ダーウィンの信念の重要性を裏づけるだけにとどまらない。生物地理学は真の「創造の要」なのだ。

なぜシロクマは南極にいないのか: 生命進化と大陸移動説をつなぐ

なぜシロクマは南極にいないのか: 生命進化と大陸移動説をつなぐ

序 あの偉大なる分野
第1章 ガラパゴスの啓示
第2章 メソサウルスの問題
第3章 ピグミーマンモスと謎の島々
第4章 世界を変えた火山の環
第5章 南アメリカの無惨な敗北と三畳紀のムカシトカゲ
第6章 魔法の水
第7章 エデンをめぐる戦い
第8章 生物と地球の偉大なる融合