「以上」を英語で言うと

クリストファ・バーナード教授は著書『日本人が知らない英文法』(2005)の中で或る日本語表現のことを羨んでいる。英語にもこの表現があれば便利なのにな、と言うのだ。英語を学んだことのある日本語ネイティブなら、初めてこの表現に接したとき、「なんとまどろっこしい表現なんだろう」と感じたのではないだろうか。そう、やはり英語ネイティブも同じように思っていたのだ。

 実を言うと、英語の話し手が日本語をうらやましく思うことが一つあります。それは、多種多様な「以上」(以降、以前、以内、以外、以下、以上、以下など)が備える明快さです。英語がもし、日本語からこれらのことばを借用することができたら、なんと便利なことでしょう!これらのことばにより、包括的/排除的な数え方という英語のあいまいさが解決されるのですから。
 例えば、日本語では、「アルコールを飲みたければ、“20歳以上”でなければならない」と簡単に言うことができます。これを正確に英語に翻訳するためには、

You must be over 19/more than 19.

と言わなければならないことに注意してください。
 しかし、これでさえもあいまいです。“over 19”になるのは19歳の誕生日が終わった次の日からじゃないか、と反論する(あるいは、少なくともへりくつをつける)人がいるかもしれないからです。重要な場合、あるいは明快さが求められる場合なら、次のような言い方をするでしょう。

You must be twenty years old or over if you want to drink alcohol.

 言い換えれば、「以上」の英訳は“over X/more than”ではなく、“X or over/X or more than X”になるということです。

ところが、このせっかくの日本語の利点をないがしろにするような訳語をあてる翻訳書がたまに存在するのだ。例えば、フィル・スタッツ、バリー・マイケルズ著、野津智子訳『ツールズ』に次のような訳文がある。

 「内なる権威」
 自分は今、ひとりまたはふたり以上の聴き手の前に立っているところだと想像してみよう。ある方向に「影」の姿があり、あなたのほうを向いていることに気づいてほしい。聴き手に向けていた意識を、「影」に集中しよう。ふたりの間に固い絆があるのを感じよう――ふたりがひとつになれば、怖いものは何もないのだ。
 あなたと「影」は一体になって、聴き手のほうに向き直り、静かに声をあげる。「聞きなさい!」それは要求ではない。これから話すことに耳を傾けよという命令である。

赤文字の部分に注目してもらいたい。「ひとりまたはふたり以上の聴き手」とはなんと冗長な表現だろうか。ここは簡潔に「ひとり以上の」と訳せば(この場合、若干違和感があるので「少なくともひとりの」と訳すべきかもしれないが)問題ないはずなのに、なぜかわざわざ冗長な英語をそのまま日本語に移してしまっているのだ。

念のため原文にあたっておこう。

Inner Authority
Imagine that you're standing in front of an audience of one or many. See an image of your Shadow off to one side, facing you. Ignore the audience completely and focus all of your attention on the Shadow. Feel an unbreakable bond between the two of you―as a unit you're fearless.
Together, you and the Shadow forcefully turn toward the audience and silently command them to "LISTEN!" Feel the authority that comes when you and your Shadow speak with one voice.

問題の箇所は、原文で見ると "one or many" となっている。"two" とまで言及していないこの句を、果たしてわざわざ「ひとりまたはふたり以上」と野津氏は訳出しただろうかと考えてみるに、その可能性には若干疑問が残る。それでは逆に、野津訳の「ふたり以上」から遡って、この部分の元となった原文を想像してみるとどうなるだろうか? 正確に意味をとれば、"two or more than two" になるだろうし、近似値的に訳せば、"more than one" となるだろう。この二通りの英訳を先行する "one or" にそれぞれ連結してみると、"one or two or more than two" と "one or more than one" のようになる。前者は明らかに不自然な表現なので、おそらく後者だと推測できるが、野津氏の参照した底本と筆者の参照した原文の間に相違があるかもしれないので正確な原文は不明だ。いずれにしろ、簡潔に訳すならば「ひとり以上の」もしくは「少なくともひとりの」のいずれかだろう。英語特有のまどろっこしい表現に拘泥する必要はないはずである。

それでは、原文が "one or more than one" ではなく、上に掲げた引用通り "one or many" だったとしたら、どう訳すべきだろうか? 文脈から察するに原著者は「聴き手」の人数にフォーカスしているとは考えられないので、「ひとりか大勢かを問わず」ぐらいの訳文が適切ではなかろうか。これを後続の訳文とつなげると次のようになる。「ひとりか大勢かを問わず、聴き手の前に立っているところだと想像してみよう」。これで原著者の言わんとしている内容がはっきりしてくるのではないだろうか。つまり、聴き手の人数などどうでもよく、とにかく聴き手の前に立っている自分を想像してもらいたい、とアドバイスしているのだ。