アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地 - 大治朋子

 本編を書き終えて、二〇一三年三月、私はエルサレム支局に赴任した。その業務の中で、ジャーナリズムが存在しないに等しい社会ではどんな問題が起きうるのか、それが人々の日常生活にどんな影響を与えるのかを、期せずして目の当たりにすることになった。
 エルサレム支局では、トルコとヨルダンもカバーしている。きっかけは、そのトルコで五月末に起きた大規模デモだった、最大都市イスタンブールの中心部で、公園の樹木を伐採して新たな商業施設を作るという計画をめぐり、自然保護などを求める小規模のグループが座り込みの抗議を始めた。警官隊は催涙ガスを使い、テントを焼き、犯罪集団を摘発するかのような手法で排除した。
 この時の様子は、関係者が動画で撮影していたためユーチューブなどで流れたが、地元の大手メディアは完全に無視した。いずれも政府との経済的なつながりの強い実業家らがオーナーで、政府に批判的な報道を控えるよう圧力を受けたり、自制したりするのが日常となっているとされる。だが政権に日ごろから不満を抱えていた若者らはビデオを見て怒り、公園に結集し、抗議活動を支援した。そして五月三一日、ついに警官隊との大規模な衝突に発展した。
 公園周辺に集まった若者ら数千人が警官隊ともみあいになり、警官隊が無防備の女性に至近距離から催涙ガスを吹きつけるなど明らかに「やり過ぎ」と思われる状況をとらえたビデオや写真がユーチューブやフェイスブックで大量に流れたが、それでも地元大手メディアは黙殺した。場所はイスタンブール中心部という、日本でいえば銀座のど真ん中のような場所だ。そこで警官隊は催涙ガスや放水車を投入、デモ隊は店や車を破壊し、救急車が何台もかけつけて大混乱に陥っている。日本ではそんな状況をメディアが報じないなどありえないことだが、トルコではそれが現実だった。
 このころ、ソーシャルメディアでは沈黙するメディアを皮肉るコメントや書き込みがあふれていた。たとえば、トルコには米CNNの関連現地法人であるCNNトルコがある。このテレビ局は五月三一日、世界的にも有名な観光地であるイスタンブールがそんな状況に陥っているにもかかわらず、ペンギンのドキュメンタリー番組を流し続け、現場に中継車すら出さなかった。一方、米CNN本体のアイリカ人記者らは現場に入り、衝突の様子を中継して世界に発信した。ペンギンの映像が続く地元のCNNと、大混乱の状況をライブで伝える米CNN。その対照的な映像を並べて撮影した写真やビデオがネット上に広がり、トルコでは「ペンギン」は地元メディアの不甲斐なさを象徴するマスコットになった。
 私も現地に入ったが、確かに多くの市民が「トルコでは何が起きているのかを知るのがとても難しい。海外メディアとソーシャルメディアだけが、本当のことを教えてくれる存在です」と口を揃えていた。トルコは中東にありながら欧州の一角というイメージが強かっただけに、これが現実なのか、と愕然とした。
 もっとも、ソーシャルメディアが機能しているのであれば、いずれにせよ既存の報道機関はいらない、という人がいるかもしれない。しかし現地で取材して、それは難しいと痛感した。ソーシャルメディアも、デモ隊の作ったサイトにしても、市民が仕事や学校の合間に書き込んだり画像を掲示したりしているもので、継続的に情報を整理し精査する人はいなかった。だからさまざまな流言飛語が飛び交い、錯綜して混乱の原因にもなった。
 それをとらえて、トルコのエルドアン首相は「ツイッターは嘘ばかり。社会をだめにする」と攻撃し、デモを呼びかける書き込みをした市民らを「テロ容疑」などで逮捕した。首相自身はといえば、事実と異なるとみられる発言を何度もしていたが、地元メディアはほとんど指摘しなかった。アメリカでは、役人や政治家の発言を即座に検証する報道が最近の潮流の一つになっていることは本編でも指摘したが、そうした役割を担うジャーナリズムは、トルコには存在しないに等しかった。だから、権力者が何を言ってもほとんど批判しないし、真偽も検証しない、という悪循環が生じている。
 トルコの地元メディアはその後、海外メディアからの批判もあってやや改善された。デモやそれに伴う政府の対応について徐々に細かくフォローするようになり、そのウェブサイトに行けば、まったく知識のない人でも一から問題の概要をある程度把握できる程度にはなった。
 一方、治安当局は最近、デモ当時のビデオを精査し、社会を混乱させた、あるいは警官を襲ったとする「テロ容疑」などで多数の若者らを訴追し、彼らの権利を擁護した弁護士も拘束している。エルドアン氏が率いる与党は〇二年の総選挙以降、三期連続の単独政権を達成した。その過程で、政権に批判的な軍や司法機関、メディアの力を徹底的に弱体化させてきた。私はまさに、その結果としてのメディアの機能不全を目の当たりにした形で、「ジャーナリズムが機能しなくなると、こんな事態になる」という具体的な状況を目撃し、強い危機感を覚えた。
 日本ではいま、既存メディアやジャーナリストの必要性が問われている。インターネットが普及し、役所や企業からの情報は誰でも直接手に入るのだから、仲介者としての「記者」はいらない、市民やブロガーがそれを入手し、ソーシャルメディアなどで共有し、議論を交わすことができれば、これまでのような「受け手」に終始するよりよほど有意義な形でニュースを消費できる――という意見がある。
 アメリカでもそうした議論があり、本編ですでに述べた通り、私はワシントン・ポスト紙の副社長をはじめ、現場の記者、米メディアの動向に詳しい学者らに意見を聞いた。また、実際に経営難で地方紙がなくなったアメリカのある地域における地方政治への影響についても、大学の調査結果などを紹介した。
 だが、トルコで見たような規模の「ジャーナリズム不在」はアメリカでも日本でも起きていない。その意味で、私はトルコで、まさにアメリカで議論されていること、つまりジャーナリズムを守り続けることがいかに大切で、私たちの市民生活にどれほど深く関わるか、それを守り、育てるために何をすべきなのかを実感した。本編を書き終えた後に起きたことだが、日本ではなかなか想像できない状況でもあり、最後にここで記しておきたい。

大治 朋子(おおじ ともこ)
東京都生まれ。一九八九年毎日新聞社入社。阪神支局、サンデー毎日編集部、東京本社社会部、英オックスフォード大学留学(ロイター・ジャーナリズムスタディー・フェロー)、ワシントン特派員を経て、現在はエルサレム支局長。二〇〇二年の防衛庁(当時)における情報公開請求者への違法な身元調査に関する調査報道、〇三年の防衛庁(同)自衛官勧誘のための住民票等個人情報不正使用についての調査報道で〇二、〇三年の新聞協会賞をそれぞれ受賞。ワシントン特派員時代は米国の対テロ戦争の実情を描いた長期連載「テロとの戦いと米国」、米メディアの再編に関する連載「ネット時代のメディア・ウォーズ」で、一〇年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞した。近著に『勝てないアメリカ――「対テロ戦争」の日常』(岩波新書)、共著に『ジャーナリズムの条件1 職業としてのジャーナリスト』(岩波書店)などがある。
目次
はじめに
第1章 岐路に立つ米新聞業界
コロンビア大学のジャーナリズム・スクールを訪ねる/オンライン報道をピュリツァー賞審査の対象に/主戦場はハイブリッド報道/ニューヨーク・タイムズ紙の人員整理/ピュリツァー賞受賞記者が解雇に怯える/自らの危機を報じたボストン・グローブ紙/経費も報道も三分の一の原則/広告費激減の背景/クレイグスリスト
第2章 ニュースはタダか
新聞不況の震源地/五人に一人が職を失う時代/記事閲覧をタダにしたのは失敗/経済紙が先行したウェブ有料化/NYT紙の決断/世論調査「課金の妥当額は三ドル」/課金、代行いたします/「付加価値」がカギ/フリーミアムという発想/紙とデジタル、両立の戦略/有料化の結果と波及効果/ワシントン・ポスト紙の「結婚」/新たなニュース消費の行方
第3章 ハイパー・ローカル戦略は生き残りのキーワードか
小規模な新聞社ほど強い/AP通信との契約見直し/地方紙連合の誕生/「ウィン・ウィン」のシステム/大きなメリットを生む方法/記事共有化は競争心を失わせるか/大手紙+地方紙連合/柔軟性を持たせた「対策」/ハイパー・ローカル・ニュースサイト/「狭さ」が広告にはいい?
第4章 NPO化するメディア
米ジャーナリズムの再建/「ウォーターゲート事件」取材統括の記者に会う/キーワードは多様化/寄付税制とNPO/老舗の生き残り戦略/既存メディアの「内部破壊」/二〇〇六年以降に急増したNPO/「小さいこと」は悪くない/これぞジャーナリズムの未来?/「生活の質を向上させる」報道/若き編集長にインタビュー
第5章 調査報道は衰退するのか
地元紙がなくなっても影響はない?/大学を拠点にする/既存メディアと競争せず協力する/トレンドはデータ集積型/最初の二年が勝負/広がる「相互乗り入れ」と連携/プロパブリカという巨人/毎年一〇〇〇万ドルを調査報道のために寄付したい/プロ・アマジャーナリズムの実践/最大のインパクトを狙う戦略/メディアのデータバンク化/ボトムアップの変革/ネット活用術を学ぶ/オンラインでジャーナリズム講座を配信/米ジャーナリズムの生命線/国際調査報道会議で見えたこと
おわりに