日本人には思いつかない「居酒屋英語」発想法 - ジェフ・ギャリソン

 一九七八年のある日のことだった。                       
 僕は東京・神田の古書店街にいた。店の名前は覚えていない。僕が書棚をあさっていると、無精ひげを伸ばした日本人男性がぶらぶら歩いてきて、いきなり僕に話しかけた。
「どんな本、探してるの?」                           
 I liked that. その一言で僕は彼が気に入った。
 僕は二度目(正確にいうと三度目)の日本滞在中であり、アメリカ・カナダ一一大学連合日本研究センター、俗称「スタンフォード・センター」で日本語研修を終えたばかりだった。最初に来日したときは早稲田大学国際部に通った。その後、アメリカのカリフォルニア州立大学を卒業。さらにカリフォルニア大学バークレー校の修士課程で日本の歴史や文化について学んでから、日本に舞い戻ったのだ。
 そして「スタンフォード・センター」を修了した頃、僕にとって最大の興味の対象は語学になっていた。ふたたびアメリカに帰り、バークレーで勉強を続けることもできたが、そのまま一、二年、日本に残り、学問とは違う世界で日本語を使ってみたいという欲求が強くなっていた。I was willing to see what came along. 神田の書店で声をかけられたのは、そんな時だった。
 もちろん早稲田時代にも、そして二度目に来日してからも、僕の周りには日本人がたくさんいた。It's Japan. What do you expect? しかし、突然、日本語で話しかけられることはきわめて珍しかった。たいていの日本人は、おずおずと、遠慮がちに、こんなふうに切り出すのである。
"Excuse me, but are you American?"
"Can I talk to you in English for a while?"
"Where are you from?"
 英語に自信のない日本人はけっして外国人に声をかけたりしない。一方、多少なりとも英語に自信のある日本人は、まず例外なく英語で話しかけてきたのだ。あの頃の東京ではまだ外国人が珍しかったから「この外国人をつかまえてちょっと英語を試してみよう」という下心が見え見えだった。
 Just imagine how you'd feel. 大好きな本屋で、大好きな本探しに没頭しているときに、見知らぬ他人から突然、「どこから来たの?」と聞かれて喜ぶ人間がいるだろうか。
 Doesn't matter whether you're a Japanese or a foreigner. 僕はそうした出会いに少少、うんざりしていた。
 しかし、無精ひげの男性が口にしたのは、 "Excuse me." でもなければ、"Where are you from?" でもなかった。本について聞いてきたのである。それはとても自然だった。
 There was none of the usual "Can I practice my English?" crap.
 僕たちは書棚の前で、日本語で短い立ち話をした。その後、彼はこれまた唐突に言った。
「今、ちょっと時間、ある?」
 I wondered what he had on his mind. だから彼に誘われるまま、裏道にあるコーヒーショップヘついていった。
  新しい出会いに心を開き、新しい友人と知り合えば、かならず何か新しいことが起こる。僕にとっては、あのとき、声をかけてくれた日本人、カマタとの出会いが新しい世界への扉となった。My life began to change the day I met Kamata.
 Ask someone about himself, listen to what he's got to say, you'll end up with a friend and his friends and their friends, too. カマタも僕に何人かの友人を紹介してくれた。そして、彼らのうちの一人が、当時、高円寺にあった居酒屋「狼煙」に僕を連れていってくれた。ひょんなことから僕はその店でバーテンダーのバイトをすることになり、そこで出版社の編集者と知り合い、編集者は僕に英語辞書の校正の仕事をしないかと誘ってくれた。そして辞書の仕事をする過程で顔なじみになった大学の先生たちが、僕に大学の英語講師の仕事を紹介してくれた……。
 That's life. 最初から身構えて計画し、賢く行動しようとしても、物事が予定どおりに展開するわけではない。かえって可能性が狭まり、本来、得られるはずだったものの多くが失われてしまう。
 Looking back on things..., まあ、当時もそう感じたはずだが、カマタは変わった日本人だった。
 たいていの日本人は、書店で隣にいたのが、たとえ同じ日本人であっても声をかけたりはしないだろう。これがアメリカ人なら、誰でも、どこでも声をかける。スーパーマーケットでも、映画館でも、飛行機や電車の中でも、見知らぬ相手に平気で話しかける。しかし、日本ではむやみに他人に話しかけないことが礼儀であり、下手に親しげな態度をとれば、その瞬間から「アブナい人」と思われてしまう。
 日本において唯一、それが許されるのは、おそらく居酒屋である。ふだんは慎み深く、恥ずかしがりやの日本人も、ひとたび酒が入れば人格が変わる。初対面の相手に向かって平気でジョークを飛ばし、赤裸々な打ち明け話をしたり、時にはまじめで深刻な議論を始めたりする、Nobody around gives a hoot.
 居酒屋こそは、日本人が "Excuse me." 抜きで語り合い、触れ合える唯一の場なのである。
 僕自身も居酒屋での体験を通して、少々、人格が変わったように思う。
 僕は本来、アメリカ人としては羞恥心が強いほうの人間である。とりわけ社交的でもないし、おしゃべりなタイプでもない。しかし、居酒屋「狼煙」でのバイトを通して、そんな人間関係も悪くないと思うようになってきた。
 日本には「袖すり合うも他生の縁」という諺がある。英語にも "Even a chance acquaintance is decreed by destiny." という、よく似た諺がある。どんな小さな出会いがどれほど大きな実りをもたらしてくれるかわからない。
 居酒屋で友達をつくるのに "Excuse me." はいらない。隣に座った相手に声をかけたいと思ったら、最初からその人が「友達」のような気持ちでふるまえばいいのだ。その場の状況に合わせて、できるだけ自然な言葉で話しかければいいのだ。カマタが神田の書店で僕に声をかけたときのように……。
 この本では、そんなふうにして大きな転機を迎えた僕の人生や体験を振り返りながら、僕が愛してやまない「言葉」がコミュニケーションにおいて果たす役割について語り、楽しい「居酒屋英語」を思いつくままに紹介してみたいと思っている。

ジェフ・ギャリソン(Jeffrey G. Garrison)―1948年、米国ヴァージニア州に生まれる。高校卒業後、自ら志願してベトナム戦争へ。20歳の誕生日翌日の戦闘で重傷を負い、傷病兵として1968年に初来日。 米国陸軍を除隊後、大学に進学し、早稲田大学国際部や語学教育研究所への留学を経て、カリフォルニア大学バークレー校大学院修士課程(東アジア学研究科日本・朝鮮専攻)修了、1977年に3度目の来日後は日本在住。小学館での辞典編集・構成、「ニューズウィーク日本版」トップチェッカー、国際会議での同時通訳、居酒屋店員、プロボクシングの公式レフェリー、中央大学東洋大学講師などを経て、1991年より駒澤短期大学英文科で教える。専門はアメリカ演劇、20世紀アメリカ文学。2006年4月に駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授に就任。
著書には『日本語イディオム辞典』『"BODY" LANGUAGE』『動物の慣用句集−日本語と英語はこんなに違う』(共著)『COMMUNICATING WITH KI−「気」の慣用句集』(共著)(以上、講談社インターナショナル)、翻訳書には『BEYOND POLITE JAPANESE−役に立つ話しことば辞典』(講談社インターナショナル)などがある。

日本人には思いつかない「居酒屋英語」発想法 (講談社プラスアルファ新書)

日本人には思いつかない「居酒屋英語」発想法 (講談社プラスアルファ新書)

目次

編者からのまえがき

序章 「エクスキューズ・ミー」はいらない
Prologue: Forget "Excuse me."
  (!)今宵あなたと居酒屋へ

第一章 ずっと路上生活だった
Chapter 1: Life on the Road
 一-1 ヒッチハイク天国
  (!)困ってる人に声をかけよう
 一-2 森のなかから現れた人
  (!)ご一緒しませんか?
 一-3 信州の禅寺で修行の日々
  (!)ちょっと納得できない
 一-4 富士山で見た「ゴミの海」
  (!)幻滅したよ
 一-5 北海道の牧場で将棋を覚える
  (!)教えてあげる
 一-6 早稲田キャンパス・ライフ
  (!)野次馬見物
 一-7 一九七〇年代、高円寺の夜
  (!)別れのセリフ①
 一-8 後ろ髪を引かれつつ、アメリカヘ帰る
  (!)別れのセリフ②

第二章 人生の岐路に立つ
Chapter 2: The Crossroads of Life
 ニ-1 三つの人生の選択肢
  (!)迷ってしまう
 ニ-2 僕は海軍基地で生まれた
  (!)夢と希望を語ろう
 ニ-3 一九歳でベトナム行きを志願
  (!)とっても不満
 ニ-4 二〇歳の誕生日の翌日に
  (!)たいへん、事故だ!
 ニ-5 軍隊生活に別れを告げる
  (!)挫折しそう……
 ニ-6 「国旗侮辱」事件
  (!)警察に呼び止められたら

第三章 わが生活の糧
Chapter 3: Making a Living
 三-1 四畳半風呂なし共同トイレの生活
  (!)大丈夫、なるようになるさ
 三-2 英会話講師のアルバイト
  (!)お金にまつわる気の利いたセリフ
 三-3 外国人バーテンダー
  (!)バーテンダーのセリフ
 三-4 辞書編集は最高の仕事
  (!)ありがとう、感謝の言葉
 三-5 摩詞不思議な日本の大学
  (!)人を説得するセリフ
 三-6 クビにならない教師たち
  (!)先生に質問します
 三-7 異色のレフェリー誕生!
  (!)声援を送ろう
 三-8 「ギャリソン問題」大学を揺るがす
  (!)断固、抗議する言葉
 三-9 新設学部の教授に就任する
  (!)感動したーっ

第四章 二〇年以上におよぶ翻訳生活
Chapter 4: Translating Life
 四-1 某有名劇場「誤訳」事件
  (!)芝居や映画の話をしよう
 四-2 翻訳サポートの必要性を痛感
  (!)友を激励する言葉
 四-3 日本人がつくる英語辞典
  (!)女性を礼賛するセリフ
 四-4 死語的な発想を無視した教科書
  (!)ひたすらあやまります
 四-5 『ニューズウィーク日本版』創刊
  (!)体調が悪いので……
 四-6 英語と日本語が交錯する編集部
  (!)疲れたよ、早く休みたい
 四-7 グレイハウンド・バス「置き去り」事件
  (!)言い訳の言葉

第五章 僕の私生活
Chapter 5 : Living a Life
 五-1 燃えた山小屋
  (!)あー、びっくりした!
 五-2 三度の国際結婚の現実
  (!)喧嘩のセリフ
 五-3 一世一代の恋
  (!)恋人に捧げる言葉
 五-4 冷凍ウナギとイカの燻製
  (!)食品スーパーでのやりとり
 五-5 クレイマー・クレイマー生活
  (!)子どもだちとの会話
 五-6 初めての会話の突破口は……
  (!)初めまして、の代わりに
 五-7 三カ国語が入り乱れる家庭
  (!)夫婦の会話
 五-8 僕たち家族の将来
  (!)僕の好きな人生の名言

終 章 言い訳はいらない
Epilogue: No Excuses