視点人物と代名詞

J.M.クッツェーといえば、南アフリカに生まれ、オーストラリアのアデレードに移住した作家で、二度のブッカー賞受賞(1983年、1999年)を始めとして数々の文学賞を手にし、2003年にはノーベル文学賞をも受賞したことで有名であるが、そのクッツェーの小説 The Childhood of Jesus (2013) を読んでいて、ふと気がついたことがある。

代名詞は視点人物から読み解くことができる、というのがそれだ。たとえば、小説を読んでいたら、"he" に出くわす。候補となる人物は複数いる。この "he" はどの人物のことだろうか? と考える。そこで「誰がこの語りの視点人物か?」を問うてみる。すると、すぐに "he" が誰のことを指しているかが判明するのだ。例を挙げる。

下に引いたパラグラフの登場人物は ÁlvaroSimón だ。二人は港湾労働の上司と部下の関係である。半ドンの午後、現場監督 Álvaro は、football の試合を見に行かないかと、新米労働者の Simón を誘う。引用箇所は会場のスタンドで二人が試合を観戦している場面である。


 Álvaro seems in a good mood, excited, even ebullient. He is glad of that, grateful too for being singled out to accompany him. Álvaro strikes him as a good man. In fact, all of his fellow stevedores strike him as good men: hard-working, friendly, helpful.

主語に注目して欲しい。第1文の主語は Álvaro であり、第2文の主語は He である。He って誰のこと? さらっと読んでしまうと、He = Álvaro と解釈しそうになるが、それは間違いだ。正解は He = Simón である。
なぜか。視点人物を考えよう。誰がこれを語っているのかを考えよう。そうすると答えが見えてくる。一般的に視点人物は主人公である。この小説の主人公は Simón であり、ここでの視点人物も Simón である。
第1文において、たとえ主語が Álvaro だろうと、視点は Simón である。つまり、Simón から見て「Álvaro は〜である」と述べているのだ。述部に使われている言葉を見ると、"in a good mood"、"excited"、"ebullient" であることがわかる。どれこれも、気持ちを表す言葉だ。つまり、第1文は、Álvaro の気持ちについて述べている。ただし、この文は飽くまでも視点人物 Simón から見た Álvaro の描写なので、その内面を勝手に断言する形にはできない。そういったわけで、第1文の動詞は "seem" である。つまり断言していない。
話を戻す。第1文を見ると、主語は Álvaro だが、視点は Simón である。 第2文も当然、視点は Simón である。ここで、第2文の述部を見てみると、"is glad of 〜" であることがわかる。使われている動詞 "is" は、"seem" とは違い、断言である。そして "glad" は、気持ちを表す言葉である。つまり、第2文は He の気持ち(=内面)について、 "glad" だと断言している文である。人の内面について断言できる人物は誰か? 考えるまでもなく、本人だ。この文における本人とはつまり、視点人物である。そうすると、第2文の He は、視点人物すなわち Simón だと解釈できる。つまり、He = Simón が正解だ。Álvaro ではない。
蛇足かも知れないが、第2文の最後に出てくる him についても考えてみよう。単純にこの him も 最初の He 同様に Simón かと思ったら大間違いで、こちらの him は Álvaro のことだ。たとえ代名詞 He/him が近い位置に出現したからといって、同じ人物を指すとは限らない。文脈によって誰のことを指すのかを判断しなければならない。

The Childhood of Jesus

The Childhood of Jesus