第151回芥川賞候補その2 - 小林エリカ「マダム・キュリーと朝食を」

 私たちがスフレの中心温度より、惑星や太陽の中心温度のほうをよく知っているというのは奇妙なことである。
――ニコラ・クルティ

 母たちが街を乗っ取ることに成功したその年に、私はこの世に生まれました。ある日、人間たちは遂に、私たちにキッチンを、寝室を、トイレを、風呂場を、コンビニエンスストアを、レストランを、公園を、学校を、病院を、何もかもを明け渡したのです。それは記念すべき日でした。母たちは勝利の声をあげて高らかに鳴きました。勿論、それまでだって母たちは猫らしく人間たちの家を乗っ取り暮らしておりましたが、いつか街をまるごと全部自分たちの手に入れることを虎視耽々――そうです、実に我らが同胞虎のように!――と狙っていたのですから。
 母たちの乗っ取った街は、それは素晴らしいものでした。小さな幾つもの家々、フルーツの実る畑、牛や馬や豚の牧場、ショッピングプラザなんかもありました。街では、私たちは好きな時に好きなだけ食事をして、好きな場所で眠ることができました。レストランの冷蔵庫の中に眠っていた、たっぷりしたフォアグラや、キャビアをたらふく食べました。私たちは空き家に忍び込んで探検をしたり、散らかったままの洋服やタオルの上で飛び跳ねて遊びました。放たれたダチョウやイノシシ、カラスなんかには気をつけなくてはなりませんでしたが、私たちは自由でした。母たちはそこを、母たちの、私たちの街として〈マタタビの街〉という意味を持つ名で呼び習わしました。そうです。あの街は、それほどまでに夢のような場所だったのです。もう、猫だからといって人間たちから耳を引っ張られたり、怒鳴られたり、嫌という程撫で回されたり、挙げ句の果てには去勢されるだなんてこともないのです。母たちはシロツメクサが一面に咲く野原や瓦礫の中でフリーセックスを謳歌し――ちょうど春がはじまったばかりでしたし――、そうして生まれたのが私というわけです。
 可哀想な犬や牛はつながれたままおんおん鳴いて、みるみる痩せ衰えて死んでゆきました。身体には蛆がわき蠅がたかり哀れで気の毒な気がしましたが、それは人間に隷属していた報いなのだ、と心では囁きました。私たちは私たちの街を手に入れたという喜びに満たされていましたし、そんな惨めったらしいことはすぐにきれいさっぱりと忘れてしまいました。
 私は母のおっぱいからでるミルクを思う存分に飲み、真っ白くてやわらかな体毛と甘い匂いに包まれながらすやすやと眠りました。まだ目の青い兄弟姉妹たちと喧嘩をすることもありましたが、それもじゃれあっているうちのことです。眠りから覚めてゆっくりと目を開けると、アスファルトや土や空はいつも光り輝いて見えました。私の記憶の中にある〈マタタビの街〉はまさに天国そのものみたいなのです。
 皮肉にも、そこに暮らしていた私の母や仲間たちが本当の天国行きになったかもしれないなどということを聞かされたのは、ずっと後になってからのことです。
 今、私は東の都市に暮らし十年を迎えます。ここには人間が大勢居ますが、それなりにうまくやっているつもりです。そもそも私たちはこの世に生まれるときから、人間が思うよりはるかによく人間のことを学び知っているのです。これは、幾年人間と共にある私たちが、よりよい猫生活を手に入れるための常識であり、知恵でもあります。私はとりわけ人間たちの歴史や行動に詳しい方でしたので、人間の心を奪うことは、少しも難しくありませんでした。いまはマンションの幾つかの部屋を行き来し、疲れた身体は屋根の上で癒やす、快適な生活です。かの冒険の途中で片目の視力を失いはしましたが、私は持って生まれた魅力で人間たちの心を摑み、思い通りの暮らしをしています。いわゆる幸福な日々を過ごしているといっても過言ではないでしょう。
 しかし、私は母を、〈マタタビの街〉を、想ってひとりこっそり鳴いてしまうのです。

 きみはあんな場所から助けられ、実にラッキーだった。
 ここへやってきたはじめの頃から、何度も何度も、人間たちから口々に言われ続けました。その度に、私は大層憤慨したものです。

 とんでもない、あそこは天国のような場所なのだから。ここなんかよりあそこはずっと素晴らしいところ。
 ですが、皆、一様に私の言葉を信じようとしませんでした。あるいは、私が何も知らないことを可哀想にと哀れんで心を痛めていたのかもしれません。
マタタビの街〉から人間が出て行ったのは、私たちに街を譲るためなんかではない、と人間は言いました。北の町には大きな地震津波がやってきて、放射性物質という私たちの目には見えても人間の目には見えないものが空から降ってきて、とても危険だから人間は私たちを置いて西へ逃げ出したのだ、と。
 私はその時はじめて、〈マタタビの街〉で光り輝いて見えていたものが何であるかを、ようやく理解しはじめました。
 第一、人間が逃げ出すくらいなのだから、私たちにとってもそれは至極危険に違いない。
 光っているものを食べたり、光っている場所に長く居るだなんて、もってのほか。
 遂には私たちの仲間さえそんなことを言い出す始末です。
 それに、考えてもごらん、私たちの種族がどれだけ長い間、野生から切り離された生活をしていたと思う?まったく人間無しでなんの知恵もなく、いきなり野生の

すばる 2014年 04月号 [雑誌]

すばる 2014年 04月号 [雑誌]

小林エリカ(こばやし えりか)
1978年東京都生まれ。作家・マンガ家。99年アニメーション作品でデビューの後、コミックや小説を発表。2007〜08年アジアン・カルチュラル・カウンシルの招聘でアメリカ、ニューヨークに滞在。現在、東京在住。著書は“放射能”の歴史を巡るコミック『光の子ども1』、作品集に『忘れられないの』、小説にアンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』、『空爆の日に会いましょう』、詩をベースにしたコミック『終わりとはじまり』など。コラボレーションは、12年シンガーPhewとProject UNDARKとしてDieter Moebius楽曲提供のCDアルバム「Radium Girls 2011」など。10年よりクリエイティブ・ガールズ・ユニット〈kvina〉(クビーナ)としての活動も。

〈作品〉『空爆の日に会いましょう』2002年マガジンハウス刊。『終わりとはじまり』06年マガジンハウス刊。『親愛なるキティーたちへ』11年リトル・モア刊。『忘れられないの』13年青土社刊。『光の子ども1』13年リトル・モア刊、等。