謝るなら、いつでもおいで - 川名壮志

10年前の「佐世保小6同級生殺害事件」。命を奪われた御手洗怜美さんの父親は毎日新聞佐世保支局長だった。『謝るなら、いつでもおいで』の著者川名はその部下。支局長と家族ぐるみの親しい付き合いをしていた川名だけに、事件が起きた当時、ショックは大きかったという。本書は10年をかけて綴った、事件のその後。

―『謝るなら、いつでもおいで』を出版することに至った経緯と心境を聞かせてください。
 この事件の加害者は11歳の幼い女の子でした。まだ小学6年生。そして殺された女の子のお父さんは僕の上司で、ベテランの新聞記者でした。僕はまだ入社2年目ぐらいの新米記者だったんですけど、佐世保という田舎の小さな支局だったので、わりとのんびりと仕事させてもらってたんです。上司ひとりに、若手記者が僕を含めて2人だけ。本当に小さい支局なので、お互い密な関係だったんです、男3人が一日中顔付き合わせてますから。そんなところに事件が起きたので、もうパニックでした。
 僕は亡くなった女の子とも日常的に顔を合わせていたんです。その子が殺されたなんて、なかなか現実味がわかなくて、完全に頭の中が真っ白でした。頭が追いつかなかった。受け止めるのにすごく時間がかかったように思います。
 事件の渦中でも、僕は記者としての業務があるので、目の前のことだけで一日一日が精一杯、取材や記事の執筆なんかに必死だったんです。でも仕事で突っ走りながら、ちょっと消化不良というか、“やり残してる感”があるというか、まだ自分は事件の核心に立ち会っていないのかもしれないなという思いが頭をよぎるんですね。そんなもどかしさがあって、この事件のその後をずっと追っていたんです。それは別に会社から求められて、じゃなくて、「記者」として、「隣人」として、なんですけど。
 痛ましい事件というのは世の中にいろいろありますが、その被害者像っていうのは、悲しみに明け暮れて、立ち直れなくて、加害者を恨んで…っていうイメージがけっこうあると思うんです。でも、実際に僕が事件の「その後」をずーっと追いかけていったら、こちらの想像をはるかに超えるような人間の豊かさが出てきた。ハッとさせられました。
 ただ、そういった後日譚というのは新聞記事には、なかなか向かないんですよね。新聞ってやっぱり、その日その日のフレッシュな情報を提供してナンボという面がありますから。このたび1冊の本にとして世に出させていただく機会をいただいて、本当にありがたいことだと思っています。

謝るなら、いつでもおいで | 集英社学芸部 - 学芸・ノンフィクション

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