イエス・キリストは実在したのか? - レザー・アスラン

以前 レザー・アスラン博士の記事を書いたが、昨年7月に翻訳書が出版されていたので、紹介しておく。

 革命のエネルギーに満ちていた一世紀のパレスチナ
ナザレのイエス」と呼ばれた人物について、何か一つでも知ることは奇跡に近い。世も終わりだと叫びながら村から村へと渡り歩く説教師、そのうしろにはぼろをまとった信奉者の一団がついてゆくという光景は、イエスの時代にはめずらしくなかった。実際、あまりにもよく見かけるので、ローマ人のエリートの間で面白おかしく揶揄されていたほどである。ギリシアの哲学者ケルソスは、まさにそのような人物を想像して、「私は神であり、神の僕であり、聖霊である。私が来たのは、世界がすでに破壊と混乱の真っただ中にあるからだ。やがて私が天の大いなる力を帯びて現れるのをあなたがたは見るであろう」と独りごとのように叫びながらガリラヤの片田舎を歩き回るユダヤ人聖者の姿を描いている。
 ローマ帝国支配が今日のイスラエルパレスチナばかりでなく、ヨルダン、シリア、レバノンにまで及んでいた一世紀のパレスチナ(公式にパレスチナと呼ばれるようになるのは紀元一三五年以降でそれまでは非公式な呼称)のユダヤ人の間には、終末期待が広がっており、今にも神の審判が下されると聖地の隅々にまで触れ歩く預言者、説教者、メシアが大勢いた。「偽メシア」と呼ばれた者の名前を私たちはたくさん知っている。その一部については「新約聖書」に記されてもいる。「使徒言行録」に登場する預言者テウダはのちにローマ人に捕えられ、首を刎ねられたが、弟子は四〇〇人もいたという。「エジプト人」という呼び名しか知られていない、カリスマ性のある怪しげな人物は、砂漠で大勢の信奉者を集めたが、そのほとんど全員がローマ軍によって虐殺された。ほとんどの学者が「ナザレのイエス」の生まれた年としている紀元前四年には、アスロンゲスという名の貧しい羊飼いが頭に王冠を載せ、自分は「ユダヤ人の王」だと名乗った。彼とその信奉者は兵士たちに無惨に切り殺された。「サマリア人」と呼ばれていただけのもう一人のメシア志望者は、軍隊を立ち上げたわけでもなく、ローマに挑戦する様子などまったくなかったのに、ローマのユダヤ総督ポンテオ・ピラトによって十字架に架けられた。熱っぽい終末論を唱える者には、当局は煽動者の匂いをとりわけ敏感に嗅ぎつけるようになっていたのだ。反体制ギャングのリーダー、ヒゼキヤ、ペレアのシモン、ガリラヤのユダ、彼の孫のメナヘ厶、ギオラの息子シモン、コホバの息子シモンらはみな、メシア的な野心をあらわにしたため、全員がその行為により殺害された。他にも、一世紀に死海の北西部の高台にあるクムランに隠れ住んでいたエッセネ派ユダヤ人で、ローマに対する命がけの戦いの先駆けになる「熱心党員」と呼ばれる革命家集団や、ローマ人から「シカリイ」とあだ名が付けられていた恐れ知らずの暴徒・暗殺者集団など、一世紀のパレスチナから浮かび上がる光景にはメシア的エネルギーがみなぎっていた。
ナザレのイエス」が、そのような当時知られていたいくつもの宗教がらみの政治運動のどれかに属していたとはっきり位置づけるのはむずかしい。彼は相矛盾する言葉を多く残している人物で、ある日には、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(「マタイ」一五章二四節)と人種差別を当然視するような発言をし、別の時には、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(「マタイ」二八章一九節)と、人類を分け隔てなく扱う善意を示してもいる。無条件の平和を呼びかけて、「平和を実現する人々は、幸いである、その人々は神の子と呼ばれる」(「マタイ」五章九節)と語ることもあれば、「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」(「ルカ」二二章三六節)と暴動や闘争を奨励するようなことも言っている。

レザー・アスラン(Reza Aslan)
作家、宗教学者。1972年テヘラン生まれ。イラン革命時に米国に渡る。聖書を徹底的に読むなかで、歴史の切迫した事情によって意図的に除外された重要な真実に気づき、宗教学者として、キリスト教が発足する前のイエスの実像に迫る研究を20年近く続け、その成果として本書を著す。歴史上のイエスキリスト教誕生の経緯を解き明かした本書は、全米でセンセーションを巻き起こし、20万部を超える大ベストセラーとなる。世界25カ国で翻訳出版の予定。現在、カリフォルニア大学リバーサイド校創作学科助教授。CBSニュース、ABCナイトラインなどのTV番組の中東アナリストを務め、『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』などにも寄稿。

イエス・キリストは実在したのか?

イエス・キリストは実在したのか?

目次
□第1部 ローマ帝国ユダヤ教
プロローグ テロリストよ、祭司を刺せ!
第1章 ローマ帝国と手を結ぶユダヤの大祭司たち
第2章 「ユダヤ人の王」ヘロデの実像
第3章 ヘロデ王は、赤子大虐殺などしていない
第4章 地上の革命を求める者たち
第5章 世界最強帝国に宣戦布告する
第6章 聖都壊滅という形で現実化した「世の終わり」

□第2部 革命家、イエス
プロローグ イエスはなぜ危険視されたのか?
第7章 イエスの蔭に隠された洗礼者ヨハネ
第8章 善きサマリア人の挿話の本当の意味
第9章 無償で悪魔祓いをする男
第10章 暴力革命も辞さなかった男
第11章 イエスは自分を何者と見ていたのか?
第12章 ピラト裁判は創作だった

□第3部 キリスト教の誕生
プロローグ 「神」になったイエス
第13章 ユダヤディアスポラから生まれたキリスト教
第14章 パウロキリスト教世界宗教にした
第15章 イエスの弟ヤコブが跡を継いだに見えたが……
エピローグ 歴史に埋没したナザレのイエスの魅力