第152回芥川賞候補その1 - 小野正嗣「九年前の祈り」

 渡辺ミツさんのところの息子さんが病気らしい。母がそう言うのが聞こえたとき、さっきから喋り続ける母を無視して携帯の画面を見るともなく眺めていた安藤さなえを包んだのは、柔らかい雨のような懐かしさだった。
 「みっちゃん姉!」とさなえはささやいた。
 病気という不穏な言葉にもかかわらず、そしていま彼女が置かれた見通しの決してよいとは言えない展望にもかかわらず、急に雲間から一筋の光が差し、「渡辺ミツ」という名がさなえを照らした。
 その優しい光のなかに、ひざまずいて祈る一人の初老の女性の姿が見えた。赤いリュックを背負った小柄なおばちゃん、みっちゃん姉が頭を垂れ、握り合わせた拳の上に額を乗せていた。いつまで祈るつもりなのだろう。なかなか起き上がろうとしない。そこは教会のなかだった。モントリオールの教会。ステンドガラスを通して落ちてくる、えも言われぬ色合いの流体のような不思議な光で満たされていた。みっちゃん姉のことを思うと、さなえがかつてこの郷里の町に住んでいたころに行ったカナダ旅行の記憶へと連れ戻される。浮かび上がったみっちゃん姉の姿は、しかし母の声によって破られた。
 「息子さんは相当悪いらしいわ……」
 そしてひとつ大きくため息をついてから母は続けた。
 「あんたがこげなことになったもんじゃから、みっちゃん姉に顔を合わせにくうなった」
 さなえは黙っていた。こんな保守的な片田舎でもひとり親家庭はもはやそんなに珍しいことではないはずだ。さなえの中学校の同級生のなかには四人も離婚経験者がいると、訊かれもしないのに呆れたように嘆息したのは母だった。一学年一クラスで十九人しかおらず未婚の者もいることを思えば、かなりの数だ。帰省してすぐ、高校のクラス会の案内が来ていると葉書を母に渡された。行けば、さなえのようなシングルマザーも何人かいたのかもしれない。しかしそんな気にはなれなかった。どうせ暇なんじゃから、と母は暗に非難した。父は何も言わなかったが、母と同じ考えなのはわかった。
 今年三十五になるさなえは、半年ほど前に息子の希敏(けびん)を連れて東京からこの海辺の小さな集落に戻ってきた。七年も帰省していなかったことになる。希敏の父となる男――この土地の言い方を真似ればガイコツ人、つまり外国の人で、カナダ人だった――と東京で同棲するようになったとき、世間体を気にする両親はいい顔をしなかった。母はしょっちゅう電話をかけてきた。同棲を始めて最初の一年くらいは電話での一言目と最後の言葉はつねに「いつ式を挙げるのか? 品が悪い」だった。あんパンの皮だけ食べるような会話だった。一言目と最後の言葉だけが大切であって、あんこの部分、中身の会話は母にとっては無意味だった。同棲相手のフレデリックと母は電話で話そうとしなかった。フレデリックが喋りたがっていると言うと、母はそういうときだけさなえに対して心から感心したように言った。「おまえとちごうて英語はわからんから」
 そんな娘を育て上げた自分に対する礼讃だったかもしれない、だからさなえはフレデリックが、さなえの英語以上に日本語を理解していることは黙っていた。母が彼と話そうとしないことが結果的には幸いした。希敏が一歳の誕生日を過ぎたあたりからフレデリックはもう家に戻らなくなっていたからだ。
 希敏はフレデリックと暮らすようになって三年が過ぎてようやくできた子だった。希敏が生まれる前、電話をかけてきた母はひどく深刻な声で、「もしかして、おまえ、犬を飼っているのか?」と訊いてきた。またか、と腹が立った。ソファの上に放った携帯電話からはスピーカーにしていないにもかかわらず、母の声が聞こえてきた。「犬を飼っておったら、情が全部その犬に移って子供ができんことなる」
 母によれば、それは太陽が東から昇り月が満ち欠けするのと同様の普遍的な真実だった。「宮田の香織ちゃんも西川の千絵ちゃんも川上のよっちゃんも犬を飼うのをやめた途端妊娠した」と母は力説した。しかも宮田の香織ちゃんは母の助言を聞き入れてそうしたのだ。その結果、いまでは三人の子供――「それもみな男じゃ!」と叫ぶ母の声はほとんど賛嘆の念で震えていた――に恵まれた。「言うてよかった、香織ちゃんのお母さんにも会うたびに礼を言われる」と母は得意げに言い添えた(このやりとりのことを思い出すと、大学時代につき合っていた熊本出身の不幸な男のことを思い出した。その男はセックスをするたびに、小さいころに親も同然の飼い犬を捨てられたと不思議なことを言った)。
 そして、ついにさなえに子供ができた。たしかに時間はかかった。だが生まれてきたのが男の子だという事実は、母には何よりも重要だった。さなえの同級生や知り合いに子供が生まれたと電話で朗報を伝えながらも、「じゃが、またおなごじゃったらしいわ」とか「ほんとは坊がよかったらしいわ」と余計な一言を付け加えずにはいられない母だった。さなえが息子の画像を送るたびに、「見えん! もっと大きなやつを送ってくり!」と瞬時に電話をかけてきた。送信し直すと、思わず携帯電話から耳を離してしまうほど絶叫した。
 「なんと、なんと、なんと! かわいやのー! 見てみい、このおおけな目を! 赤児じゃのに、こげえ鼻がたかえ!

群像 2014年 09月号 [雑誌]

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九年前の祈り

九年前の祈り

小野正嗣(おの まさつぐ)
1970年大分県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得満期退学、文学博士(パリ第8大学)。立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授。

〈作品〉『水に埋もれる墓』2001年朝日新聞社刊=第12回朝日新人文学賞受賞。『にぎやかな湾に背負われた船』02年朝日新聞社刊=第15回三島由紀夫賞受賞。「水死人の帰還」02年文學界10月号=第128回芥川賞候補。『森のはずれで』06年文藝春秋刊=第28回野間文芸新人賞候補。「マイクロバス」08年新潮4月号=第139回芥川賞候補(単行本は08年新潮社刊)。『浦からマグノリアの庭へ』10年白水社刊。『夜よりも大きい』10年リトルモア刊。『ヒューマニティーズ 文学』12年岩波書店刊。「獅子渡り鼻」12年群像11月号=第148回芥川賞候補(単行本は13年講談社刊)他。翻訳に、アミタヴ・ゴーシュ『ガラスの宮殿』(小沢自然との共訳)07年新潮社刊。Tôge Sankichi, Poèmes de la bombe atomique(峠三吉『原爆詩集』のフランス語訳。Claude Mouchardとの共訳)08年Éditions Laurence Teper刊。マリー・ンディアイ『ロジー・カルプ』10年早川書房刊。マーサ・C・ヌスバウム『経済成長がすべてか? デモクラシーが人文学を必要とする理由』(小沢自然との共訳)13年岩波書店刊他。