キリスト教神学概論 - 佐藤敏夫

本書は神学の入門書であり、佐藤優が『神学の履歴書: 初学者のための神学書ガイド』の中で勧めている本である。

    第二節 律法と律法主


 ユダヤ教史の中でイエスの時代はいわゆる律法主義の極めて盛んであった時代である。この時代よりもっと律法主義が盛んになり、頂点に達するのは、イエスの死後、ユダヤ戦争でエルサレムが陥落し、神殿が消失した時である。それと共に、神殿に仕える祭司階級であるサドカイ派は没落する。それだけ、神殿を失ったユダヤ民族は律法に民族的拠りどころを求めることになる。そこで律法を重んじるパリサイ派が台頭する。ユダヤ教は神殿喪失後、ヤムニヤ会議を開き、ユダヤ教の正典を決定し、その伝統的解釈をパリサイ派のラビたちが握ることになり、ラビ的ユダヤ教が主流を形成する。
 しかしイエスの時代は、サドカイ派パリサイ派ユダヤ社会において二大党派を形成し、両々相対立していた。イエスはこれらのうち思想的にはパリサイ派に近い所にあった。というのはサドカイ派はいわば国粋派で、復活とか、天使とかいうようなイラン系の思想を受け入れなかったが、パリサイもイエスも受け入れていたからである。しかし、福音書においては、イエスは主としてパリサイを批判の対象とする。その批判点は偽善と高慢である。
 偽善についてはイエスは次のように言う。

「偽善な律法学者パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法のなかでもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない」。
「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたはわざわいである。杯と皿との外側は清めるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている」。
「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたかたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なもので一杯である。このようにあなたがたも、外側は人に美しく見えるが、内側は偽善と不法とで一杯である」(マタイ二三・二三、二五、二七-二八)。
 高慢についてはイエスの次のような有名なたとえ話がある。自分を義人だと自任して、他人を見下げている人たちに対する話である。パリサイと取税人が祈るために宮に上った。パリサイはこう祈る。「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています」。ところが、取税人は遠くはなれて立ち、目を天に向けようともせず、胸を打ちながら言う。「神様、罪人のわたしをおゆるしください」イエスは「神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(ルカ一八・九-一四)。
 このようにイエスが偽善と高慢を糾弾するとき、かれが注目するのは律法そのものではなく、いわゆる律法主義である。一方では、それは人間をして内面より外面に目を向けさせる。「公平とあわれみと忠実」よりも、宮に十分の一を納めるという外面的行為を重んじ、外面はきれいに見せながら、内側は貪欲と放縦に満ち、外側は美しく整わせながら、内側は虚偽と不法で一杯である。法は一般にこういう限界をもつ。道徳との違いである。イエスは律法主義の弱点としての偽善を鋭く衝くのである。

キリスト教神学概論

キリスト教神学概論

序言
    教義学序説
第一章 神学と教会
 第一節 教会なければ神学なし
 第二節 神学なければ教会なし
 第三節 教義学の解体と再建
 第四節 神学における教義学の位置
第二章 教義学と伝統
 第一節 教義学と聖書学
 第二節 伝統とはなにか
 第三節 教会の伝統と教義学
第三章 教義学的陳述とメタファーならびにストーリー
 弟一節 ティリッヒにおける象徴
 第二節 ブルトマンにおける神話
 弟三節 メタファーとストーリー
第四章 聖書の権威と教会
 第一節 聖書の権威
 第二節 聖書と伝承(統)、ならびに正典の問題
 第三節 聖書の統一性
 第四節 聖書批評学と近代歴史概念
 第五節 神の言葉としての聖書
第五章 啓示について
 第一節 神の行為としての啓示
 第二節 神の言葉としての啓示
 第三節 一般啓示と特殊啓示
付論1 キリスト教と諸宗教
 第一節 日本人キリスト者の置かれている状況
 第二節 キリスト教と諸宗教に――熊野義孝の場合
 第三節 ラーナーとバルト
 第四節 総括
    教義学各論
  神論
第一章 三位一体の神
 第一節 唯一なる神と三位一体
 第二節 二つの三一論
 第三節 内在的(永遠的)三一綸
 第四節 経綸的(救済史的)三一論
 第五節 内在的三一論と経綸的三一論の関係
第二章 神の本質と属性
 第一節 神の本質と属性の関係、ならびに神の本質

 第二節 神の属性
第三章 永遠の選び
 第一節 予定説の意義
 第二節 二重予定説について
 第三節 選びの本質
  創造論
第四章 創造について
 第一節 創造の概念
 第二節 創造への信仰
 第三節 創造と契約
 第四節 キリスト教と自然
第五章 摂理について
 第一節 創造と摂理
 第二節 保持と共働
 第三節 統治
 第四節 摂理の比論
第六章 神の似姿としての人間
 第一節 神の似姿の概念
 第二節 被造物としての人間
 第三節 他者と共にある人間
 第四節 心と体と霊
第七章 人間の罪
 第一節 罪の本質
 第二節 原罪
 第三節 罪の諸定義
 第四節 聖霊をけがす罪
第八章 奇跡、天使と悪魔、悪
 第一節 奇跡
 第二節 天使と悪魔
 第三節 悪について
  和解論
第九章 イエス・キリスト――受肉
 第一節 永遠ガ時間ノナカニ突入シタ
 第二節 マコトニ神、マコトニ人(vere Deus, vere homo)
 第三節 神性と人性
 第四節 史実的イエスと聖書的キリスト
第十章 イエス・キリスト――十字架
 第一節 十字架の必然性
 第二節 十字架の意味
第十一章 イエス・キリスト――復活
 第一節 十字架と復活
 第二節 高挙(復活・顕現・昇天・主として立てられる)
付論2 律法と福音
 第一節 契約と律法
 第二節 律法と律法主
 第三節 律法に対するイエスパウロ
 第四節 律法の用法
 第五節 自然法の問題
第十二章 救済論
 第一節 救済の諸相
 第二節 新生
 第三節 義認
 第四節 聖化
 第五節 和解
第十三章 信仰・希望・愛――キリスト教的生活
 第一節 信仰
 第二節 希望
 第三節 愛
第十四章 聖霊について
 第一節 最近における聖霊論の動向
 第二節 吹きわたる聖霊
 第三節 生命の諸次元と霊
第十五章 教会論
 第一節 神の民としての教会
 第二節 制度としての教会
 第三節 出来事とキリストの歴史的身体――教会
 第四節 教会の標識
 第五節 礼拝共同体(Kultgemeinschaft)としての教会
  終末論
第十六章 終末論
 第一節 終末について
 第二節 キリストの再臨と審判
 第三節 体の復活と永遠の生命、神の国
付論3 日本のプロテスタント神学を振り返って(教義学を中心に)
 第一節 福音主義
 第二節 植村・海老名基督論論争
 第三節 波多野精一と中島重
 第四節 高倉徳太郎の福音的キリスト教
 第五節 弁証法的神学
 あとがき
 人名索引
 事項索引