家族の哲学 - 坂口恭平

「ちょっとしつれいしまーす」
 アオの声だ。私の書斎には鍵がない。だから誰でも簡単に入れてしまう。最近ではゲンの手も届くようになってきてしまった。私は一人でもんもんと書きなから、ああでもないこうでもないと悩んでいるのに、二人は何の気がねもしない。アオは、こちらの最悪の気分は理解しつつも、そんなに悩まなくてもいいではないか、と老成したような落ち着きをもって「ちょっとしつれいしまーす」と小ばかにしたような声を出す。
 私は自分が錯乱していることをとても恥ずかしく思った。娘を見ていたら、引きこもり、死にたいと願っている自分がばからしくなってきた。
 これはアオの技なのだろうか。そう思わせるほど見事な気分転換が私の中で起きた。
 もちろん、だからと言ってすぐに体が軽くなるわけでもないのだが、唯一、アオがいる前では私は爽やかな気分を味わうことができた。健やかになっている気さえした。
 しかし、それは一時的なものであった。
 アオは無事に部屋に侵入できたことにほっとしたようなそぶりを見せると、書斎机の横に継ぎ足したお絵描き机で作業するために、おそるおそる椅子に座ろうとした。あきらかにアオは自然を装いつつも、こちらの反応を窺っている。
 私はパソコンで仕事をしているふりをしていたが、じつはただ誰かの書評ブログのようなものを読んでいただけだった。作業をするために子どもから離れ、書斎にこもっているはずが、ただ遊んでいたのである。私はその事実がばれたくないばかりに、急に姿勢を正すと、何も考えずキーボードをたたいて文字を打ち込んだ。
「これは利子ではなく、何かの設計である」
 しかし、私はあてずっぽうに打ったわけではなかった。
 何か一つのヴィジョンが浮かんだのである。そのヴィジョンはあのノートに書かれていた数字をもとに、私がこれから作り上げようとする建て物の姿をしていた。部分的な詳細までがそこには書き記してあったのだ。

 それから私は変わった。
 子どもが何と言ってこようが、フーが言い寄ってこようが、毎日、毎日、朝四時頃にはもうぱっちりと目を開き、起き上がって、すぐに着替えると、朝食も食べず外へ出かけた。ゴミ置場だけではなく、あらゆるところ、ときどきは人の家に侵入してまで、とにかくありとあらゆるゴミを採集し、それを自分の六畳間の書斎に放り込んでいった。
 フーにも私の行動を止めることはできなかった。知らぬ間に私の部屋は、ドアから書斎までの狭い通路以外、天井までゴミで埋めつくされた。
 それでもアオとゲンは、ニコニコ顔で部屋の中に入ってくる。
「君たち、もうここには入ってこないでくれ。ここは私の城なのだ」
「やだ!だって、おもしろそうだもん。何これ?」
 そう言うと、アオは昨日持ってきたばかりの木製バットを手にした。釘が何本も適当に刺さったままになっている。
「危ない!」
「何を言ってるの」
 いつのまにか、ゴミを掻きわけ書斎に入り込んでいたフーは、木製バットをすぐさま奪いとると、アオを抱きかかえ、涙声を出した。
「あなたはそのままでいいのよ。なんで頭がおかしくなったと自分で思っているわけ?あなたは普通よ。そのままでいいし、これまでもどうにかやってきたじゃない」
「砂漢みたいなんだよ、頭の中が」
「今はでしょ。どうせまたもとに戻るんだから」
「そう思えないから、大変なんだよ」
「とにかく体をゆっくり休めなよ。それでいいよ。仕事もしてきたじゃない。ときどきは休んでいいのよ」
「もう一ヵ月もこんなふうだよ。なんで、まだ治らないのか、意味が分からないんだ」
「だって、ここ四ヵ月間はずっと休みなく、毎日毎日、あれが浮かんだ、これが浮かんだって、ずっと頭動かしてたでしょ?東京行ったり、ドイツ行ったり、オーストリア行ったり、韓国にも。それに今度はモンゴルと中国まで行くっていうじゃない。どう考えてもやりすぎよ。体を休めなさい」
 しかし、このままでいいと涙ながらに訴えるフーの言葉の意味が私には分からないのであった。

坂口恭平 (さかぐち・きょうへい)
1978年、熊本県生まれ。建築家、作家、芸術家、音楽家。2004年、路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を刊行。『ゼロから始める都市型狩猟採取生活』などで0円で生活する術をしめす。2011年、震災をきっかけに新政府を樹立し、『独立国家のつくりかた』を発表。2014年、小説『幻年時代』で第35回熊日出版文化賞受賞、小説『徘徊タクシー』が第27回三島由紀夫賞候補となる。近著に『ズームイン、服!』『幸福な絶望』などがある。

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