佐藤優が選ぶ知的ビジネスパーソンのための中公新書・文庫113冊

月刊誌『中央公論』2016年5月号に、「特集 佐藤優が選ぶ知的ビジネスパーソンのための中公新書・文庫113冊」が掲載されていたので、メモ。

A 仕事に活かせる組織論を学ぶ17冊

新書
  • ★『外務省革新派』(2059)戸部良一
    第二次世界大戦について、陸軍責任論に本格的に異を唱えたものの一つ。本書は、軍部以上の強硬論を吐き、軍部と密着して外交刷新を実現しようとした「外務省革新派」のリーダー白鳥敏夫たちが、日本を戦争に導く道をつくった過程を丹念に追っている。戸部氏はその背景に、外務省内の人事があった、と指摘する。戸部組織論の最高傑作である。国際基準でいっても一級品のインテリジェンスレポートに仕上がっている。論文の書き方を学ぶうえでも参考になる。
  • ★『人はなぜ集団になると怠けるのか』(2238)釘原直樹
    本書は、集団で仕事をすると、単独で作業を行うよりも一人あたりの努力が低下する「社会的手抜き」について、あらゆる心理学の分野での実験や調査、社会現象などを紹介しながら、考察していく。
  • 小惑星探査機はやぶさ』(2089)川口淳一郎
    宇宙開発とは、安全保障上、極めて重要な意味がある。「はやぶさ」によって日本は高度な宇宙戦の基礎体力があることを世界に知らしめた。そうした国家の意思をも読み解けるようになろう。
  • 院政』(1867)美川圭
    権力というものは、バランスであると痛感する一冊。組織が二重構造にあるときは、自分がどのような立場にいるかを理解しておくことが、組織人として生き残るために不可欠である。
  • 戦国武将の手紙を読む』(2084)小和田哲男
    読み下しも丁寧に解説され、歴史学を学ぶ人の入門書として良い。戦国武将は合戦の前に各地の武将を味方につけようと謀略の手紙を出す。組織の派閥抗争に苦しむ現代のビジネスパーソンにとっても学ぶところは多い。
ラク
  • 駆け出しマネジャーの成長論 7つの挑戦課題を「科学」する』(493)中原淳
    現代の日本社会では、実務担当者がマネジャーへと移行する過程が激変していると著者はいう。「突然化」「二重化」「多様化」「煩雑化」「若年化」。また本書は、年上の部下との接し方など、組織の中での生き残りのための具体策がふんだんに盛り込まれ、中間管理職の心得に満ちている。
文庫
  • ★『失敗の本質―日本軍の組織論的研究戸部良一ほか
    戦争に負けた理由について分析した一冊。日本軍はかつて学んだことを棄却した上で、学び直すということができず、組織上層部の狭い経験などにひきずられて失敗したことを解き明かす名著である。日中戦争の初期、小畑敏四郎中将が、弱い中国軍ばかり相手に戦争していると、日本軍も弱くなると心配していたくだりがある。ノモンハン事件は、その危惧通りの大惨敗となった。ところがこの惨敗から日本は何も学ばなかった。詰め腹を切らせるのは仕方ないかもしれないが、その前に聞き取りをすべきだったのだ。だから戦訓が何もいかされない。そうした学習の欠如は組織を誤らせる。
  • ★『昭和16年夏の敗戦猪瀬直樹
    本書は、日米開戦直前に若手官僚たちが行ったシミュレーションの通りに日本が敗戦に追い込まれていったことを描いたノンフィクション。『ミカドの肖像』(小学館文庫)とあわせて猪瀬直樹ノンフィクションの最高傑作の一つであることは間違いない。一方、留意点もある。実務経験のない若手のレポートが、実際の国の方針に影響を与えるはずはない。数字だけみれば負けるはずなのに、戦争は起きた。これはなぜかという部分は、残念ながら導き出せない。本書は、優れた「物語」であり、読み物なのだ。
  • ★『新訳 君主論マキアヴェリ/(訳)池田廉
    マキアヴェリフィレンツェの政治思想家であり、外交・内政・軍事の官僚政治家となって活躍するが、政変で追放された人間だ。だから、彼の書いた通りに行動しても成功するかどうかは分からない。理想を描いてる面もある。それでいて本書のアドバイスは具体的で読みどころが多い。
  • 戦争論』上・下 クラウゼヴィッツ/(訳)清水多吉
    本書は、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない」(上巻63頁)という言葉で知られる。現代にも通用する名著。
  • 抗日遊撃戦争論毛沢東/(訳)小野信爾/藤田敬一/吉田富夫
    クラウゼヴィッツに影響を受けたレーニンの革命論を読みこんだ毛沢東の思想が著されている一冊。現代中国の基本戦略がこの一冊に詰まっている。
  • 最終戦争論石原莞爾
    歴史に残る事件の当事者の手記には反面教師という意味もある。本書はそうした反面教師の「代表作」。何をどう間違えるとこうなるのかということを真摯に学ぶことも必要だ。
  • 大東亜戦争肯定論林房雄
    実務派ではないが、主流派(あの戦争は、帝国主義国間の市場争奪戦であり、民主主義とファシズムの戦いであった)の正反対を行く衝撃の論考集。ちょうど同じ時期に刊行された『太平洋戦争家永三郎岩波現代文庫)とあわせて読むことで、太平洋戦争に対する両極の見方を理解することができる。
  • 細川日記 改版』上・下 細川護貞
    過渡期の人間の混乱を描いた日記文学の最高傑作。中でも玉音放送から9月3日までの記述が秀逸。
  • 補給戦』マーチン・ファンクレフェルト/(訳)佐藤佐三郎
    本書はナポレオン戦争から第二次世界大戦ノルマンディ上陸作戦にいたるまでの代表的な戦闘を、「補給」という観点から徹底的に分析している。日本同様、ドイツも補給についての認識が弱い。だから、敗戦国になったのだろう。いずれにせよ、どんな組織にとってもロジスティックの重要性は変わらない。本書は「ロジ」を考えるための決定版である。
★は、特におススメ

B 競争社会を生き抜く技を磨く17冊

新書
  • ★『詭弁論理学』(448)野崎昭弘
    論理学の嚆矢。世の中は、詭弁に満ちている。強弁術・詭弁術は魔女狩りでも巧みに駆使された。詭弁に騙されないための基本が身につく一冊。
  • ★『理科系の作文技術』(624)木下是雄
    理科系科目の教育は、数式やデータを重視するあまり、どうしても説明や論理展開がおろそかになる。そこをなんとかしたいと思い、説明の技法を重視して書かれたのが本書。中でも参考になるのは「手持ち用メモ」を準備しろというくだり。この技法はプーチン大統領も演説のときに活用していた。
  • ★『菜根譚―中国の処世訓』(2042)湯浅邦弘
    中国の処世術の最高傑作『菜根譚』の解説書。今の日本は新自由主義の影響で先輩から処世術を学ぶ機会がなくなった。だったら書籍から学べばいい。本書は著者自身の価値観を加えて現代風にアレンジしている点も好ましい。
  • 贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』(2139)桜井英治
    ビジネスパーソンが贈り物を媒介した人間関係について考えるのによい参考書。常に奢られていると、いずれ確実に力関係になってくることは覚えておいたほうがいい。『贈与論』マルセル・モース、(訳)吉田禎吾、江川純一(ちくま学芸文庫)とあわせて読むと、贈与の仕組みが良く分かる。
  • 経済学的思考のセンス』(1824)大竹文雄
    自分が「勝ち組」に属していると思っている人にお薦め。トリクルダウンが簡単に起きると思っていた時代の本という弱点はあるが、主流派経済学者の立場から誠実に世の中を見るとこうなっているということが分かる。
  • 騎馬民族国家』(147)江上波夫
    歴史実証研究の体裁は取っているが、実質的には「物語」であり、新たな国体論といってもよい。ビジネスパーソンにはこの本から、国家の成り立ちには「神話」があるということを改めて学びながら、会社の成り立ちにも多くは神話があることを知ってほしい。
  • ハンナ・アーレント』(2257)矢野久美子
    ブラック会社からしか内定が出なかった。命じられる仕事の内容が反社会的に思える。そんなときに読んで欲しいのが本書。ごく平凡な人間、普通の家庭を持つ善き人であっても、仕事になれば無自覚に悪人になるという悪の構造的な恐ろしさについて指摘したのがアーレントという素晴らしい哲学者だ。『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告ハンナ・アーレント、(訳)大久保和郎(みすず書房)とともにご一読を。
  • 英語達人塾』(1701)斎藤兆史
    この本が優れているのは、最近の文法を軽視した英語教育の迷走を批判し、英語教育の流行に惑わされない点だ。
  • 入門!論理学』(1862)野矢茂樹
    論理学の入り口としてお薦めの一冊。必ずメモを取りながら読んでほしい。中でも「背理法」が使えるようになると、人生はお得だ。『新版 論理トレーニング野矢茂樹(産業図書)とあわせてお薦めする。
  • 発想法』(136)川喜田二郎
    川喜田二郎KJ法を説明した一冊。いわゆるブレーンストーミングの方法。信頼関係が成立している集団でないと役に立たないのが弱点。試してみてもいいだろう。
ラク
  • 【マンガ】コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし』(499)タテノカズヒロ
    論理には二種類ある。一つは、言語による論理。もう一つは、記号論理学か数学や物理などの非言語的な論理。だから数学は大事なのだ。価値観がまるで違う北朝鮮だって、三角関数は日本やアメリカと同じなのだから。数学嫌いの人もマンガでたのしく数学の論理を読める。
  • ★『女子と就活』(431)白河桃子常見陽平
    まだまだこの社会は男社会であることを怒り、読者を目覚めさせ、処方箋を提示しようとする本。ポイントは産める就活。産める企業かどうかを見極めるポイントが書かれている優れた実用書。
  • 肩書き捨てたら地獄だった』(513)宇佐美典也
    玄田氏のいう、転職のリスクを「地で行く」一冊。財務省を辞めた著者による『いいエリート、わるいエリート』山口真由(新潮新書)とあわせて読むと、元官僚というものはなかなか世間が受け入れてくれないという厳しさを痛感できるはず。
  • 修羅場の極意』(500)佐藤優
    自著。おかしいと思っても、すぐに行動に移すな。うろたえず、「時」を待て。西原さんの、最悪のシミュレーションだけはしておけという助言は誰にとってもためになる。西原さんの「最悪」は、子どもが非行化すること。そう決めれば、それ以外の事態には動じなくなるから、冷静になれる。
  • 福井県の学力・体力がトップクラスの秘密』(508)志水宏吉+前馬優策
    上司が悪い、組織が悪い、とつい愚痴を言いたくなるビジネスパーソンにこの一冊を贈る。地方のトップに務める人にもお薦め。制約すらチャンスに変える力に学べ。
文庫
  • 仕事のなかの曖昧な不安玄田有史
    社会の厳しさについて、直截に指摘し、勤労者の恐怖を具体的に書き著した本。転職したいと思ったら、必ず、読み返したい一冊。勘違いで転職する人が増え、雇用が流動化するほど、全体の賃金が下がっていくこともあわせて指摘しておく。
  • 完訳 ロビンソン・クルーソーダニエル・デフォー/(訳)増田義郎
    「時」をきちんと待つことができたのがロビンソン・クルーソーである。ただ全知全能すぎてあまり参考にならない。押さえておくべきは、この物語が一貫して奴隷を使うことを肯定し、植民地を正当化している点だ。欧米人の根底にはこうした考え方があることを、日本のビジネスパーソンは知っておいても損はない。

C 人間関係・心理に強くなる19冊

新書
  • ★『行動経済学』(2041)依田高典
    心理学はビジネスの現場でも役立つ。心理学と深い関係にあるのが「行動経済学」。従来の主流派経済学が機能しなくなっていることの裏返しで、経済学の最先端と言われている。その「行動経済学」を知るのに便利な一冊。
  • ★『酒場詩人の流儀』(2290)吉田類
    俳人で詩人、イラストレーターでもある吉田類の文章はときに馬の目線で、ときに猫の目線で世間を眺める。ちなみに、説明的な要素を徹底的にそぎ落とした詩という形態は、人間の心を表すのに非常に強い力を持つ。力強い言葉を発する人は、政治家であっても発言はポエムの連続だ。小泉純一郎元首相などはその典型。
  • 睡眠のはなし』(2250)内山真
    睡眠障害を軽くみない方がいい。本書を読んで、少しでも自分の睡眠に問題があると感じた人は、専門医に睡眠薬の処方を相談することをお勧めする。『精神科の薬がわかる本』姫井昭男(医学書院)も参考になる。
  • 時間と自己』(674)木村敏
    精神科医の木村氏はこう述べる。「鬱病の発病状況がすべて『所有の喪失』としても理解できる」。最近のビジネスパーソンは鬱的な時間との親和性が高い人が多いと思う。自分の時間感覚が揺さぶられたときは危ない。気をつけてほしい。
  • 死刑囚の記録』(565)加賀乙彦
    多くの無期囚は“刑務所ぼけ”に陥る。「外部と隔絶した施設内では、いつも同じ人間、同じ場所、同じ規則の反復にかこまれているから、囚人たちの感情の起伏はせまく、何ごとに対しても無感動になる。ふつうの人間であったら耐えられぬような単調な生活に彼らが飽きないのは、実はこの感情麻痺があるからだといえる」オフィスのルーティンワークにも同じ危険因子が存在する。『監獄の誕生―監視と処罰ミシェル・フーコー、(訳)田村俶(新潮社)もあわせて読んでみてほしい。
ラク
  • ★『困った時のアドラー心理学』(363)岸見一郎
    アドラーが創始した「個人心理学」を研究し、影響を受けてきた著者が執筆した本。他人とどう付き合ったらいいのか、という悩みに指針を示したアドラーのアドバイスを踏まえつつ、「相談」に回答していく。身近な人に相談できないような悩みを抱えたビジネスパーソンに、この本は有意義だ。
  • 私、パチンコ中毒から復帰しました!』(441)本田白寿
    タバコ、アルコール、パチンコ、ネット。依存症の問題は深刻だ。本人の治癒を目指すことはもちろん大事だが、周囲の人が壊れないようにすることも、とても大事だ。周りの人は、自分のせいで依存症になったのではないかなどと思い悩まないことだ。『インターネット・ゲーム依存症岡田尊司(文春新書)も参考になる。イザというときには躊躇せず精神科へ走ろう。
  • となりのクレーマー』(244)関根眞一
    本書は苦情処理のプロがクレーマー対策を具体的に教える本だが、大事なのは、すべての苦情やトラブルを一人で抱え込まないことだ。おかしなクレーマーに絡まれたらともかく上に相談して逃げてほしい。上司はそのためにいるのだから。借金を返済させる仕事に従事した『督促OL 修行日記』榎本まみ(文春文庫)もあわせて読んでおきたい。
文庫
  • ★『猫と庄造と二人のをんな谷崎潤一郎
    谷崎は私と同様、真に猫好きだと分かる。主人公があまりに猫好きであるために、妻と元妻が猫に嫉妬するという話。ちなみに、猫はスカンク同様、肛門腺があって液を出す。猫を飼うなら、動物病院に行って、この肛門腺を定期的に絞ってもらおう。
  • マンガ 日本の古典21 御伽草子やまだ紫
    やまだ紫もまた、猫をえがくのがとてもうまい漫画家だ。本書の「猫の草子」などに登場する猫も逸品だ。この時代、日本は天竺や唐と比べるべくもない小さな国だったのだ。日本はこうした小国であることを意識して虚勢を張るべきではないという教えを、いまこそ噛みしめたい。
  • ★『ファウスト 悲劇第一部ゲーテ/(訳)手塚富雄
    まったく癒やされない動物が出てくる古典中の古典から一冊。ファウストは街の中で愛嬌のあるむく犬と出会い、書斎に連れ帰る。そのむく犬は実は悪魔だった。本作は、西洋の古代から現代までの思想の流れが集約されているという点でも意義深い。海外の取引先と揉めたときは、相手がどんな思想に基づき行動しているか見抜くことも必要になる。『ファウスト』を読んでおくと、様々な西洋思想が理解でき、欧米人の理解に役立つこともあるかもしれない。さて、悪魔は進化する。悪も進化する。ここが読みどころだ。
  • 八日目の蝉角田光代
    本作は、不倫相手の男の家庭に産まれた子どもを、主人公が誘拐して育てるというストーリーだ。圧巻は裁判の光景だ。主人公は不倫相手だった男は許しても、口をきわめて自分を罵った男の妻を許しはしない。不倫は、割に合わないほどリスクが高い。ビジネスパーソンは男女ともに知っておいたほうがいい。『幸せ最高ありがとうマジで!本谷有希子講談社)とあわせてご一読を。
  • マンガ 日本の古典8、9 今昔物語』上・下 水木しげる
    『今昔物語』も、不倫の話が数多い。大昔から不倫が日常茶飯事だったということだ。『今昔物語』には、死者と生者の世界には通用門があるという発想がある。今と比べると、昔の人は死者にもっと近かったのだと思う。そういう時代を想像することができる。著者の水木しげる氏は人間の限界を知っている。そのあたりの感覚が作品にもよく出ていると思う。
  • マンガ 日本の古典28 雨月物語木原敏江
    本書も化け物の世界。人に恨まれることは恐ろしい。わけても怖いのは「吉備津の釜(107頁)」。気立てのよい妻を騙して遊び続けた夫を、妻の死霊が復讐するという話。
  • 神様川上弘美
    「くま」の日常などをえがいた短編集。川上氏の短編集には、いじめの問題、仕事のやりがいの問題など、人生の諸問題が詰まっている。寓話の力を知るのにもうってつけだ。この人は若くして古典作家の領域にいる。
  • 痴愚神礼讃エラスムス/(訳)沓掛良彦
    カトリックの司祭、神学者でありながら、カトリック体制を根本から揺さぶり、十六世紀という世紀を覆い尽くした知的巨人だ。ただしカトリックをコテンパンにしておきながらプロテスタントには行かなかった。だから神性冒瀆がない。ビジネスパーソンがここから学ぶべきは、ユーモアと侮辱の境界線だ。お笑い芸人の言動を真似る人が増えている。そのせいか、どうもユーモアと侮辱を踏み越える若手が少なくない。言っておくが、この世の中に無礼講はない。社内の飲み会の無礼講には注意が必要だ。
  • 新選組始末記子母澤寛
    本書は、小説家かノンフィクションか分からないノンフィクションノベルの走りである。新選組関連本の原点のような作品だ。子母澤氏は、読ませる作家だと思う。なぜ、これだけすごい大衆小説の書き手が忘れ去られてしまっているのだろう。
  • 「酒」と作家たち浦西和彦
    昔の作家はよく酒を呑んだ。そんな中、一滴も呑まなかった川端康成のハナシが面白い。呑まない人には別の楽しみ方もあると指摘しておこう。

D 教養で人生を豊かにする18冊

新書
  • ★『教養主義の没落』(1704)竹内洋
    いつからか、日本では教養のある人たちがカッコ悪い存在になり、社会にとって邪魔な存在になりはじめた。多くの人はその理由を七〇年安保闘争に明け暮れた全共闘時代の反権威主義に求めるのだが、竹内氏はもう一つ違った角度からの考察をしている。教養主義が没落し、現在の日本社会は反知性主義に覆われている。竹内氏は、その反知性主義のルーツはお笑い芸人にあると指摘する。『死の哲学――田辺元哲学選IV田辺元(編)藤田正勝(岩波文庫)にも、原子力を見たくないから、ラジオがお笑いばかりになっていることを指摘しているくだりがある。いま、アメリカでは不動産王のトランプが民衆の支持を得ている。アメリカの反知性主義は日本とは随分違った形で形成されたものだが、日米比較をするなら『反知性主義』森本あんり(新潮選書)がよい参考書になるだろう。
  • ★『批評理論入門』(1790)廣野由美子
    行間から別の声がきこえてくるような本を読んで、複雑な人間社会を読み解けるようになるために、この本をお薦めする。本書は小説『フランケンシュタイン』について、あらゆる読み方を提示し、小説とは何かを考えた。
  • ★『ゾウの時間 ネズミの時間』(1087)本川達雄
    心臓は二〇億回打って止まる。鼓動が速いと早く死んで、遅いと長生きする。ビジネスパーソンにとって役に立つのは、人間の時間感覚について。視覚主導型の我々人間は時間の感覚が弱い。『二百回忌笙野頼子新潮文庫)などにえがかれる奇妙な時間の歪みは、人間の時間感覚の弱さゆえに生まれる作品だ。仕事が成功するかどうかは、時間の管理が鍵になるのは間違いない。プレゼンで与えられた時間の倍しゃべる人間に能力のある人はいない。
  • チョコレートの世界史』(2088)武田尚子
    ジュリエット・ビノシュ主演の映画『ショコラ』はいい映画だ。本書を読みながら、この映画を思い出した。「実は、第二次世界大戦中、日本でも溶けないチョコレートの開発が進められていた」。こうした知識は、海外からの客にも披露できる。意識的に仕入れておきたい。
  • 世界史の叡智』(2223)本村凌二
    本書は、悪役、名脇役という、いわば歴史の「影」の部分に光を当てることで、歴史のパラドクスを浮かび上がらせる。面白かったのは「汪兆銘」。日本の傀儡と罵倒された汪兆銘の働きにより、全面的な日中戦争になったからこそ、毛沢東は燻っていた民衆の力を使って共産党革命に道を開いたのだから皮肉なものだ。「正史」とは異なるこうした視座を持つことで、真に厚みのある教養人になれる。
文庫
  • ★『国富論』Ⅰ〜Ⅲ アダム・スミス/(訳)大河内一男
    経済の実態を書いているものなので意外によみよい。人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという「労働価値説」が示されている。この古典派経済学の基本はいまだ健在だ。若いビジネスパーソンは自分が働くことで価値が生み出されているということに懐疑的になる必要はない。額に汗して働く大切さは、いつの時代も変わらない。
  • ★『星の王子さまサンテグジュペリ/(訳)小島俊明
    諦観の必要性について考えさせる一冊。この物語には、何事も変化するし、消えてしまうという諦観がある。人生にとって重要なのはここだ。うまくいっていても、いかなくなる日が必ず来る。逆もある。そう考えればしなやかに生きていけるのではないか。平易なので外国語の学習にも向いている。様々な言語で読んでみるのも楽しい。
  • 数学受験術指南森毅
    受験勉強も時間を決めて集中して取り組んだ方が効率的だ。著名な数学者はそう指摘する。同感だ。一定の時間以上をかけない。お尻を切ることで没頭する。これが勉強のコツだと私も思う。
  • 味 天皇の料理番が語る昭和秋山徳蔵
    半世紀以上にわたって昭和天皇の台所を預かり、日常の食事と宮中饗宴の料理をつかさどった初代主厨長の記録的なエッセイ。いまではこんな本は書けないのではないか。知られざる皇室の「味」の記録だ。重要な証言であり、歴史的資料としても価値がある。
  • 猫のほんね』野矢雅彦/(写真)植木裕幸/福田豊
    しつこいようだが、私は猫が好きだ。面白いのは猫と人間で見ている世界が違うこと。猫は動体視力に優れている。一見、人間のそばにいるようだけれど、猫は猫の論理で生きている。でありながら、人間ともうまく折り合いをつけて共存、併存できる。あなたの職場に変な人がいたら、猫になったつもりで併存を目指せ!ネコを知るためには、『ネコの動物学』大石孝雄(東京大学出版会)も お薦めの一冊だ。
  • 園芸家12カ月カレル・チャペック/(訳)小松太郎
    盆栽、家庭菜園など、土いじりにハマる日本人も多い。癒されるのだと思う。一方、ヨーロッパの人々にとっての植物への思いもまた、独特のものがある。「庭は完成することがないのだ。その意味で、庭は人間の社会や、人間の計画するいろんな事業とよく似ている」。
  • 真昼の星空米原万里
    チェコで子ども時代を過ごした米原氏のエッセイ集。文化というものの持つ拘束性の強さについて、深く噛みしめるのにうってつけの本だ。
  • ドナルド・キーン自伝ドナルド・キーン/(訳)角地幸男
    ヨソモノでなければできない仕事がある。外部の目の大切さを裏付けるのがこの本だ。三島の自殺の原因がノーベル賞にあった、などという指摘ができるのは、ヨソモノだからこそ。
  • 後水尾天皇熊倉功夫
    後水尾天皇は、学道と芸道を究め、修学院を造営した文化的な天皇として知られる。政治全体を文化で包み込もうとした人物である。文化によって包まれている政治は強い。今の安倍政権に最も欠けている部分だ。こんな時代にこそ読み返したい。
  • 虚人たち筒井康隆
    若かりし筒井氏による実験的な小説。111頁から123頁をぜひ開いてほしい。ほとんど白紙なのだから。筒井氏はこの手法を『驚愕の曠野筒井康隆河出文庫)でも用いている。私はこの実験から、人間の日常のコミュニケーションにおける沈黙の重要性を感じ取った。沈黙によって雄弁であること以上に語らせるという深みを感じさせる手法だ。
  • 人口論マルサス/(訳)永井義雄
    マルサスは、人口は幾何級数的に増加するが、食糧は算術級数的にしか増加しないと主張する。だから、人類が貧困から脱出する方法は、人口抑制しかないという。だが現在は農業が改革されたことなどでマルサスの主張で社会を説明しきることはできなくなっている。ただ、財の希少性を指摘したという意味では、現代にも十分に通用する。

E 国家とは何か、日本とは何かを考える20冊

新書
  • ★『文化人類学入門(増補改訂版)』(560)祖父江孝男
    本書は文化人類学の入門書として高く評価されてきた。著者によれば、人類学はアメリカとイギリスとドイツ・オーストリアと日本でそれぞれ異なっている。いずれにせよ、人間は文化を持つことに特徴があり、その構造を勉強することで日本の特質をあぶり出すことができるのは間違いない。本書はこの学問分野の全体像が見渡せる優れた入門書である。
  • 地政学入門』(721)曽村保信
    戦後、日本ではタブー扱いされてきた学問「地政学」。日本を理解するうえでも地政学はとても重要なのだが、戦争と結びつく戦略論であったため、戦後は腫れ物に触るように避けられてきた。地政学の良質な入門書となると、この本くらいしかない。著者によれば、人間のこれまでの政治や社会の通念が揺らぎだすのを感じたときに世界の現実を大きく整理するための学問が地政学である。地理は動かない。国は引っ越せない。だから地政学は重要なのだ。世界に新たな秩序が形作られつつある今こそ読むのにふさわしい。
  • ★『ある明治人の記録』(252)石光真人
    複眼的に歴史を見ることの重要さを示す一冊。本書は、朝敵の汚名を着せられた会津藩士の子ども柴五郎の半生の記録だ。薩長側に抹殺された暗黒の歴史を、敗者側から見た維新の裏面史で、とても興味深い。感銘を受けたのは、第二次世界大戦末期のころの柴五郎翁の様子だ。日本が植民地化されないために必死で戦ったのに、その日本が植民地化を進めている。その政策を進めているのは薩長土肥である。こうした中で、会津人はともかく沈黙して、自分のするべきことを淡々とこなしていったのだ。国家というものの構造を、立体的に理解する助けとなる。重要な史料だ。
  • ★『財務省と政治』(2338)清水真人
    本書は、日本国を背負い、かつて「最強官庁」といわれた財務省の劣化を予見する。「『最強官庁』を土台から揺るがすのは人材を巡る二〇年越しの構造要因だ。その起点は、橋本龍太郎内閣下の一九九六年七月三一日に閣議決定した国家公務員の第九次定員削減計画にある」。本書は、二〇年以上、取材を続けてきた『日本経済新聞編集委員の清水氏が執筆した。アベノミクスの構造を知るうえでも参考になる。
  • 夫婦格差社会』(2200)橘木俊詔/迫田さやか
    著者は年収ごとに丹念に分析した結果、若い男性が結婚するか、しないか(あるいは、できないか)の差は三〇〇万円が境になっているという。共働きが当然となったいま、鍵を握るのは妻だと解き明かす。
  • 日本占領史1945-1952』(2296)福永文夫
    本書は、「戦後体制」がつくられた日本が、占領されていた七年間を描きだした福永氏の傑作だ。そのころ本土では反基地闘争が沸騰し、本土の米軍基地の返還は進んだが、逆に施政権がない沖縄は民有地が接収されるなどして基地が集約されていった。現在、沖縄にいる海兵隊は、元々本土にいた部隊がこのころに沖縄に移されたものだ。沖縄を理解するためには歴史のみならず、『カクテル・パーティー』大城立裕(岩波現代文庫)や『水滴目取真俊(文春文庫)など、小説もあわせて読むといい。マイノリティーの心象風景がよく書かれているという意味では、沖縄人を父に持つ又吉直樹氏による『火花』(文藝春秋)もお薦めだ。
  • キメラ―満洲国の肖像(増補版)』(1138)山室信一
    満洲国の国家形成から変遷・変容を経て、壊滅にいたるまでをえがいた傑作。驚愕したのは、一三年も続いたこの傀儡国家には、満洲国という国籍を持った国民が一人もいなかったという事実だ。統治というものの不可解さについて根本的に考えさせられる。
  • 地獄の思想』(134)梅原猛
    本書は、仏教思想からくる日本人の精神の伝統について書いた梅原氏の著作だ。人間の苦悩への深い洞察と、生命への真摯な態度を教え、日本人の魂の深みを形成してきたのが地獄の思想である。ポイントは、地獄は人の心の中にあるということだ。ビジネスパーソンは、ぜひ心の中の地獄を上手に飼い慣らし、地獄と平和的に共存していくことをお勧めする。
ラク
  • ★『世界の日本人ジョーク集』(202)早坂隆
    著者は決して日本の劣化を書いたわけではないのに、結果的に日本の劣化が浮かび上がる本だ。本書は、二〇〇六年に刊行された。日本の豊かさ、技術立国ぶりを皮肉ったものが多く、日本がオチになっているジョークも多いのだが、いま現在の日本は、海外からここまでイジられるほどの力はない。ジョーク、アネクドートというものは、半分の真理を含んでいる。だから興味深いのだ。
文庫
  • ★『文明の生態史観梅棹忠夫
    民族学の大家による著作。表題作は、梅棹が戦後に提示した新しい「世界史モデル」。そのほか一〇の論考が収まる。第一地域と第二地域の分け方が正しいかどうか、相互交渉があったかどうか、それが実証的な研究になっているかどうかはともかく、本書は、歴史というものがいくつかの物語で読めることを教えてくれる。こうした複眼的な視点は国家を考えるうえで重要だ。
  • 沖縄の島守』田村洋三
    本書は、米軍の沖縄攻撃二ヵ月前に、県外から赴任した沖縄県知事と県警本部長が、最後まで県民と一緒に行動し、県民保護に命がけで取り組んだことについてのノンフィクション作品。興味深いのは二人組ではなく前任のI知事。国家の考察からズレるが、I知事の慌てふためく様はあまりに面白い。
  • ハル回顧録コーデル・ハル/(訳)宮地健次郎
    ハル・ノートを突き付け、日本を開戦に追い込んだとされるハルの自伝。興味深かったのは、ハルの日本の官僚批判だ。極めつきは野村吉三郎大使で、人柄には好意的だったのだが、英語力に失望していたらしい。すぐ「イェス、イェス」というけれど、半分もわかっていないらしい――と疑っていたようだ。国家を守るためには、外交官の英語教育が欠かせないという、ごく当然のことを噛みしめる戦慄の書。
  • ガンジー自伝マハトマ・ガンジー/(訳)蝋山芳郎
    非暴力抵抗が成功した理由は、ガンジーが人格者で人々を感化したということにつきる。本書には人々を感化するための具体策が書かれていてお得だ。ガンジーモデルは、会社の中でも使える。エルメスのバッグなど持たないで、仕事は一生懸命やって、悪口も言わない。ときどきさりげなく部下にランチをおごってやる。計算ずくでも一年間くらい努力すれば派閥が形成されるはずだ。この本は役立つ。
  • 評伝 北一輝』I〜Ⅴ 松本健一
    伝説の革命思想家の全体像を描き出そうとした渾身の評伝。北が日米戦争が太平洋戦争になるという認識を持っていた点を興味深く読んだ。惜しむらくは、若くして死んだ人間を持ちあげすぎているきらいがあること。ロマン主義的で、「物語」的な要素が多いのだ。私見だが、世間を渡るためには、やはりガンジーのように長生きだった人に学ぶべき点が多いと思う。
  • 世界のなかの日本司馬遼太郎ドナルド・キーン
    対談本。江戸・明治人の言葉と文学、モラルと思想、世界との関わりから日本人の特質が浮かび上がる。キーン氏は、ヨーロッパ文化全般について、三つの受け止め方があったと見立てる。「一つ目は、ヨーロッパ文化を拒否する」「二つ目は、採用はするけれども、抵抗を示す」。漱石はこの代表だ。「三つ目の可能性として、外国の影響を喜んで受ける」。キーン氏は鷗外をここに分類する。明示的ではないのだが、キーン氏が、苦しんだ漱石を評価しているふうがみてとれる。いずれにせよ、国家が急に方向転換したことで、一部の知識人が文化衝突の中で苦しんだことがよく分かるという意味で面白い。
  • 内村鑑三富岡幸一郎
    江戸時代末期に武士の子として生まれ、後に日本のキリスト教思想家となる内村鑑三について書かれた本。内村が最も興味を持ったのは、『新約聖書』の中の使徒パウロの手によるとされる書簡『ロマ書』だ。ちなみに、イエス・キリストを救世主と考える教えをキリスト教という宗教にしたのは、生前のイエスと会ったことがないパウロである。内村鑑三の言説は、ナショナリズムキリスト教を考えるうえでも重要だ。内村は二つのJ、すなわちJesus(イエス)とJapan(日本)を愛すると言った。富岡幸一郎氏は、善き日本人であり、善きキリスト教徒であるとはどういうことかという問題を、二十一世紀において真剣に考えている思想家だ。内村の思想は富岡氏に継承されている。

F 歴史と宗教を学び直す22冊

新書
  • イギリス帝国の歴史』(2167)秋田茂
    イギリス帝国の歴史の本。中南米、アフリカなどにはいまでもイギリスなど旧宗主国に対する激しい怨恨感情があるが、日本はイギリスに対する好感度が高い。それは、イギリスの政策によるところも大きかった。イギリスがアジア全体を見渡す際の「拠点」に日本は選ばれたのだ。地政学的にイギリスからアジア戦略の拠点にされた日本は、幸運にもそれが自国の発展につながったわけだ。
  • アーロン収容所』(3)会田雄次
    帝国主義的なイギリス人の人種差別観をあますところなく書いた本。歴史家だった著者が戦後、ビルマでイギリス軍の捕虜となった二年弱の記録だ。著者は「英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきた」という。命じられて女兵舎の掃除をすることがあったのだが、お礼にタバコをくれるときは「手渡したりは絶対にしない。口も絶対にきかない。一本か二本を床の上に放って、あごで拾えとしゃくる」だけ。もしくは「足で指図」する。それまで歴史家として会田氏が知っていたイギリス人の態度とはまるで違っていたのだと思う。勝利者が都合よく書いた歴史とはまったく違う「史実」だ。
  • 科挙―中国の試験地獄』(15)宮崎市定
    中国の科挙制度について書かれた本。一三〇〇年あまり続いた科挙の実態を克明に描き、試験地獄を生み出す社会の本質をあぶり出そうとしている。面白かったのは、科挙の盛り上がりでマスコミが発達してくること。いずれにせよ、この試験制度が中国の力の源泉であったことは間違いない。中国の底力の一端をうかがい知ることができる。
  • ヒトラー演説』(2272)高田博行
    言葉の力を思う存分に悪用することで、世界を歪めてしまったヒトラーの研究書。ヒトラーの登場からドイツ敗戦までの二五年間、一五〇万語におよぶデータを分析した力作だ。ヒトラーは、小さなリッペという町での選挙を、巧く活用した。非常に限定された地域で行われた選挙を、都合よく拡大させるプリズム効果を狙い、見事に成功させた。ヒトラーの演説は、単にプロパガンダを振り回し、扇情的であるだけではなく、よく計算されていたのだ。ヒトラーわが闘争』上・下(訳)平野一郎、将積茂(角川文庫)とあわせて読みたい
  • 戦後世界経済史』(2000)猪木武徳
    第二次世界大戦から20世紀末までの世界経済の動きと変化を、データと経済学の論理を用いて鳥瞰することを試みた本。経済史という観点から歴史を読んでいて面白い。「平等を目指す社会において自由が失われ、自由に満ち溢れた社会では平等が保障されにくいということは、過去二〇〇年の世界の歴史が明らかにした」と指摘する。確かにそうなのである。ただ、本書刊行が二〇〇九年で、さらにグローバリゼーションは進展し、自由に比重を置き、過剰な自己責任論が蔓延する危険については、著者の射程に含まれていない。経済格差が広がり、宗教も薄くなった。それが排外主義につながる背景にあるのではないか、というのが、エマニュエル・トッドシャルリとは誰か?』 (訳)堀茂樹(文春新書)の主張だ。
  • 後醍醐天皇』(1521)森茂暁
    後醍醐天皇ほど、時とともに評価の変わる人物はいない。興味深かったのはその国際的な感覚だ。南朝の正当性を説いた北畠親房の『神皇正統記』を採用し、独自の発想で生き残りをかけながら、その後自身も、東アジアのグローバルな中華圏の一人として生きていたことが浮き彫りになる。
  • 昭和天皇』(2105)古川隆久
    興味深いのは、関東軍による張作霖爆殺の後、天皇田中義一首相を叱責し、田中が内閣総辞職に追い込まれるあたりの記述だ。「天皇の意向、すなわち『聖断』により内閣が退陣したのは、これが初めてで、結果的に唯一の事例となった」。この後、様々な局面で昭和天皇の介入があれば回避できたのではないかという事態が数多く起こるが、これが回避できなくなったのもこのときのご聖断が影響してしまった気がする。
文庫
  • 世界史』上・下 ウィリアム・H・マクニール/(訳)増田義郎佐々木昭夫
    世界史を通史のかたちでまとめ、これだけの質を担保するのは難しい。本書には、将来的には「地球的規模でのコスモポリタニズム」が実現するという理想がある。最終的に世界は一つになるという、アメリカの典型的な考え方がよく出ている。著者は一方で人口急増に危機感を持ち、また一方でエイズなどを例に「感染病がまた復活する明らかな兆候がある」と述べ、人口が減少していく可能性をも示唆する。『おとなの教養』(NHK出版新書)でも感染症の危機に触れられ、興味深い。小説では、ダン・ブラウンの『インフェルノ』上・中・下(訳)越前敏弥(角川文庫)も感染症の恐ろしさについてイメージがわく。
  • 世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』井上浩一/栗生沢猛夫
    ビザンツ帝国東ローマ帝国)とスラブについて考えるなら、本書しかない。重要なのは、ビザンツとロシアの連続性だ。ロシアは自分たちには特別な使命があると考えている。古代ローマ帝国が滅び、第二のローマであるコンスタンティノープルも滅びた。そして、ローマはモスクワに移った。このため、ロシアは全世界を救済するという特別な使命を帯びていると信じているのだ。これがロシアの帝国主義的な振る舞いの理由にもなっていることが分かる。
  • 世界の歴史20 近代イスラームの挑戦山内昌之
    イスラム世界を読み解くための優れた歴史書。現在、この地域で繰り広げられている争いは、その背景に、かつてオスマン帝国の解体プロセスで、英仏露の三ヵ国が争った負の遺産が処理されていないことに原因がある。。そのことがとてもよく分かる一冊だ。イランがある種の民主主義国家であるという問題(「イラン立憲革命と日露戦争」)、中央アジアの問題(「シルクロードイスラームとロシア」)、カフカースの問題(「イスラームと民族問題」)も踏まえていて、現代の複雑な危機を読み解く基本書になっている。強く推薦したい。
  • 寛容論ヴォルテール/(訳)中川信
    キリスト教の新教徒が冤罪で処刑された「カラス事件」を契機に、宗教や国境や民族の相違を超えて、「寛容(トレランス)」を賛美したヴォルテール一神教的な世界観には、常に非寛容論が生まれるのである。この不寛容さは、イスラム世界を理解する際にも有効だ。現代の国際社会においても、諸文明の対話が簡単ではない理由がとてもよく分かる。『ツヴァイク全集 17 権力とたたかう良心ツヴァイク著、(訳)高杉一郎みすず書房)もあわせて薦めたい。
  • 正統と異端堀米庸三
    十二世紀、十三世紀のカトリック教会の激しい異端弾圧の時代には、包摂の歴史もあった。本書は、本来なら異端として弾圧されても不思議のない托鉢修道会フランシスコ会」を、ときの教皇イノセント三世の判断で体制側に取り入れるといったダイナミズムによって、カトリックの危機を乗り切ったことを説き明かす。異質な物を体制側に取り入れていくことで、組織は強くなる。現在のローマ教皇は、アルゼンチン出身。マイノリティーである。そのローマ教皇が、「フランシスコ」と名乗るのは、少数派であることを意味する。組織の延命のためにどうすればよいか。あらゆる組織を考えるうえで抜群の参考書である。
  • 告白』I〜Ⅲ アウグスティヌス/(訳)山田晶
    ローマ帝国末期のキリスト教最大の教父が自身の内的世界を赤裸々に告白し、信仰に至るまでを綴った記録。後にキリスト教に改宗するが、アウグスティヌスは、マニ教の信者だった。マニ教は禁欲の宗教で、性欲に罪の根源があり、それを克服する人間は救済されるといった教えである。アウグスティヌスマニ教であったために、後のキリスト教にはマニ教が入り込んでいる。そういう意味でも興味深い。
  • 中世の秋』上・下 ホイジンガ/(訳)堀越孝一
    本書は、「中世の秋」として、中世から近代にかけての思考と感受性の構造を、絶望と歓喜、残虐と敬虔という対極的な激情としてとらえた。自然の隠れている力を悪魔は知っている。その自然の力が脱構築されて世俗化したものが科学である。このため、近代科学の根っこには悪魔論がある。近代科学と悪魔には連続性があることがこの本から分かる。
  • 蓮如五木寛之
    蓮如の人生を描いた戯曲。巨匠と呼ばれる作家は、宗教をテーマにする人が多い。死は永遠のテーマで終わりがないからだと思う。戯曲を手掛ける人は、本質的に言葉の力を信頼している人だと思う。言葉のやりとりのみで感動を生み出せると信じていなければ戯曲は書けない。近年、五木氏のエッセイの中で、若者に対してのメッセージ、叱咤激励などが増えているように思う。戯曲が書ける人、擬似対話ができる人だからこそ、若者の心にも届くメッセージをおくることができるのだと改めて感じた。
  • 日本の歴史9 南北朝の動乱』佐藤進一
    南北朝を扱った本の中で本書は傑作だ。面白かったのは経済政策。京都を貨幣経済の中心地にして体制を整えることを目指したのだが、このため、その支配領域が狭くなってしまった。これが室町幕府の衰退につながっていくのだ。その様は、二十一世紀のグローバリゼーションの進んだ世界の中での日本を見るためにも参考になる。
  • 日本の歴史14 鎖国』岩生成一
    日本の鎖国政策とは、基本的には、カトリシズムを排除することだった。普遍的な価値観を力によって押し付けることを、日本は鎖国によって拒否したのだ。ただ、鎖国は必ずしも対外関係の遮断でなかったことも本書から知れる。筆者は両論併記で明言を避けたが、私は本書から鎖国政策は必要不可欠だったという印象を持った。
  • 新編 特攻体験と戦後島尾敏雄吉田満
    特攻の生き残りの島尾と、戦艦大和の生き残りの吉田の壮絶な対談。あの時代に関する重大な証言だ。異常な体験から導き出された答えは、日常を真面目に生きて行くこと。いかに生きるかということ。深い感銘を受けた。とてつもない誠実さである。