小説の諸相 - E.M.フォースター

 講釈の威力を知るために次の文章を見て欲しい。「王が死んだ。女王が死んだ」。これを「王が死んだ。それから女王が悲しみのあまり死んだ」と比べてみよう。これは作家のE・M・フォースターが、情報を並べただけなのと話の筋の違いを示すためにつくったものだ。
 しかし、ここではつなぎの言葉を見てほしい。二つ目の文章では情報を加えたのに次元は減っている。ある意味、二つ目の文章のほうがずっと軽くて持ち運ぶのも覚えるのも簡単だ。二つあった情報が一つですんでいる。覚える苦労が少ないのと同じように、他人に売るときも、パッケージで売ったほうが売りやすい。簡単に言うと、これが講釈の定義であり、機能である。


 イギリスの作家で小説研究者としても知られるE・M・フォースター(一八七九−一九七〇)は、小説の「プロット」について定義するさい、次のように、ミステリーとは何かということにも触れている(引用中の「ミステリー」という言葉に傍点を付けておく)。


 プロットの意味を明らかにしよう。ストーリーは、時間の順に配列された出来事の叙述であると定義した。プロットも出来事を語ったものではあるが、因果関係に重点が置かれる。「王が死に、それから女王が死んだ」というのは、ストーリーである。「王が死に、悲しみのあまり女王が死んだ」というのは、プロットである。この場合、時間の連続性は保たれているが、因果の意味合いが影を投げかけている。さらに、「女王が死んだ。その理由を知る者は誰もいなかったが、やがてそれは王の死に対する悲しみのゆえであったとわかった」というのは、ミステリーを含んだプロットで、高度の発展の可能性を秘めた形態である。ここでは時間が一時停止し、限界の許すかぎりストーリーからかけ離れている。女王の死に関して言えば、私たちはストーリーならば「それから?」と尋ね、プロットならば「なぜ?」と問う。小説の二つの様相であるストーリーとプロットとの根本的な違いは、ここにあるのだ。

 フォースターの区別によれば、ストーリーはたんに、次がどうなるかという原始的な好奇心のみを刺激するものであるのに対して、プロットは、新しい事実を「孤立したものとして見ると同時に、すでに読んだページに書かれていたことと関連づけて見る」ための知性と記憶力を、読者に要求するものなのである。彼は続いて、プロットとミステリーの関連について、次のように議論を発展させてゆく。


 高度に組み立てられた小説では、さまざまな事実が互いに対応し合っている場合が多く、鑑識眼のある読者でも、最後に見晴らしのよい高みに行き着くまでは、事実の全貌を眺めることはできない。この意外性、あるいはミステリーという要素----時として探偵的要素という空疎な呼び方をされることもある----が、プロットにおいてはきわめて重要なのである。それは、時間の連続性を一時中断することによって生じる。ミステリーとは、いわば時間のポケットであり、「なぜ女王は死んだのか?」というようにあからさまな形で出てくる場合もあれば、素振りや言葉でそれとなく示し、本当の意味はずっと先になってから明かすというような、もっと微妙な形をとる場合もある。ミステリーはプロットに不可欠の要素で、知性がなければ理解することはできない。好奇心が強い人々にとっては、それもまた、ただの「それから」にすぎない。ミステリーの真価がわかるには、頭の一部はあとに残したまま考え続け、頭のほかの部分は先へと進み続けなければならないのだ。
(『小説の諸相』第五章)

 以上のように、フォースターがストーリーとの比較をとおしてプロットを定義づけるとき、ミステリーの特質が明らかになってくる。つまり、物語の時の流れを止めるもの、読者に「なぜ?」と問わせる要素がミステリーであるとするならば、あらゆる文学にはミステリーが含まれているといっても過言ではない。


2-5頁(『ミステリーの人間学』藤野由美子)

小説の諸相 (E.M.フォースター著作集)

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