思考する言語 - スティーブン・ピンカー

思考する言語(中) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(中) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

本書の中での出色は「第四章 世界認識の四つの方法----物質・空間・時間・因果」だろう。

まず、「1 カントの四つのカテゴリー」から。

 カントはヒューム(とりわけ因果性についての彼の懐疑的立場)によって、「独断のまどろみ」から覚醒させられたと述懐している。ヒュームは、ある出来事が別の出来事を引き起こすという考えを正当化するものは存在しないと主張した。私たちはただ過去の同様の体験にもとづき、ある出来事に続いて別の出来事が起きることを予期しているにすぎないというのだ。連合心理学の立場に立つヒュームは、因果に関する人間の直観は、ある出来事に別の出来事が続くことが多いのをくり返し観察したことによって、心に刻印された習慣にすぎないという。こうしたヒュームの主張の一つの問題は、二つのアラーム時計が相前後して鳴るのをくり返し聞いても、観察者はそこに因果関係があるとは思わないのはなぜか、ということだ。だがカントを覚醒させたのは、ヒュームの主張では、因果関係は宇宙を支配する法則的な力によって説明可能だという確信を人間がもつ理由を説明できないという問題だった。その次の世紀にウィリアム・ジェームズが指摘したように、ヒュームが想定した観察者は、「部分と部分が「アンド」という接続詞でつながっているだけの、「〜と〜」の世界の住人にすぎない」のだ。

続いて、「6 因果はどう認識されるのか①----「力のダイナミクス」の考察」から。

 ヒュームは---そしてのちには「独断のまどろみ」から覚めたカントも---観察していない事象についての推論をどうしたら正当化できるのか、と問うた。つまり、「物を手放したら、それは落ちる。自分はグラスを手放した。したがってグラスは落ちる」という推論を、「二等辺三角形の二角は等しい。これは二等辺三角形だ。したがってその二角は等しい」という論理的・数学的推論と変わらぬ確信にまで高められるか、ということである。ヒュームの結論は、できないというものだった。もっとも、だからといってグラスが落ちると予期することが合理的でないというわけではない。人間の因果の直観は確実性には欠けるものの、私たちの心理において有益な役割をはたしている。この不確かさは、人間の因果に関する直観とは、深いところでは経験の積み重ねによって形成された予期にすぎず、そうした予期は宇宙が合法則的であってはじめて満たされる(しかも宇宙が合法則的であるという想定は証明不可能である)という悲しい事実から生じる。
 ビリヤードの球が別の球に当たるとその球が動く、と私たちが考える理由について、ヒュームは次のように述べる。

 たとえ人間(アダムとしておこう)が旺盛な理解力を備えていたとしても、経験を欠いていれば、最初の球の動きと衝撃によって二番目の球が動くことを推論できないはずだ……。アダムが推論するためには、(彼が霊感を受けていないかぎり)二つの球の衝突の結果を経験することが不可欠である。すなわち、一つの球が別の球にぶつかれば、二番目の球が必ず動き出すことを何度も見ていなければならない。このような出来事を十分な回数目撃すれば、彼は一つの球が別の球のほうに動くのを見るたびに、二番目の球が動き出すと迷わず結論するにちがいない。彼は自分の理解にもとづいて次に起こる光景を想像し、過去の経験に適合する結論を引き出すのである。
 したがって、原因と結果をめぐるあらゆる推論は経験にもとづいており、経験から生じたすべての推論は、自然の成り行きが将来も一貫して変わらないという前提にもとづいているといえる。

この人間の因果帰属を正当化できるかの問題に関する議論でよく出てくるものがいくつかある。

  1. 恒常的連接説
  2. 反事実的仮定説
  3. ベイズネットワーク


 恒常的連接説では、人間の直観は、単にある出来事の後に別の出来事が起きる場面を繰り返し目にした結果、将来もそうなると予期するにすぎない。

 反事実的仮定説はデイヴィット・ルイスが提唱した。これは「AがBの原因である」を「もしAがなかったらBもなかったはずだ」と置き換える立場だ。因果関係の分析の一つとして洗練されているが、ある出来事を引き起こすのに必要な条件が複数ある場合など、問題も多いとピンカーは述べている。

 クモの巣のように入り組んだ因果関係を解き明かす方法に、人工知能を使った「ベイズネットワーク」と呼ばれるものがある。(一八世紀の数学者トーマス・ベイズの名にちなむ。ベイズは、ある状況が発生する確率を、その状況の生じる見込みと、観察される何らかの結果が表れる確からしさ〔蓋然性〕とから計算する方法---ベイズ理論---を発見した。)

ベイズネットワークのひとつの限界は、長期的に見た場合の平均には該当しても、個別の事象の原因については全く明らかにしていない点だという。