裏返し文章講座 翻訳から考える日本語の品格 - 別宮貞徳

日本人なら全ての人が読んだ方がいいと言える本。

「は」と「が」の違い


 それから、もっと重要なのは、日本語はたとえ主語が明示されていなくても、文脈からそれがわかるということです。これはほとんど助詞「は」の働きによります。みなさん、とうの昔にご存じでしょうが、「は」は主題を示す助詞ですね。


(中略)


 そして、忘れてならないのは、一度「は」で主題が示されたら、基本的に次に「は」が出てくるまで主題が継続するということです。その働きのおかげで主語が省略できる。

別宮氏はこの「は」の働きについて面白い例を挙げている。著名な日本学者サイデンステッカー氏はかつて川端康成の『伊豆の踊子』を英訳した。その訳文の或る箇所で「は」の働きを解釈し損ねたのだ。

まず『伊豆の踊子』原文。

はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。

続いて解説。

 この「さよならを言おうとした」のが、亡くなったサイデンステッカーさんの訳では "I"---「私」になっているそうです。ところが、日本人の学生にきいてみたら、大部分が踊子だと断定した。しかも、「多くの学生は、さよならを言おうとしたのが「私」なら、その前に出てくる「私が」は「私は」となっているはずだ、と答えた」そうです。りっぱなものです。サイデンさんがまちがえたのは仕方がないでしょう。ぼくなんかよりよっぽど日本のことをご存じのサイデンさんでも、ときどき日本語の用法がおかしいことはおありでしたから。しかし、ずっと日本語漬けの日本人のくせに「は」と「が」の用法を知らないのは困る。


引用した「伊豆の踊子」の第二文は、「踊子は (...) 見つめていた。」の通り、主題が「踊子」となっている。そして続く第三文は主題が提示されていない。
ここで最初の引用箇所を思い出して欲しい。「一度「は」で主題が示されたら、基本的に次に「は」が出てくるまで主題が継続する」。
つまり第三文は、第二文の主題「踊子」が継続している状態だ。よって、第三文を、主題が明示された形で書き直すと次のようになる。「私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、踊子はさよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。」作家川端康成は、この主題提示部「踊子は」を省略しても文脈上差し支えないと判断し敢えて明示しなかった。ところが、主題の省略はアメリカ人の日本学者にとって鬼門となってしまったのだった。

ちなみに、本書にはサイデンステッカー氏の英訳が掲載されていなかった。小生は気になったので、該当箇所の訳を調べてみた。

The lighter pitched violently. The dancer stared fixedly ahead her lips pressed tight together. As I started up the rope ladder to the ship I looked back. I wanted to say good-by, but I only nodded again.

たしかに、"I wanted to say good-by, but I only nodded again." と訳されている。正しくは、 "She wanted to say good-by, but she only nodded again." ですね。

裏返し文章講座―翻訳から考える日本語の品格 (ちくま学芸文庫)

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