サンデルの政治哲学 - 小林正弥

今年の4月〜6月にNHKで放送された『ハーバード白熱教室』で有名になったサンデル教授の政治哲学について、千葉大学の小林教授が解説したもの。
本書は6講構成をとっている。第一講はハーバード講義の解説、第二講〜第五講までは、サンデルの著作の解説である。
サンデルの著作は全部で7冊ある。

  1. リベラリズムと正義の限界』(1982, 1998)
    本書の主題はロールズの『正義論』の批判にある。
  2. リベラリズムとその批判者たち』(1984
    「リベラル ― コミュニタリアン論争」についての論文集。
  3. 『民主政の不満』(1996)
    コミュニタリアンは保守的、前近代的ないし封建的で、自由を抑圧する」といった、リベラルからの反論に答えたもの。アメリカの政治経済や憲法を扱う。ロールズが『正義論』から「転向」し発表した『政治的リベラリズム』(1993)への批判書でもある。
  4. 『完全な人間を目指さなくてもよい理由』(2007)
    文化的な論点を本格的に展開している。日本語書名はミスリーディングである(実際、サンデルは perfection(遺伝子工学による人間完成)に反対している)。
  5. 『公共哲学』(2005)
    比較的短い三〇の文章を集めた作品(Atlantic MonthlyDessentPolitical TheoryHarvard Law ReviewNew Republic に掲載されたもの)。
  6. 『正義――読本』(2007)
  7. 『これからの「正義」の話をしよう』(2009)

功利主義リベラリズムリバタリアニズムコミュニタリアニズムそれぞれの特徴はつぎの通りだ。

  1. 「福利の最大化」という考え方
    帰結主義功利主義
  2. 「自由の尊重」という考え方
    (義務・権利論:リベラリズムリバタリアニズム
  3. 「美徳の促進」という考え方
    (目的論:コミュニタリアニズム


  • 功利主義 utilitarianism ―― 全体としての「社会的な良きこと(social good)」を志向する。個々人の分離性・独自性・多元性を軽視する。ミクロ経済学の効用関数はこの枠組みに存在する。経済指標のGNPを至上視する。
    (代表的論者)ベンサム

    功利主義は人間の尊厳の観点から見て問題がある、とサンデルは指摘する。(例)救命ボート事件。キリスト教徒をライオンに食べさせる闘技を見て喜ぶ古代ローマ市民。9・11後のテロリストに対する拷問。作家ル=グィンの『オメラスから歩み去る人々』

  • リバタリアニズム ―― 義務論 deontology 系列の、権利を基礎とする理論の一つ。人間は分離した存在 separate existence。「自己所有」の原理。課税は一種の奴隷制。福祉政策反対。リベラル派よりも自由を尊重する。最小限国家 minimum state を志向する。市場経済を重視する。
    (代表的論者)ノージック:『アナーキー・国家・ユートピア

    リバタリアニズムは以下の議論において問題があるとサンデルは指摘する。売春・姦通・同性愛、臓器売買、自殺幇助、合意による食人。

  • リベラリズム ―― 特定の善にないし価値観や世界観に基づかずに、自由を擁護する。多元的な個人であり、独立した意思を持って選択する。政治的なリベラリズムやヨーロッパの自由主義とは異なる。福祉政策擁護。自己観は、「負荷なき自己 unencumbered self」。
    (代表的論者)ロールズ:『正義論』、ドゥオーキン
  • ロールズは正義をどんな論理で考えたか。「社会契約論は存在しなかった」ことを今日の政治哲学は前提としているから、社会契約論の議論をそのまま使うことはできない。このため、その代わりに、頭の中で、人々がそういう契約を結ぶ状態を仮説的に考えてみた。それを原初状態 original position と呼び、その状態で人々が合意する正義を「公正としての正義 justice as fariness」と呼んだ。そこから導かれる原理が、(1)平等な基本的自由の原理、(2)公正な機会均等の原理、(3)格差原理である。



  • コミュニタリアニズム ―― 企業経済や官僚制国家における権力集中に反対し、中間的なコミュニティ(個人と国家との中間にあるコミュニティ;家族、ローカル・コミュニティを含む)が侵食されることを懸念する。自己観は「負荷ある自己 encumbered self」。民主党寄り。
    (代表的論者)サンデル

  • ネオ・リベラリズム ―― 経済の効率化を重視する。民営化。規制緩和。福祉の縮小。
    (代表的論者)フリードマン:『選択の自由』

なぜ小林氏は "encumbered self" を「負荷ありし自己」と訳すのだろうか? 訳語に「し」(過去(回想)の助動詞「き」の連体形)が必要な理由は何だろうか? 普通に考えれば「負荷ある自己」と訳すべきなのに。

読書案内――マイケル・サンデルの政治哲学を理解するために

第一講

第二講

第三講

第四講

第五講

サンデルの政治哲学?<正義>とは何か (平凡社新書)

サンデルの政治哲学?<正義>とは何か (平凡社新書)

はじめに――マイケル・サンデルの政治哲学の全体像

序 新しい「知」と「美徳」の時代へ
 ──なぜ、このような大反響となったのか

ハーバードという知的ブランド/大衆社会のなかの知的なオアシス/対話型講義の新鮮さ/講義の演劇的アート(技術・芸術)/事例や道徳的ジレンマの吸引力/政治哲学というジャンルの魅力/日本や世界の時代状況とのマッチ/東アジアの文化的伝統/大反響の理由と、そこから現れる可能性/学問の原点回帰/万人哲学者――「愛智の学」の復活による学問改革/世界的な視座の中の新しい「知」の意義/政治哲学が日本にもたらすもの/公共哲学の新展開/対話型講義に見るコミュニケーションの可能性/対話型講義による教育改革/知と美徳のルネッサンス

第一講 「ハーバード講義」の思想的エッセンス
 ──『正義』の探求のために

「正義(Justice)」の意味するところ/『正義』と『講義録』の大きな特徴/功利主義からリバタリアニズム
第1章(第1回) 三つの正義観──「正しいことをする」
福利型・自由型・美徳型正義論
第2章(第2回) 功利主義の福利型正義論──「最大幸福原理」
功利主義とは何か/ベンサム功利主義/価値の共通通貨/J・S・ミルは功利主義者か?
第3章(第3回) リバタリアニズムの自由型正義論──「私たちは私たちのものか?」第4章(第5回) 市場主義にさらされる道徳──「雇われ助っ人」
市場主義に生じるジレンマ/リバタリアニズム、ネオ・リベラリズムリベラリズム
第5章(第6・7回) 道徳的哲学者、カント──「重要なのは動機」
近代的自由主義が生まれたところ/カントの考え方
第6章(第7・8回) ロールズの自由型正義論──「平等のための理由」
ロールズとサンデル/ロールズの考え方/契約の道徳的限界/無視できない道徳性
第7章(第9回) リベラリズムの不条理──「アファーマティブ・アクションを議論する」
大学入学資格について考える/リベラリズムへの問題提起
第8章(第9・10回) 正義論の古典的源泉、アリストテレス──「誰が何に値するか?」
サンデルの目指しているところ/アリストテレスの考え方
第9章(第11回) コミュニタリアニズムと忠誠のジレンマ──「たがいに負うものは何か?」
コミュニティの一員としての責任
第10章(第12回) サンデルの理想──「正義と共通善」
オバマ政権への期待/共通善の政治/放映と著作との相違/「善ありし正義」という新・正義論
第二講 ロールズの魔術を解く
 ──『リベラリズムと正義の限界』の解読
出発はロールズ批判
ロールズの『正義論』とは
戦後の政治哲学から/「契約論」は虚構!?/ロールズ功利主義批判と「性議論」/正義の二原理/格差原理/東洋の「正義」/カント的リベラリズム
〈正義の首位性〉を批判する
正義と善[善きこと]/「負荷なき自己」を批判する
序 章 形而上学なき正義論──「リベラリズムと正義の首位性」
カントとロールズの違い
第1章 ロールズの考えている自己とは──「正義と道徳主体」
合理的で無関心な自己/多元性、所有の主体、主意主義
第2章 所得は道徳的価値と無関係か?──「所有・適価・分配の正義」
リベラリズムリバタリアニズムアメリカと「契約」の親和性/経済的自由で分かれる立場/リバタリアニズムと所有/共通資産――ロールズの「分配」の論理/その人にふさわしい「適価」とは?/ロールズの魔術を解く
第3章 〈契約〉の正体は原理の発見──「契約論と正当化」
第4章 本当の〈コミュニティ〉や〈善〉とは──「正義と善」
結 論 〈負荷ありし自己〉の友情と省察──「リベラリズムと正義の限界」
コミュニタリアニズムの出発
「道徳とリベラルの理想」政治的宣言
〈第二講〉 まとめ
第三講 共和主義の再生を目指して
 ──『民主政の不満』のアメリカ史像
アメリ憲法と政治経済/ロールズの大変化――転向か?
第1部 「手続き的共和国の憲法」──共和主義的憲政史
第1章 〈ロールズ 対 サンデル〉の第二ラウンド──「現代リベラリズムの公共哲学」
公共哲学とは何か/リベラリズムと共和主義/ロールズの政治的リベラリズム――サンデルの勝利の結果か?/「普遍主義なき政治的リベラリズム」とその批判
第2章 建国の頃は権利中心ではなかった──「権利と中立的国家」
建国当時の合衆国憲法/「正の優位性」と中立性の出現
第3章 中立性の論理で失われたもの──「宗教的自由と言論の自由
宗教に対する中立性/言論に関する中立性
第4章 性的関係や家族関係をどう考えるか──「プライバシー権家族法
変化するプライバシー権の論理/無責主義的家族法の問題点/「希薄な多元主義」から「高次の多元主義」へ
第2部 「公民性の政治経済」──共和主義的政治経済史
第5章 共和主義的産業を求めて──「初期共和国における経済と美徳」
農業と国内工業における共和主義的理想/ジャクソン時代の二つの共和主義
第6章 共和主義的な二つの運動──「自由労働と賃労働」
自由労働の公民的観念と職人的共和主義/政治的反奴隷制と共和主義/労働者共和主義の盛衰
第7章 二つの革新主義──「コミュニティ、自己統治、革新主義的改革」
革新主義から消費者主義へ
第8章 〈善なき経済学〉の勝利──「リベラリズムケインズ革命
政治論争を回避したケインジアンたち
第9章 〈不満〉の克服への試行錯誤──「手続き的共和国の勝利と苦悩」
リベラリズムに基づく福祉国家保守主義/不満に対する応答――抗議、公民的希望と共同的レトリック
結 論 新しい共和主義のビジョン──「公共哲学を求めて」
多元的かつ道徳的な共和主義を目指して/国家を超えて、主権とアイデンティティの分散へ/「民主政の不満」の意味
共和主義はいかに生まれ変わるか
政治思想史から見る/アメリカにおける「富と美徳」/「共和主義的政治経済」復興の現代的意義/主権分散的・多元的共和主義のビジョン
第四講 「遺伝子工学による人間改造」反対論
 ──『完成に反対する理由』の生命倫理
著作の背景とサンデルの天賦生命観
第1章 「 増強(エンハンスメント)の倫理」──肯定論に対する挑戦
何がよくて、何がいけないのか/人間 対 改造人間/性選択と人間改造
第2章 「生体工学(サイボーグ)的運動選手」──目的論的な増強批判
天賦の体と人工の体/スポーツの本質的な目的は?
第3章 「設計される子供と、設計する親」──愛と〈教育の増強〉
科学技術は愛に代われるか?
第4章 「新旧の優生学」──リベラル優生学批判
自由市場の優生学優生学を哲学的に考えると
第5章 「支配力と贈り物」──天賦生命観を支える美徳
サンデルへの反論と、それへの回答
エピローグ 「胚の倫理」──道徳的保守派批判
幹細胞は生命なのか/幹細胞に関する哲学的考察/胚はヒトなのか!?
他の哲学的立場との関係
サンデルの精神性・宗教性/ユダヤ教的神学に基づく生命倫理/新しい生命倫理へ――リベラリズム生命倫理を超えて
第五講 コミュニタリアニズム的共和主義の展開
 ──『公共哲学』論集の洞察
序 民主党が選挙に勝つには
第1部 共和主義的政治評論──「アメリカの公民的生活」
政治的振り子――民主党レーガン大統領から学ぶべきこと/クリントン大統領をどう評価するか/平易な美徳による勝利/大きなアイデアの不在/礼節か、公民性か?/公的問題と私的問題――ミニカ・ルインスキー事件/クリントンの嘘とカント/ロバート・F・ケネディのビジョン
第2部 市場主義とリベラリズムへの批判──「道徳的・政治的議論」
国営宝くじへの反対/コマーシャルによる教室の商業化/公的領域のブランド化と市場化/スポーツにおける公民的アイデンティティへの侵食/競売による私有化と公共化/大学や教育の商品化/排出量取引批判/市場主義の問題と道徳的適価/裁判における応報的正義/「自殺幇助の権利」批判
第3部 哲学的発展──「リベラル─コミュニタリアン論争の展開」
テイラーとヘーゲルの影響/コミュニタリアニズムの先駆者・デューイ/ウォルツァーの「コミュニタリアニズム」/分配についての多元的正義論/ウォルツァーの相対主義や正義論の問題性/コミュニタリアリズム的な核戦争反対論/論争と名称問題/ロールズ追悼文/「政治的リベラリズム」批判――第二局面のロールズ批判/サンデルのコミュニタリアニズム批判?――「善と正の相関性」と目的論的正義/「コミュニタリアニズム」の思想的発展――「善ありし正義」へ/公共哲学としての特色と公私関係/コミュニタリアニズム的共和主義の公共哲学/日米の公共哲学/日本政治と公共哲学
最終講 「本来の正義」とは何か?
 ──正義論批判から新・正義論へ
二つのマイケル・サンデル像/サンデルの思想的一貫性――「負荷ありし自己」も含んだ「正義」論批判/コミュニタリアニズムの二つの特徴――善と共/ロールズの「転向」と批判の展開――善ありし正義へ/目的論的正義論へ――「本来の正義」とは?/多数派コミュニタリアニズム批判――特定のコミュニティを超えた善/主権分散的・多元的な共和主義的公共哲学/「本来の正義」を問う、新しい正義論/「本来の正義」の対話的探求
あとがき
文献案内