変見自在 サダム・フセインは偉かった - 高山正之

 朝日新聞の「朝日歌壇」に「米軍が地雷を敷設して誰もいないアフガンの村には砂舞うばかり」という歌が入選したと「正論」がびっくりして書いていた。
 アフガンに地雷を撒いたのはソ連だろうが。それも敷設ではない。あの攻撃ヘリMi24ハインドが空から撒いた。子供向けに玩具形の地雷もあった。
 選者の近藤芳美の無知はともかく、デスクも記者も米国の疑惑なら真偽を確かめる要なし、としているところがとてもコワい。
 こういう風潮は地方紙にも伝播する。今や朝日より赤いと言われるのが西日本新聞だが、そこに載った投書が面妖だと「産経抄」が指摘していた。
「九十歳の老人」の投書の要約は「昭和二十年秋、南京郊外を引き揚げる降伏日本兵に共産軍幹部が機銃掃射しようと周恩来司令官に許可を求めてきた」
 白旗を掲げる丸腰の兵を皆殺しにするとはいかにも支那人らしいが、周恩来は「彼らも一握りの軍国主義者の哀れな犠牲者だと部下を諭し、逆にコメを一升ずつ配った」と。
 だから「戦争の惨苦を体験したらA級戦犯をまつる靖国神社に参拝しないだろう」と老人は結ぶ。
 周恩来を恩人に仕立て日本を目一杯くさす。なかなかよく出来た投書だが、歴史をちょっと調べれば、このとき周恩来重慶にいたし、南京周辺は蒋介石支配下だったとコラム子は検証している。
 つまり投書は粗雑なでっち上げだったわけで、反日ものは真偽を問わない西日本新聞らしい話だ。
 笑わせるのは、このインチキ投書を民主党の代議士横光克彦が調査もしないで国会で取り上げて小泉首相靖国神社参拝を非難した、とコラムが付け加えていることだ。
 議員には月に百万円の文書通信費が出ているのにそれをケチるからこんな恥をかく。
 昨年の文藝春秋十二月号に例の「バターン死の行進」のコースをジャーナリストの笹幸恵が歩いたルポが載った。
 ここでは日本軍三万に米比軍七万が戦った。その七万が意気地なく手を上げた。
 しかし食えなくて戦争を始めた日本側は「ハイ皆さま車にどうぞ。七万人分の捕虜収容所に温かい食事を用意しています」とはいかない。
 それで収容所まで八十キロを歩いてもらった。
 それが本当に死の行進だったか歩いてみたら「女だてら下痢の身でも歩けました」という記事だった。
 「バターン死の行進」は実は過去一度も検証が行われていない。にもかかわらず先日の朝日新聞には論説委員清水建宇が「数千の死者が出た」と米国の主張そのままをあたかも真実のように書いていた。
 反日なら米国のポチにもなりますという根性は立派だが、ジャーナリストなら少しは笹女史を見習ってもよかった。
 ところが彼女の軽いタッチの検証に米国からすぐ重量級の反応がきた。
 あのサイモン・ウイゼンタール・センターが抗議し、元捕虜の長文の反論を同誌〇六年三月号に掲載させた。
 お前らに一言の反論も許さない。検証など以てのほかといった内容だ。
 真実が出ることを嫌がる者がいる限り、検証はさせないということらしい。

(二〇〇六年七月二十七日号)
変見自在 サダム・フセインは偉かった (新潮文庫)

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