オリンピックの不公平と武士の卑怯

高田崇史QED 諏訪の神霊 (講談社文庫)』と平谷美樹義経になった男(一)三人の義経 (ハルキ文庫 ひ 7-3 時代小説文庫)』を読んでいたら、「不公平」と「卑怯」に関する似たような議論に出くわした。まず、『QED 諏訪の神霊』からの引用。

 しかし――、と外嶋は冷ややかに美緒を見る。
「ぼくは思うが、オリンピックほど不公平なスポーツの祭典はないな」
「え? どういうことですか」
「不平等だよ。それでよくタイムがどうしたとか、新記録だとかのたまえるもんだ。前提条件が均等でない場で争って、何故順位をつけられるのか、それこそ史上最大の謎だ」
「どうして?」
「見れば分かるだろう」外嶋は人差し指で、ついっと眼鏡を上げた。「ユニフォームや靴や競技用の道具だ」
「またまたこのオヤジは――」
「もしも、きちんと良心的に個々の順位をつけようと思うのならば、そういった物質を全て均一にするべきだろう。最も分かりやすい例が、夏季オリンピック陸上競技だ。A国の選手が最先端の技術を駆使した、しかもその選手用に特注したシューズを履いていて、B国の選手が裸足だったとしたら、彼らの刻んだタイムに、一体どうやって順位をつけるというんだ?」
「それは……」美緒は唇を尖らせた。「でも、仕方ないじゃないですか。ルールの範囲なんだろうし」
「誰が決めたルールなんだ? A国か、B国か? それともA国の仲間たち大勢による多数決か?」
「それだって……国ごとの技術が違うんだし、しょうがないでしょう」
「それならば最初から参加者全員が、裸足で走ったり跳んだりすれば良いじゃないか。簡単なことだ」
「それは無理」
「どうして?」
「記録が伸びないから」
「ほう。オリンピックというのは、個人の身体能力を競う場ではなくて、そういった用具の技術を争う場なのかね?」
「うーん……両方。そこで、各国の新しい技術も発表するんですよ」
 それならば、と外嶋は言う。
「ぼくは、新しい薬物を持ち込んで、ドーピングの効果を訴えたいな。記録を伸ばすための素晴らしい薬があります、とね」
 薬剤師にあるまじき不穏なことを言い始めた。
「いや、これはきっと本心ではないのだろう―――と奈々が思った矢先、
「ドーピング大いに結構」
 とんでもないことを言う。
「だって!」美緒は抗議の声を上げた。「そんなことしたら、命に関わっちゃうじゃないですか」
「あのレヴェルでの激しいスポーツは、全て命に関わってくる」
「それとこれとは別」
「いや、同じだね。元来、オリンピック競技は命懸けだったんだからね。そして、選手が命を賭して戦うというのならば、薬も飲ませてあげれば良いじゃないか。筋力をつけるために、タンパク質を大量に摂取するという作戦だって、その選手の命を縮めるということに変わりはない」
「だから程度の問題でしょう!」
「しかし、特注のシューズだって、他国の選手から見たら程度を超えているかも知れないだろう。自分たちの年収を遥かに上回る開発費がかかっていたりすれば」
「それはそうだけど……」
「そういった道具にしたところで、結局は自分だけがうまく立ち回って他の選手より有利に戦おうという感情から来るわけなのだから、その点ではドーピングと全く変わりない」
「・・・・・・・・・」
「違うかね?」


続いて『義経になった男(一)三人の義経』からの引用。

「しかし――」橋のたもとに正門坊が現れて口を挟んだ。
「その戦いぶりは荘園の百姓でございます。侍には戦いの作法というものがござる」
「作法?」
 遮那王は川の中から正門坊を見上げた。
「さん候。苦言なれど申し上げまする。木の根に足を取られて転ぶことを誘い、腐れた橋を踏み抜かせと、姑息で卑怯な策を弄して勝とうとするのは侍の戦いではござらぬ」
「左様か。それはすまなかった」遮那王は川から上がりながら言った。
「では訊く。侍はなぜ弓を使う?」
「弓――、でございますか?」
 正門坊は怪訝な顔で遮那王を見た。
「刀の切っ先が届かぬ場所から攻撃するのは卑怯ではないのか?」
「それは――」
 正門坊は口ごもった。
「なぜ馬を使う? 馬の脚力を頼みにして突進するのは卑怯ではないのか? 雑兵を使うのは? 船を使うのは? 戦いの状況に合わせて弓や馬や船を使い、相手の兵の数を見て派兵の人数を決める。それはなんのためだ?」
「勝つため……にござる」
 正門坊は弱々しい声音で言った。
「で、あろう。ならば、巨漢弁慶を相手に、小兵の儂が勝つことを考えて策を弄することは卑怯ではないと思うが、いかが? 戦いは何のためにするのか? 勝つために決まっておる。負けるために戦う者など聞いたこともない」