楽園のカンヴァス - 原田マハ

ルソーって誰のことだろう。わたしは知らなかったのです。けれど祝宴があってみんながそれに行ってわたしたちも招ばれてるとあれば、ルソーが誰だってそんなこと構ったことはありません。
ガートルード・スタイン「アリス・B・トクラスの自伝」


第一章 パンドラの箱 二〇〇〇年 倉敷
 ここに、しらじらと青い空気をまとった一枚の絵がある。
 画面に広がるのは、翼を広げて飛び立とうとするペガサス、その首に植物の蔓を投げる裸婦、彼女の足もとで花をつむ裸の少年。
 ペガサスも、人物像も、それぞれの身体はパウダーをはたいたように白く透明だ。細かい粒子が光を反射していちめんに漂っているかのようにも見える。それほどまでに青く、白く、まぶしい画面だ。
 ペガサスの背後には切り立った山が見える。生の歓びに満ち溢れているはずの春の森は静寂にさらされ、生々しい命の気配はない。とすれば、これは現実世界を描いたものではなく、天上の楽園を表したものなのだろうか。あるいは、画家が夢をみたそのままの風景なのだろうか。
 早川織絵は、この絵の前で長らく立ち止まっていることが多い。監視員であるからには、美術館内のある一点の作品の前だけを守っていればよいというわけではない。館内の持ち場を一定時間動き回って、あちこちを見回る必要がある。が、織絵は近頃、この絵が特に気に入っていた。毎日毎日、飽かず眺める。眺めるうちに、聴こえてくる。白馬のいななき、翼がはばたく音。そして感じる、その周囲に巻き起こるささやかな薫風を。
 ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが一八六六年に描いたこの作品は、縦二メートルを優に超える大画面だ。女流彫刻家クロード・ヴィニョンの邸宅の壁を飾るために描かれた四連作のひとつだという。他の三点がどんなものか見てみたい、と織絵は密かに願っていたが、どうにかがまんして調べずにいた。自分が興味を持った作品について調べ始めたらどういうことになるか。それは、この十数年間固く封印してきた「パンドラの箱」を開けてしまうようなものだとよくわかっていた。
 四十三年間生きてきて、ひょっとすると、いまがもっとも美術作品の近くに寄り添い、その目をみつめ、声を聴いているのではないか。そんなふうにも思う。
 こつこつと靴音が近づいてくる。織絵は画面に注いでいた視線を展示室の出入り口に向けた。同僚の向田彩香が口もとに微笑を浮かべてやってくる。持ち場を替わる時間になったのだ。
 織絵と彩香はお互いに視線を交差させるが、何も言わない。織絵が立っていたシヤヅアンヌの作品の前あたりで彩香が足を止める。休憩室ではにぎやかにおしゃべりをする仲だが、展示室内では必要最低限のこと以外、会話できない。口を結んだまま、織絵は展示室をこつこつと横断していく。渡り廊下を歩いて、次の展示室へと移動する。
 展示室の隅にたたずんで、あくびをかみ殺している顔が目に入った。桃崎優梨子である。パートタイマーとして二カ月まえにここへやってきた彼女は、当初「大好きな絵を毎日見られる」とそれは喜んでいた。が、一週間で飽きてしまった。休憩室で顔を合わせると「一日が長えわあ」とこぼす。二十三、四歳の娘にはさぞや退屈な仕事だろう。
 閉ざされた空間に、滔々と静かに流れる時間。朝十時から夕方五時まで、そこから逃れることはできない。どんな刺激も変化も事件もないし、あってはならない。八名の監視員たちは、無言で展示室から展示室へと一定間隔で渡っていく。六十分ごとに、順番に、玉突きのように、第一展示室から始まって第十展示室まで、沈殿する空気を音もなく攪拌しながら。
 優梨子のあくびの涙目が、織絵の目と合った。気まずそうな顔になって、織絵に背を向け、やはり無言で去っていく。
 こつこつと靴音を鳴らして、優梨子が立っていたあたりへ行くと、正面を向いて立ち止まる。
 さて、今度はエル・グレコの描いた聖画と向き合う時間だ。
 縦長の画面には荘厳な輝きが満ちている。舞い降りる金髪の天使、稲妻のようにまばゆく突き刺す天上の光。幸いなる人よ、主があなたとともにある――天使ガブリエルの言葉に戦慄するマリア、その美しく歪んだ顔。けれどどこかその瞬間を待ち構えていたような堂々とした姿勢。もう何百回、その顔をみつめ続けてきたことだろう。もう何百時間、処女懐胎などという人類の夢想に向き合い続けてきたことだろう。

画家を知るには、その作品を見ること。何十時間も何百時間もかけて、その作品と向き合うこと。
そういう意味では、コレクターほど絵に向き合い続ける人間はいないと思うよ。
キュレーター、研究者、評論家。誰もコレクターの足もとにも及ばないだろう。
ああ、でも――待てよ。コレクター以上に、もっと名画に向き合い続ける人もいるな。
誰かって? ――美術館の監視員だよ。

 ふいになつかしい会話を思い起こした。もう十何年もまえの、なんてことのない会話が、こんなふうに唐突に、そしてまざまざと蘇ることがときおりある。ことに、ひとつの作品に気持ちを集中させているときなど、なんの脈絡もなく、ふっと。
 老人がひとり、腰の後ろに両手を組んで、しげしげとエル・グレコを眺めている。老人はいかにも悠長な大あくびをひとつ、エル・グレコに向かって放つと、織絵と目を合わさないようにしながら次の展示室へと移っていった。
 織絵は腕時計を見た。十時四十分。そろそろかな、と思ったら、案の定、第一展示室がざわざわとし始めた。
 くすくす笑い合う声、夢中でおしゃべりする声。若々しい女の子たちの声だ。「静かに!」と小さく叫ぶ大人の女性の声が混じる。姿は見えなくても、女子学生の団体と引率教諭だとわかる。
 学生の団体はもっとも注意が必要だ。作品にいたずらをする子供こそいないが、はめを外してはしゃぐ子供が多い。静かに鑑賞したい他の来館者を煩わせる。監視員が注意を怠ると、他の鑑賞者から「注意してください」と文句を言われることもしょっちゅうある。
 団体客が入るとまえもってわかっている日は、朝のミーティングで事務課長からその旨通達がある。何時から何時のあいだに何人、どういう団体がくるか。そして、監視員の注意レヴェルを引き上げる。
 美術館の監視員の仕事は、あくまでも鑑賞者が静かな環境で正しく鑑賞するかどうかを見守ることにある。解説するわけでもなければ案内するわけでもない。ただ、「この画家は誰ですか」「何年の作品ですか」などと問われれば、最低限答えられるように展示作品について学んではいる。それ以外にも、トイレやショップなどの場所案内、気分がすぐれない人や泣きだす乳幼児、迷子への対応なども仕事のうちだ。ただし、あくまでも持ち場を離れることはできない。緊急に対応しなければならない事態が発生すると、椅子のそばにおいてある無線で警備員や事務室に連絡をし、誰かに来てもらう。監視員は鑑賞者のために存在するのではなく、あくまでも作品と展示環境を守るために存在している。持ち場を一瞬でも離れたあいだに作品破壊などが起ころうものなら大変なことになる。
 監視員がそのすべての時間と心血を注いでみつめ続けなければならないのは、人ではない。作品とその周辺の環境だ。それに尽きる。
 そう考えれば、いつか言われた言葉――学芸員よりも、研究者よりも、評論家よりも、そしてコレクターよりも、誰よりも名画に向かい合い続けているのは美術館の監視員である、というのは、確かに納得できる。
 それは、ふだんこそ忘れているものの、ふとした瞬間に胸の裡に蘇り、ひっそりと織絵を励ましてくれる言葉だった。何気なくその言葉を口にした人物には、もうこのさき会うこともないのだが。
 がやがやと足音が近づいてきた。くすくす笑いのあいだに、引率教諭がしーっと静粛を促すのが聞こえる。織絵は展示室の出入り口に意識を集中させた。
 紺色のセーラー服に深緑のシルクのリボン。白鷺女子高校の制服を着た女の子たちが現れた。引率教諭二名を含め、一行は二十三名。ほとんどの高校生がそうであるように、彼女たちは大昔の聖画などにこれっぽっちも興味がない。あくびをしたり、腕を組み合ってひそひそと小声でおしゃべりに興じたりしている。注意するのをあきらめて、美術担当らしき女性教諭が控えめに説明を始めた。
 「この作品が、エル・グレコの「受胎告知」です。エル・グレコはどこの画家か、知っとる? わからん? スペインの画家じゃね。これは一六〇三年に完成したということじゃから、いまから四百年もまえのことなんよ。そんな昔むかしの絵が、いま、みんなの目の前にあるんよ。なあ、すごいと思わん?」
 生徒たちの気を引こうとしてか、教諭は妙になれなれしい口調で話しかける。何人かの生徒はそれにつられてエル・グレコの作品に顔を向けた。織絵の中では教諭の説明に対してまず否定的な感情が立ち上がり、続いて肯定的な気分が広がった。
 エル・グレコギリシャ人で、三十六歳のときスペインに渡り生涯をスペインで過ごした。だから端的にスペインの画家、と言ってしまうと語弊かある。生徒たちには正しい情報を伝えるべきだ。
 が、四百年もまえの絵が、いまここに、自分たちの目の前にある、という事実は。単純に「すごい」ことだ、エル・グレコ作品は、日本国内ではこの美術館が一点。国立西洋美術館が一点、合計二点限りしかない。特にこの「受胎告知」は画題も。大きさも、構図も、保存状態も、何もかもがこの館の「至宝にと呼びたい完璧さだ。まさしくこの絵をここで目にすることができるのは、日本人にとって奇跡的なことである。どうやってこの美術館がこの至宝を手に入れたのか、その逸話こそ生徒たちに聞かせてやってほしいところだが、これをここで見られるのがすごい、という率直な言葉には同感だ。
 生徒たちの反応はさまざまだった。ぽかんとして絵をみつめる子。爪をいじっている子。あいかわらずひそひそと声をひそめて会話をする子たち……。
 展示室の出入り口がふっと明るくなるのを視界の片隅にとらえて、織絵はその方向へ顔を向けた。白鷺の制服を着た生徒がもうひとり、遅れて入ってきた。明るく感じたのは、彼女の髪の色のせいだった。目が覚めるような明るい栗色の長い髪を揺らして、少女は入ってきたのだ。織絵はその様子に目を凝らした。
 髪は人工的な栗色ではなく、自然なやわらかさと艶をたたえている。豊かな明るい髪に囲まれた小さな顔は、西洋の血を感じさせる顔立ちだ。セーラー服と豪華な髪がひどくミスマッチだ。彼女に注目したのは織絵ばかりではない。あとから入ってきた何人かの一般客も、エル・グレコの作品よりもさきに少女に目を向けた。それほどまでに、少女は際立っていた。
 突然、織絵はつかつかと少女めがけて近づいていった。少女はポケットからコンパクトを出してこっそりと開けたところだった。彼女のすぐ目の前に立つと、織絵は静かに言った。
 「館内は飲食禁止です。事前に、先生に言われませんでしたか?」
 少女は目を上げて織絵を見た。薄茶色の虹彩が展示室の照明を映してきらきらと輝いている。驚きも恐れもない、無感情な瞳だった。
 引率教諭がふたりに気づいて、「すみません。何かありましたか?」とグレコ作品の前から声をかけた。それには答えずに、織絵は少女に向かって続けた。
「ガムを噛んでますよね? すぐに出していただけますか。ここに」
 ジャケットのポケットからハンカチを取り出すと、手のひらの上に広げて差し出した。少女は一瞬、ハンカチに視線を落とした。それから、ごくん、と音を立てて何か飲みこんだ。
「なんもねえよ」
 そう言うと、少女は織絵に向かって口を開いて見せた。そして、桃色の舌を生き物のように二、三回、べろべろと動かした。
「ちょっと、何しよるん!? 失礼じゃが!」
 教諭があわてて駆け寄った。少女は、ふん、と鼻で嗤うと、エル・グレコの作品には目もくれずに、次の展示室へと去ってしまった。


 織絵が勤める美術館、大原美術館は、中国地方はもとより日本屈指の西洋美術コレクションを所蔵することで知られる。明治期より紡績会社を営んで財を成し、日本美術の蒐集家でもあった大原孫三郎が創設者である。孫三郎は、友人で画家の児島虎次郎の渡欧を支援し、虎次郎は制作のかたわら、孫三郎のためにヨーロッパの美術作品を蒐集した。そのときに集められた作品群が、美術館の収蔵品の中核を成している。エル・グレコの「受胎告知」はパリの画廊で虎次郎に発見され、虎次郎はこの絵の写真を孫三郎に送って購入のための送金を依頼したという。一九二二年のことだ。
 織絵は、いつも「受胎告知」の前に立つたび、七十八年まえのパリ、とある画廊の薄暗い一室に
[rakuten:book:15684354:detail]
第一章 パンドラの箱 二〇〇〇年 倉敷
第二章 夢 一九八三年 ニューヨーク
第三章 秘宝 一九八三年 バーゼル
第四章 安息日 一九八三年 バーゼル/一九〇六年 パリ
第五章 破壊者 一九八三年 バーゼル/一九〇八年 パリ
第六章 予言 一九八三年 バーゼル/一九〇八年 パリ
第七章 訪問―夜会 一九八三年 バーゼル/一九〇八年 パリ
第八章 楽園 一九八三年 バーゼル/一九〇九年 パリ
第九章 天国の鍵 一九八三年 バーゼル/一九一〇年 パリ
第十章 夢をみた 一九八三年 バーゼル
最終章 再会 二〇〇〇年 ニューヨーク