世界を騙しつづける科学者たち - ナオミ・オレスケス、エリック・M.コンウェイ

 最近になってコルヌコピアンの議論に新たな命を吹き込んだのが、デンマーク政治学ビョルン・ロンボルグだ。ロンボルグの本は、『ウォールストリート・ジャーナル』、『ニューヨーク・タイムズ』、『エコノミスト』、『ロサンゼルス・タイム』、『ボストン・グローブ』のほか、世界中の主要な新聞に取り上げられた。ロンボルグ本人も米国とヨーロッパで、『60ミニッツ』、『ラリー・キング・ライプ』、『20/20』やBBCの番組など、テレビに何度も登場した。ロンボルグの最もよく知られた本、『環境危機をあおってはいけない―――地球環境のホントの実態』(The Skeptical Environmentalist: Measuring the Real State of the World)は、世界は着実に良くなっているし、環境保護論者の主張は完全な歪曲と虚偽でないとしても誇張されているという、コルヌコピアンの主張にぴったり寄り添った内容だ。実際、『環境危機をあおってはいけない』の冒頭には、ジュリアン・サイモンの引用が掲げられている。

 私の長期的な予測はこうだ。生活の物質的条件は、たいていの人にとって、たいていの国で、たいていの期間、なおも向上していくだろう。一世紀か二世紀の間に、すべての国と人類の大部分が、今日の西洋の生活水準と同等か、それ以上の暮らしをするようになるはずだ。しかし、私はこうも思う――多くの人は相変わらず、生活の条件がますます悪化していると考え、そう言い続けるだろうと。

 『環境危機をあおってはいけない』の中でロンボルグは、いまではもうおなじみの主張を繰り返している――レイチェル・カーソンはDDTについて間違っていた、地球温暖化は深刻な問題ではない、森林がうまく対処してくれる、と。一般に、生活はほぼすべての人にとってずっと良くなっており、「将来について思い煩う必要はない」という。それなら、環境保護論者たちは何のために騒いでいるのだろうか?
 ロンボルグの本は、統計の誤用の典型的な例だと批判されている*1。二〇〇二年に『サイエンティフィック・アメリカン』で四人の指導的な科学者が、ロンボルグの計算は四つの点で「誤解を招く」ものだと述べた。デンマークではこの本をめぐって論争が起き、ロンボルグは科学的に不誠実だと攻撃された*2。ついにはデンマークの科学・技術・革新省が裁定に乗り出し、ロンボルグを科学的に不誠実だとは言えないとした。なぜなら、『環境危機をあおってはいけない』が科学的著作だと証明されていないからだという!
 『環境危機をあおってはいけない』がどういう性格の著作であるにせよ、その議論には致命的な問題点が二つある。ロンボルグは地球温暖化に直ちに対応することに反対し、世界的な飢餓など、もっと切迫した問題がほかにあると主張している。これは「誤った二分法」の典型的な例で、人類が両方の問題に対処できない本質的な理由はない。歯止めなく気候変動が進めば、貧困国は厳しさを増した環境に必死で対応しなければならなくなり、まず間違いなく飢餓がひどくなるだろう。さらに、ほかのところでも指摘したように世界の飢餓が続く理由はいくつもあるが、西洋の世界が気候温暖化への対処に忙殺されているせいではない。ロンボルグの推論のもう一つの問題点は、そこで扱われている統計がほぼすべて人間への影響に限られていることだ(平均余命、摂取カロリーなど)。ロンボルグは人間にとっての必要性や欠乏という観点から書いていると率直に認めている。そこに取り上げられた統計は、人間が何年生きたかという数字と、さまざまな革新や改善によって救われた人の数が大部分だ(ロンボルグはまた、DDTの禁止によって命を奪われたとされる人数も挙げている)。ヒト以外の種に対する人間活動の影響や、われわれの子供たちが受け継ぐ世界の状態については何も述べていない。現在のわれわれがもっといい暮らしができるようになっても、子孫に残す世界が貧しいものになる可能性は十分ある。ロンボルグの議論はわれわれの生活の質についても何も言っていない。しかし、それこそが環境保全の伝統的な議論においては重要なものだったし、現在も多くの環境に関する懸念の中心的な要素になっている。
 レイチェル・カーソンは人間に無関心ではなかった。『沈黙の春』のかなりの部分が生物濃縮とそれが人間に与えるかもしれない長期的な影響を扱っていた。しかし、たとえDDTが人間に無害だと証明されていたとしても、DDTが自然に対して深刻な影響を及ぼしているというカーソンの議論は成立したはずだ。現代の環境保護論者の多くが共有するカーソンの懸念は、種を(われわれにとって有益な種であろうとなかろうと)まるごと根絶し、生態学的にも審美的にも貧困化した世界を子供たちに残すことの倫理性に関わるものだ。たとえ大気中の酸素に対して無視できるくらいの寄与しかしていなくても、希少な花は美しいかもしれない。マラリアを媒介する蚊を撲滅するのにほとんど役立っていなくても、ハエジゴクはわれわれを楽しませてくれるだろう。ほかのところでも書いたように、ロンボルグとその追随者たちは、数に入らないものは重要でないと考える哲学上の過誤を犯している。
 『フィナンシャル・タイムズ』、『ウォールストリート・ジャーナル』、『エコノミスト』はロンボルグを擁護し、自由企業防衛センター(Center for the Defense of Free Enterprise)のような自由放任主義経済を提唱する団体からもロンボルグは多くの支持を得た。またロンボルグは、企業競争研究所(CEI)、フーバー研究所、ハートランド研究所など、本書ですでに取り上げた、イデオロギーによって動機づけられたシンクタンクの多くともつながっている。これは驚くようなことではない。コルヌコピアンの哲学は、国家が問題の解決になるのではなく国家自体が問題だという確信において、自由市場原理主義と結びついているからだ。(シンガーの『熱い議論、冷徹な科学』を発行した)インディペンデント研究所はさまざな活動を行なっているが、大学生と初任教員を対象とした『サー・ジョン・M・テンプルトン・エッセイコンテスト』もその一つだ。二〇一〇年の課題は次のようなものだった。

 誰もが国家の金で生きようとする。国家がすべての国民の金で生きようとすることを、彼らは忘れている。
――フレデリックバスティア(一八〇一 - 一八五〇)
 バスティアが正しいとすれば、政府が国民の金で生きようとすることを人々にもっとよく理解させるために、どんなアイデアや改革が考えられるか。


 もちろん、コルヌコピアンのすべてが間違っているというのではない。中には国民の犠牲によって成長する政府もあるし、現代生活の多くの側面は(少なくとも多くの人々にとって)過去の世紀よりも良くなっている。問題は、彼らの見解が二面的であることだ。
 最初の問題は、こうした進歩が必然的に続いていくと彼らが推定していることだ。多くの科学者が恐れているように、れわれが本当に転換点に達したのだとしたら、過去は未来へのガイドにならないかもしれない。過去の環境の変化は、たいてい局地的で復元可能だった。しかし現在、人間の活動は地球的な規模に達している。われわれはこの惑星を急激に変えつつあり、行く手に待ち受けている困難に対処するのに必要な手段を持ち合わせていないかもしれない。少なくとも、相当な不便や移動を強いられることになるだろう。さらに、海水面の上昇や北極の氷の融解など、一部の変化はほぼ間違いなく不可逆的だ。
 コルヌコピアンの抱えるもう一つの問題は、過去の進歩が自由市場体制のもたらした結果であり、自由市場がなければそういう進歩はありえなかったと主張していることだ。この主張は明らかに間違っている。

(p.241-246)
世界を騙しつづける科学者たち〈下〉

世界を騙しつづける科学者たち〈下〉

第五章 「悪い科学」とは? 誰が決めるのか?──二次喫煙をめぐる戦い
  二次喫煙の歴史
  悪い知らせをもたらすものへの非難──EPAに対する業界の攻撃
  自由企業体制を守るためのタバコをめぐる戦い
第六章 地球温暖化の否定
  一九七九年──気候にとっての転換の年
  組織的な遅延──全米科学アカデミー(NAS)の二次、三次評価
  「温室効果」に「ホワイトハウス効果」で対応
  原因は太陽に
  ロジャー・レヴェルへの攻撃
  さらに積み重ねられた否定

第七章 否定ふたたび──レイチェル・カーソンへの修正主義者の攻撃
  『沈黙の春』と大統領科学諮問委員会
  政治的戦略としての否定
  オーウェル的な問題

結論──自由な言論と自由な市場
  科学のポチョムキン
  言論の自由と自由市場
  市場原理主義と冷戦の遺産
  テクノロジーはわれわれを救えないのか?
  テクノフィデイズム
  なぜ科学者たちは抵抗しなかったのか?

エピローグ──科学の新しい見方

  *謝辞
  *注

*1:John Rennie, editor in chief, et al., "Misleading Math About the Earth: Science Defends Itself Against The Skeptical Environmentalist," Scientific American 286, no.1 (January 2002):61-71,http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=misleading-math-about-the.

*2:Lone Frank, "Scholarly Conduct: Skeptical Environmentalist labeled 'Dishonest,'" Science 299 (January 17, 2003): 326,http://www.sciencemag.org/cgi/reprint/299/5605/326b.pdf; Andrew C. Revkin, "Environment and Science: Danes Rebuke a 'Skeptic,'" New York Times, January 8, 2003, http://www.nytimes.com/2003/01/08/world/environment-and-science-danes-rebuke-a-skeptic.html.デンマーク生物学者が「ロンボルグの誤り」をまとめたウェブサイトを立ち上げている。Kåre Fog, This is the Lomborg-Errors Web Site, http://www.lomborg-errors.dk/.