すべからく

誤用、誤用と騒ぐのが好きなわけではないけれども、気付いたら気付いたと指摘していかないと、そもそも何が正しいのか分からなくなるので、念のため記す。

 表紙にはタイトルも著者名もない。この手の古書はすべからくそういうスタイルなのだが、背表紙にタイトルと著者名が刻印されているはずだ。が、背表紙にも二、三の金色のラインが施されているだけで、文字は見当たらない。ティムは、振り返ってコンツに尋ねた。

「ただ、何よ?」ヤドヴィガが、じろりとにらみます。
「いや、その、ご婦人というのは、すべからくこういうものが好きかなと思っていたのでね。色のきれいなふわふわした、夢のようなものが」
 風船をちょいとつついて、ルソーは言いました。ふん、とヤドヴィガは鼻を鳴らしました。

さて広辞苑(第6版)をば。

すべからく【須く】:(為(す)ベカリのク語法。漢文訓読から生じた語。多くの場合、下の「べし」と呼応する)なすべきこととして。当然。|徒然草「—まづ其の心づかひを修行すべし」。「学生は—勉強すべきだ」

続いて、日本国語大辞典(第2版)。

すべから-く【須―・応―】〔副〕(サ変動詞「す」)に推量の助動詞「べし」の補助活用「べかり」のついた「すべかり」のク語法。多く下に推量の助動詞「べし」を伴って用いる)当然なすべきこととして。本来ならば。 *四分律行事鈔平安初期点(850頃)「若し犯過の比丘尼須(スベカラク)治す応き者あらば、一月両月苦使せしめよ」 *観智院本三宝絵(984)中「すべからくあながちおぼつかなさをあきらめむ」 *法華義疏長保四年点(1002)四「王須く之を避るべしといふ」 *御堂関白記-寛弘四年(1007)一二月二六日「傳受祿、賜御馬。従南階下、取綱一拝退出。須退出。而侯殿上。上達郎等相与数献後出」 *愚管抄(1220)五・二条「すべからく義朝はうつべかりけるを」 *京師本保元(1220頃か)上「すべからく志をはげまし、忠節をぬきむでは、こうをきはめ、朝恩にほこるべきなり」 *観智院本名義抄(1241)「須 スヘカラク―スヘシ」 *徒然草(1331頃)二一七「徳をつかんと思はば、すべからく、まづその心づかひを修行すべし」 *布令字弁(1868-72)<知足蹄原子>六「須 スベカラク ネガワクバ又ヨロシクスベシト云コト」 *彼の歩んだ道(1965)<末川博>四「青年はすべからく革新的な方向へ勢を盛りあげて前進すべきであるというようなことを書いた」 [語誌](1)「須」を訓読する際に生じた語。中古初期には単に「べし」とだけ読まれることが多かったので用例が少ないが、中期以後盛んに用いられるようになった。「べし」のほか、「む」や命令表現で再読する例もみられる。(2)中古後期の古記録では「須…、而(然而)…」(スベカラク…ベシ、シカルニ/シカレドモ)や「雖須…(スベカラク…トイヘドモ)のように、下に逆接で続く用例が多い。これは、「本来、当然…であるべきところだが」という文脈に用いられた平安鎌倉期の古記録特有の語法と思われる。 [語源説](1)スル(可為)の延〔和句解・名言通・大言海〕。(2)もとめてなすべしという意のナスベカラクの略〔日本釈名〕。(3)スベクアルカクの約〔国語本義〕。 [発音]<標ア>[カ]<ア史>室町・江戸●●○○○ <京ア>[カ]  [辞書]色葉・名義・和玉・文明・饅頭・易林・書言・ヘボン・言海 [表記]須(色・名・玉・文・饅・易・書・ヘ・言)

「すべからく」は「すべて」とか「おしなべて」という意味でもなければ、単なる「当然」という意味でもなく、「〜すべし」を副詞にした感じの言葉なので、気をつけて使おう。

ただ、ウィクショナリーにはこんな記述が見られる。

  1. (語義1の転義、しばしば誤用とされる。 義務以外の述語とともに)そうあるべきこととして。必然的に。そうであればかならず。決まって。当然に。

    • 「当然……すべきである、必ず……すべきである」という意味から転じて、「当然そうであるように、必ずそうであるべきこととして、必然的なこととして、そうあるべきこととして、決まって、当然ではあるが」という意味で用いられることが多い。著名な作家などの説として「すべて」の意味の誤用であるとされることが多いが、むしろ「必然的に、当然」のニュアンスがつねに存在することに留意すべきである。

      転義の用例

      美人はすべからく正しい。

すべからく - ウィクショナリー日本語版