アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか? - ダン・セノール,シャウル・シンゲル

第1章


Persistence
粘り腰

街角に四人の男が立っている。
アメリカ人、ロシア人、中国人、そしてイスラエル人。
ひとりの記者がやって来て、この四人に聞いた。
「すみません……肉の不足についてご意見を」。
アメリカ人が答える、「不足って何ですか」。
ロシア人、「肉って何ですか」。
中国人、「意見って何ですか」。
イスラエル人の答えは「すみませんって何ですか」。
―――マイク・リー Two Thousand Years

 スコット・トンプソンは腕時計に目を落とした。予定よりも遅れている。週末までに片づけなければならない仕事がまだたくさん残っているというのに、もう木曜日だ。トンプソンは忙しい男だ。世界最大のインターネット決済システムの会社、ペイパルのプレジデントそして元チーフテクノロジーオフィサーとして、小切手やクレジットカードに代わるウェプ上の決済サービス企業を経営している。それでも、ネット上の支払い詐欺、偽クレジットカード行使、そして電子IDの窃盗という問題の解決策を考えたと言って売り込んできた若者に、二〇分間話を聞くと約束していた。
 シュヴァット・シャケッドに起業家特有のずうずうしさはなかったし、それはいいことだった。なぜなら、たいていのスタートアップは成功しないとトンプソンは理解していたからだ。シャケッドの態度には、平均的なペイパルの下級エンジニアに見られる類の精力さえ感じられなかった。それでも、トンプソンはそのミーティングを断ろうとはしなかった。というのも、ベンチマーク・キャピタルがそのミーティングの依頼者だったからだ。
 ベンチマークはすでにイーベイにシードインベストメントを行なっていた。この投資の時期は、ペズ(ミントキャンディー)の容器コレクターのための風変わりな取引所として使われていた創業者のアパートが手狭になり始めたころにまでさかのぼる。今日では、イーベイは一八〇億ドルの売上を誇る株式上場企業で、世界に一万六〇〇〇人の従業員を抱えている。ペイパルの親会社でもある。ベンチマークイスラエルに本拠を置くシャケッドの会社フロード・サイエンスへの出資を検討していた。慎重を期して、ベンチマークの共同経営者はシャケッドを徹底的に調査するようトンプソンに頼んでいた。というのも、トンプソンには電子詐欺の知識がいくらかあったからだ。
「要するに、君のビジネスモデルとはどんなものですか」。このミーティングをさっさと切り上げようとして、トンプソンはこう問いかけた。一分程度の、“手短な売り込み”を途中で遮られた人のように少しとまどいながら、シャケッドは静かな口調で答えた。「私どものアイデアは単純です。世界は善人と悪人のふたつに分かれていると考えられますから、詐欺を防ぐ秘訣は、ウェブ上でそのふたつを見分けることです」

 トンプソンはいらだつ気持ちを抑えていた。これ以上我慢できない、ベンチマークに対する義理だといっても、もう限界だ。ペイパルに入る前、トンプソンはクレジットカードの巨人、ビザの経営者のひとりだった。ビザのほうが大会社で、しかも詐欺と真剣に闘う姿勢はペイパルに劣らなかった。クレジットカード会社やネット上で商売をしている企業のほとんどは、新規の顧客の信用調査そして詐欺やIDの窃盗との闘いに専念している人が詐欺対策チームの中で大きな割合を占めている。なぜなら、それによって利益率が大きく変わる可能性があり、しかもそこが顧客の信用を得られるかあるいは失うかの分かれ目になるからだ。
 ビザとその提携銀行では、何万人もの人が協力して詐欺の防止にあたっている。ペイパルには、同社で最も優秀な博士号を持ったエンジニア五〇人ほどを含め、二〇〇〇人が詐欺師に先手を打つための努力を続けている。それなのにこの若者は、自分が初めてこの問題に気がついたかのような口調で「善人と悪人」の話を続けているではないか。
「なるほど」。トンプソンはぐっとこらえて聞いた。「どんな方法で」。
「善人はインターネット上に自分の足どりを残す、つまりデジタルの足跡を残すものです。なぜなら、何ひとつ隠す必要がないからです」とシャケッドは癖のある英語で答えた。「悪人は足跡を残しません。身を隠そうとするからです。私たちは足跡を探しているだけです。もし足跡が見つかれば、リスクを許容できる水準にまで下げて引き受ければよいのです。文字通り単純そのものです」
 トンプソンは、この聞き慣れない名前の男は、別の国からというよりはむしろ別の惑星から飛んできたのではないか、と考え始めていた。詐欺との闘いというものは、経歴の調査、やっかいな信用履歴の調査、信用度判定のための高度なアルゴリズムの構築などが必要な骨の折れる作業だ、それがこの男にはわかっているのだろうか。NASAに乗り込んで行って「スリングショットだけで十分なのに、なぜ、こうしたべらぼうな宇宙船をつくるのか」と問い質す人はいないだろう。
 それでも、ベンチマークに対する敬意から、トンプソンはもうあと二、三分話を聞いてみようと考えた。「君はどこでその方法を思いついたのですか」
「テロリストを追跡していたときです」。シャケッドはさらりと答えた。シャケッドが所属していた部隊の任務は、テロリストのネット上の活動を追跡することによって、彼らの身柄確保の支援をすることだった。テロリストは、偽造したIDを使ってウェブ上で資金を移動させている。シャケッドの仕事は、ネット上の彼らを見つけ出すことだった。
 トンプソンはこの“テロリストの狩人”から十分に話を聞いた。いや、十分すぎた。そこで、簡単に切り上げようとして、こうたずねた。「実際に試してみたんですか」
「はい」とシャケッドは静かに自信に満ちた様子で答えた。「何千件もの取引で試してみました。四件を除いて、私たちの説は全く間違っていませんでした」
 なるほど全くね、とトンプソンは思ったものの、ここで少しばかり好奇心が頭をもたげてくるのを覚えた。そこで検証にどれくらいの時間がかかったのか、と聞いてみた。
 シャケッドは、四万件の取引を分析した。それは会社の創立以来五年の間だ、と答えた。

「なるほど。実は今からこれを始めようとしています」と言って、トンプソンは一〇万件の取引の分析をフロード・サイエンスに依頼すると持ちかけた。それはペイパルがすでに処理し終えた取引だった。ペイパルは法的な個人情報保護の観点から、一〇万件の取引について、個人のデータの一部を目隠ししなければならなかった。この目隠しの結果、シャケッドの仕事はさらに難しくなった。トンプソンはこう提案した。「とにかく、君のできることを確認して、われわれに報告してください。その結果をわれわれの検証結果と比較しますから」
 シャケッドのスタートアップ企業は最初の四万件の取引を調査確認し終えるのに五年かかったのだから、トンプソンはもう、この若者の顔を二度と見ることはないだろうと踏んでいた。ただし、不当なことは何ひとつ要求していない。この提案は、シャケッドの突飛に見えるシステムが、現実の世界でなんらかの価値があるのかどうか判断するのに必要な評価手段だったのだ。
 フロード・サイエンスがかつて四万件の取引を処理したときは、手作業だった。シャケッドは、ペイパルからの難しい課題に取り組むためには、当初の処理のシステムを自動化する必要があると考えていた。自動化すれば、大量のデータを処理し、信頼性を損なうことなく完成させ、そして記録的な速さで取引のデータ処理をこなすことが可能になる。そのためには、五年間かけて検証したシステムを採用しながら、しかもこのシステムの発想をすばやく逆転させなければならなかった。

ペイパルの敗北
 トンプソンはある木曜日、シャケッドに取引のデータを渡した。「これでベンチマークへの義理は果たせたと思いましたね」とトンプソンは振り返っている。「シャケッドからの報告を聞くことは決してないだろう。もし報告があるにしても、少なくとも何か月か先の話になると思いました」。だからトンプソンは、次の日曜日にイスラエルから送られてきた電子メールを見て仰天した。文面にはこうあった、「終わりました」。
 トンプソンは信じなかった。月曜日の朝一番で、フロード・サイエンスの報告書を博士チームに渡してその分析を命じる。その報告の内容とペイパルの実績とを照合するには一週間かかった。ところが、三日目の水曜日になった時点で、トンプソンのエンジニア陣はそこまでの照合の結果に驚嘆する。シャケッドとその少人数のチームが導き出した結果は、与えられた時間が短く、しかもデータが不完全であるにもかかわらず、ペイパルの仕事よりも正確だった。この成績の差は、とくに、ペイパルが最も手を焼く取引で顕著に現れていた。というのもその取引でフロード・サイエンスのほうが一七パーセント上回っていたからだ。これは、トンプソンによれば、ペイパルが最初に不承認にした顧客の申し込みのカテゴリーだった。しかし、今のペイパルが、不承認とした顧客に対する最新の信用調査を観察してわかったことを考慮すると、そうした不承認は間違っていたとトンプソンは言う。「優良顧客でした。不承認にするべきではありませんでした。われわれのシステムからすり抜けてしまっていたのです。それにしても、シャケッドのシステムからはどうしてすり抜けなかったのでしょうか」
 トンプソンは自分の目の前に詐欺に対抗できる本物の独創的なツールがあることを認識した。ペイパルが保持しているよりも少ないデータ量で、フロード・サイエンスは、ペイパルよりも正確に優良顧客とそうでない者の判別ができたのだ。「私はあっけにとられ、ことばがありませんでした」とトンプソンは振り返ってくれた。「わけがわかりませんでした。危機管理にかけて、われわれは最高の企業ですよ。このたった五五人のイスラエルの会社が、一体どうして“善人”と“悪人”に分けるという途方もない理論を使って、われわれに勝ったんでしょうか」。トンプソンは、システムの実力という観点では、フロード・サイエンスのほうがペイパルよりも五年先を行っていると推測した。前にいた会社ビザなら、たとえ開発に一〇年、一五年という時間を使っても、こうした発想は思いつかないだろう。
 トンプソンには、ベンチマークに伝えるべきことがわかっていた。ペイパルにとっては、フロード・サイエンスの画期的なテクノロジーを競争相手に持っていかれるリスクを冒すことなどとてもできない相談だ。フロード・サイエンスという会社はベンチマークが投資すべき会社ではない。ペイパルこそ、この会社を買収しなければならない。それも今すぐに。
 トンプソンはイーベイのCEO、メグ・ウィットマンに相談を持ちかけた。ウィットマンはこう振り返ってくれた。「トンプソンには、買収はありえないと答えました。イーベイはマーケットリーダーですよ。一体全体、このちっぽけな会社は何ものなんですか」。トンプソンとその博士チームは、両者の成績比較をウィットマンに突きつけた。ウィットマンは愕然とした。
 そうなると、今度はトンプソンとウィットマンのふたりに文字通り予期せぬ問題が持ち上がる。シャケッドには何と答えればよいのだろうか。もしトンプソンがこのスタートアップ企業のCEOに対して、彼らが業界のリーダーにあっさりと勝ったと告げたとしたら、このスタートアップ企業のチームは、自分たちが値段のつけようのない財産を保持しているという事実に気づくだろう。トンプソンはペイパルがフロード・サイエンスを買収しなけれぱと考えていた。しかし、トンプソンはどのようにしてあのテストの成績をシャケッドに知らせればよいのだろうか。知らせることで、フロード・サイエンスの買収価格が高くなったり、彼らに交渉できる立場を与えたりする結果を招いてはいけないのだ。
 トンプソンは思案した。シャケッドからの回答を催促するメールに対して、分析にもっと時間が欲しいと返事をした。挙げ句の果てにはこう告げた、つまりフロード・サイエンスのチームが次にサンホセを訪れるとき、個人的に分析結果を知らせる、今はもっと時間をかけたい。
それから一日二日のちに、シャケッドはトンプソンのオフィスのドアをノックした。
 ところが、トンプソンは気がついていなかった。つまり、フロード・サイエンスのふたりの創業者シャケッドとサアル・ヴィルフは、実は、彼らの会社をペイパルに売却するつもりなどなかった。ちなみに、このふたりには八二〇〇と呼ばれるイスラエル軍のエリート情報部隊で兵役についた経験があった。彼らは、ベンチマーク・キャピタルの求める適格性調査項目にこたえる過程でトンプソンの称賛が欲しかったにすぎない。
 トンプソンは再びウィットマンに迫った。「すぐに決めてください。今、私のところに来ています」。ウィットマンはゴーサインを出した、「買収しましょう」。ある程度の評価作業を終えたところで、七九〇〇万ドルを提示した。シャケッドは首を縦に振らなかった。イスラエルベンチャーキャピタルBRMも入っているフロート・サイエンスの役員会は、同社の価値は少なくとも二億ドルはあると考えていた。
 BRMの創業パートナーのひとりエリ・バルカットは、同社の将来的な企業価値の根拠になっている持論を語ってくれた。「セキュリティのテクノロジーの第一世代は、個人のパソコンに侵入するウィルスからの防御でした。第二世代は、ハッカーを防ぐためのファイアーウォールの構築です」。バルカットはこの両方の脅威に関する知識があり、脅威から守る仕事をする企業を設立し育成するための出資を続けていた。そうした企業の一社にチェックポイントがある。同社は八二〇〇部隊の若い同僚が興したイスラエルの企業であり、今ではその企業価値は五〇億ドルになっている。株式はナスダックに上場され、しかもその顧客リストの中には、フォーチュン一〇〇の企業の大半、世界の行政府の大半も入っている。セキュリティの第三世代の仕事は、電子商取引活動へのハッキングの防止だ。「そしてこの第三世代が最大のマーケットです」とバルカットは言う。「なぜなら、第三世代が生まれるまでは、ハッカーは楽しんでいただけ、つまり趣味のようなものだったのに、電子商取引が本格的に成長するにしたがって、ハッカーは実際に金を稼げるようになったからですよ」
 バルカットもフロード・サイエンスにはインターネット詐欺やクレジットカード詐欺に対抗できる最高のチーム、最高のテクノロジーがあると信じていた。バルカットは言う、「イスラ

アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?

アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?

目次
はじめに
著者はしがき
序章
Part1 〝なせばなる〟の小さな国
第1章 粘り腰
第2章 戦場の起業家
Part2 イノベーションの文化の種をまく
第3章 〝情報源〟を自らつくる人たち
第4章 ビジネススクールより強い絆 ── 予備役
第5章 秩序が混乱に出会うところ
Part3 奇跡の経済成長のはじまり
第6章 うまくいった産業政策
第7章 移民 ── グーグルの人々の挑戦
第8章 ディアスポラ ── 航空機を盗む
第9章 バフェットのテスト ── 投資リスクをどう考えるか
第10章 ヨズマ ── 投資家と起業家の仲介役
Part4 〝動機こそが武器〟の国
第11章 ロケットの先端部から湯沸器まで
第12章 シャイフのジレンマ ── アラブ世界の起業家精神
第13章 経済的奇跡に対する脅威
終章 ── ハイテクを育てる農民
あとがき
謝辞
イノベーションを産業として育成していく必要十分条件とは ── 日本語版出版にあたって