サミュエル・ペピー?

ティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』を読んでいたら、「サミュエル・ペピー」なる人物の日記が引用されるページに辿りついた。すぐに、この「ペピー」が誤表記であり、正しくはサミュエル・「ピープス」であることに気がついた。本書の訳者は知らないのかね、日記で有名なこのイギリス人のことを。訳者あとがきを読むと、「冒頭から第6章までを幾島が」とあるから、おそらくこの人が「ペピー」としたのだろう。

  積極的に楽しむとまではいかなくても、人びとは拷問に対して冷やかで無頓着な態度をとった。サミュエル・ペピーという、当時としては上品な人間の一人であったと思われる男性は、一六六〇年一〇月一三日付の日記に次のように書いている。

(上巻 p.273 第4章 人道主義革命)

  Even when they were not actively enjoying torture, people showed a chilling insouciance to it. Samuel Pepys, presumably one of the more refined men of his day, made the following entry in his diary for October 13, 1660:

(Chapter 4  THE HUMANITARIAN REVOLUTION)

上が邦訳、下が原文である。「ペピー」問題はおくとして、訳文中、個人的に気になったのは次の点である。 "a chilling insouciance" を、「冷やかで無頓着な態度」と、幾島は訳した。たしかに、訳語だけ見れば英和辞典の記述から全く外れていないし、その点に落ち度はない。しかし、文脈から判断したとき、この訳に違和感を感じないだろうか。Cambridge Dictionary によれば、"insouciance" の意味は "a relaxed and happy way of behaving without feeling worried or guilty" である。フラットというよりけっこう前向きなニュアンスを含んだ単語だということが解るだろう。ここで使われるのにぴったりの言葉である。これに比して訳語の「無頓着」はどうだろうか。果たして、この "relaxed and happy" のニュアンスを伝えているだろうか。こたえは「否」だろう。「じゃあキミはその代わりとなる訳語をなにか思いついたのか?」と問われれば恐縮するしかないが、探してみる価値はありそうだ。さらに "chilling" についても附言しておこう。現代の我々の感覚ではありえない、処刑現場での "insouciance"。その前につく "chilling" なのだから、ここはやはり「冷やか」では不充分であり、むしろ「背筋が寒くなるような」ぐらいが適当ではないだろうか。
それはそうと、肝心の日記部分を見ないとモヤモヤしてしまうだろうから、10月13日付のピープス氏の日記を引いておきたい。まず幾島訳から。

チャーリングクロス通りまで、ハリソン少将の処刑を見に行く。ハリソンはその場で首吊りにされ、はらわたをえぐり出され四つ裂きにされたが、彼はそのような状況に置かれた者とは思えないほど陽気に見えた。その身体は切り刻まれ、頭部と心臓が観客たちに見せられると大きな歓声が上がった。......そこから領主様の家に行き、カッタンス大尉とシェプリー氏を連れてサン・タバーンへ。牡蠣をごちそうする。

気になったので一言だけ。ここで幾島は、 "Captain Cuttance" を「カッタンス大尉」と訳しているが、これはどうだろう。臼田によれば、「海事関係者にキャプテンの名称をつけることは、当時の風習だった」のであり、事実、同年2月21日付の日記を見ると、ピープス氏は造船業者のテイラー氏にまで "Captain" を付けていることが判る。つまり、ここは幾島の「大尉」ではなく、臼田の「艦長」の方が適訳だと思う。
次に、臼田訳を。

チャリング・クロスへ、ハリソン少将が、絞首、内臓剔出、八つ裂きにされるのを見にいった――それは行われた――彼はそのような状況で可能なかぎり、明るい顔をしていた。彼は間もなく綱から切って落とされ、その首と心臓が人びとに示して見せられた。すると喜びの大喝采が起こった。......そこから殿様のところへ。そしてカタンス艦長とシプリー氏を「太陽」亭へつれてゆき、牡蠣少々を振舞う。

(一〇月一三日 p.273 『サミュエル・ピープスの日記 第一巻 1660年』)

Out to Charing Cross, to see Major-general Harrison hanged, drawn, and quartered; which was done there, he looking as cheerful as any man could do in that condition. He was presently cut down, and his head and heart shown to the people, at which there was great shouts of joy. . . . From thence to my Lord’s, and took Captain Cuttance and Mr. Sheply to the Sun Tavern, and did give them some oysters.

暴力の人類史 上

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サミュエル・ピープスの日記 第1巻 1660年

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ピープス氏の秘められた日記――17世紀イギリス紳士の生活 (岩波新書 黄版 206)

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