21世紀の不平等 - アンソニー・B・アトキンソン

『21世紀の不平等』を書いたアトキンソンは、ピケティ(世界的ベストセラーとなった『21世紀の資本』の著者)の師である。

はじめに

 不平等はいまや公的な論議の最前線にある。1パーセントと99パーセントについて多くが書かれ、人々は不平等のひどさについて、以前よりもずっと詳しい。アメリカ大統領バラク・オバマ国際通貨基金IMF)理事クリスティーヌ・ラガルドは、不平等の増大への取り組みが最優先課題だと力説した。2014年、ピュー・リサーチセンターのグローバル・アティチュード・プロジェクトで、回答者に「世界の最も大きな危機」について尋ねたところ、アメリカとヨーロッパでは「不平等に対する懸念がその他のあらゆる危機を大幅に上回って」いた。でも本気で所得不平等を縮小したいなら、何ができるのだろう? 世論の高まりを、実際に不平等を縮小する政策や活動に転換するにはどうすればいいだろう?
 この本で私は、所得分布をもっと平等な方向へと転換させるはずの具体的な政策を提案しよう。歴史の教訓を取り入れ――分布に注目して――不平等の根底にある経済学を新しい目で見直すことで、不平等の規模縮小にいま何ができるかを示そう。私はこの点で楽観的だ。世界は大きな問題に直面しているが、私たちの力の及ばない場面に直面しても、人類全体としては何もできないわけではない。未来の大半は私たちの掌中にあるのだ。

□この本の進め方
 この本は三部から成る。第Ⅰ部では分析を扱う。不平等とは何を意味し、それは現在どの程度なのか? これまで不平等が縮小したことはあるのか、そしてもしあるならばそれらの出来事から何を学べるのか? 経済学は不平等の原因について何を教えてくれるのか? 各章ごとのまとめなしに次の章に続くが、第Ⅰ部の最後に「これまでのまとめ」を設けた。第Ⅱ部は、各国が不平等縮小のためにできる手段を示唆した15の提案をしよう。すべての提案とそれ以外に五つの「検討すべきアイデア」を第Ⅱ部の最後に一覧化した。第Ⅲ部ではこれらの提案に対する様々な反論について考察している。雇用を減らしたり、経済成長を減速させたりせずにみんなが活躍する場を平等化できるのか? 不平等を減らすプログラムを実行するだけの資金はあるのか? 「この先の方向性」では、提案とそれらの実行のためにできることをまとめる。
 第1章は、不平等の意味を論じ、その程度に関するデータにざっと目を通すことで話の基礎をつくる。「不平等」について語られることは多いが、この言葉は人によって意味が違うので、多くの混乱もある。不平等は人間活動の多くの領域で生じる。人は不平等な政治的力を持つ。人は法の前で不平等だ。ここで私が焦点を絞る経済的不平等でさえ、解釈は様々だ。対象の性質とそれらの社会的価値との関係を明確にする必要がある。問題にしているのは機会の不平等なのかそれとも結果の不平等なのか? どのアウトカムに注目すべきなのか? 貧困にだけ焦点を絞ればよいのか? 不平等に関するデータを示されたとき、それを解読する人は必ず、どこにおける何の不平等なのかを問う必要がある。第1章ではまず経済的不平等の概観と、それが過去100年でどのように変わってきたかを示そう。これはこれから論じる不平等が今日重要視されている理由を浮き彫りにするだけでなく、ここで対象としている不平等の主な特徴も明らかにする。
 本書の主題の一つは、過去から学ぶことの重要性だ。サンタヤーナが『理性ある生き方』のなかで言った「過去を忘れる者は、それを繰り返してしまう」という台詞はもはや言い古されているが、多くの言い古された言葉同様そこには多くの真実がある。不平等をどこまで減らせるか、それをどう達成できるかのヒントの両方を、過去は与えてくれる。幸い、所得分布の歴史研究は経済学のなかで、ここ数年で大きく進歩をとげた分野であり、この本を書けたのも、第2章で示す各国における長期的な実証データが大きく改善したおかげだ。これらのデータから、とりわけヨーロッパにおいて戦後数十年で不平等がどのように減少したかをはじめ、重要な教訓が学べる。この不平等の縮小は第二次世界大戦中に起きたが、1945年から1970年代のいくつかの平等化を進めた力の成果でもある。これらの平等化のメカニズム――意図的な政策を含む――は、私が「不平等への転回」と呼ぶ1980年代には機能停止が逆転した。それ以来多くの国(ただし中南米についての議論で述べるように、すべての国ではない)で不平等は増大してきた。
 戦後数十年に不平等低下へと導いた力は、未来の政策をデザインする道筋を示してくれるが、当時から世界は劇的な変化を遂げている。第3章では今日の不平等の経済学について考える。まずは技術変化とグローバル化という二つの力――富裕国と発展途上国労働市場を徹底的に再編成し、賃金分布の格差拡大をもたらす力――に焦点を絞った経済学の教科書的なお話から始める。しかしその後教科書からは離れる。技術進歩は自然な力ではなく、社会、経済的な決定を反映している。企業、個人、そして政府による選択は技術の方向を左右し、そしてそれによって所得分配にも影響が出る。需給の法則は支払われる賃金を制約するかもしれないが、もっと広い配慮も加える十分な余地も残っている。経済、社会的文脈を考慮したもっと広範な分析が必要だ。教科書的なお話では労働市場だけに注目し、資本市場を扱わない。資本市場、そしてそれに関連する総所得における利益シェアという問題は、かつては所得分配分析の中心的要素だったが、それは今日でも再びそうあるべきだ。
 分析の次は行動だ。本書の第Ⅱ部で行う一連の提案は、組み合わせることで私たちの社会をかなり低い不平等水準へと移行させられる。ここでは財政上の再分配――これも重要ではある――に限られない多くの分野の政策を扱う。不平等縮小は誰にとっても重要事項であるべきだ。政府のなかでは、社会保護の責任を負う大臣と同様に、科学担当大臣にとっても重要な問題であり、労働市場改革同様に競争政策の問題でもある。個人の立場でも、納税者としての立場のみならず、労働者、雇用者、消費者、貯蓄者の面からも考慮すべき問題であるべきだ。不平等は私たちの社会経済構造に組み込まれており、これを大幅に縮小するには、私たちの社会すべての側面の検証が求められる。
 だから第Ⅱ部の最初の3章ではそれぞれ別の経済要素を論じる。第4章は、技術変化とそれが分配面で持つ意義を扱うし、その際には市場構造や対抗力との関係も考慮する。第5章は労働市場と変わり続ける雇用の特質を扱い、第6章は資本市場と富の分け合い方を論じる。いずれにおいても市場力とその配置が重要な役割を果たす。富の分布は20世紀を通じて集中が弱まってはきたが、それは経済的な意思決定の支配権が移行したということではない。労働市場では、ここ数十年の環境変化によって、労働市場の「柔軟性」が著しく増大し、労働者から雇用者への支配力の移行が起きた。多国籍企業の成長、貿易と資本市場の自由化のために、顧客、労働者、そして政府に対する企業の立場を強化した。第7章と第8章は累進課税社会保障制度の問題をとりあげる。そこで提案した方策のなかには、もっと累進的な所得税への回帰など、すでに広く議論されてきたものもあるが、社会保護の礎となる「参加型所得」という着想など、もっと意外なものも含まれている。
 「増大する不平等と戦う方法は?」という問いに対する標準的な答えは、教育と技能への投資増大を推奨することだ。私はそのような手段についてあまり言及していないが、それらが重要ではないと感じているからではなく、すでに大いに議論されているからだ。もちろん私は家族と教育に対するそのような投資を支持するが、もっと根本的な提案――現代社会の根本的状況の再考と、ここ数十年支配的な政治思想からの脱却が求められるような提案――を強調したい。おかげでそうした提案は最初は風変わりか非現実的に見えるかもしれない。このため第Ⅲ部は、提案されている手段の実現可能性への反論と財政的な実現可能性に充てる。反論として最も明確なものは、必要な手段を実行するための予算がないということだ。しかし、予算の計算に入る前に、公平性と効率とのあいたには対立が避けられないという、もっと一般的な反論について考えてみたい。再分配は必然的にインセンティブを削ぐのか? この厚生経済学と「パイの縮小」についての議論が第9章の主題だ。提案に対する二つめの反論は、「そういう提案は結構だが、今日ではグローバル化か広がっているから、一国でそのような極端な方向には進めないよ」というものだ。この潜在的に重要な議論について第10章で論じる。第11では、イギリスを具体的なケーススタディにして、私の提案が政府予算にとって持つ意味、つまり提案の「政治的計算」について論じる。読者のなかにはここから読む人もいるだろう。私はこの主題を最後にまわしたが、それを重要ではないと信じているからではなく、必然的に分析の場所と時間を具体的に考えねばならないからだ。提案した税による歳入と社会移転の費用は、それぞれの国の制度的構造など各種の特徴によって決まる。よって私の狙いは、今日のイギリスでできることを例に、経済学者が政策提案の実現可能性を評価する方法を説明することだ。提案のいくつかでは、そのような計算は不可能だが、それらが公共財政にどう影響するかについて、大ざっぱに示唆するよう努めた。

□今後の展開
 この本は、不平等の原因と解決策だけでなく、現在の経済学的思考状況に対する私の思索の産物だ。イギリスのステラ・ギボンズが1932年に書いた小説『コールド・コンフォート・ファーム』では、「その文章が文学なのか(中略)あるいはまったくのだわごと」なのか判別がつかない読者を助けるために、作家は(間違いなく皮肉をこめて)「より優れた一節」に星印をつけるという手法を採用している。私は彼女の例を採用して、社会通念から逸脱した一節には印をつけて、「たわごと」を危惧する読者が警戒できるようにしようかとも思った。そういう星印の導入はあきらめたが、主流からの逸脱については明示している。強調しておきたいが、私が採用した試みが絶対優れていると主張するわけではない。でも経済学の手法は一つだけではないのだ。私はイギリスのケンブリッジアメリカ、マサチューセッツ州ケンブリッジで、経済変化、あるいは政策によって「誰が利益を得て、誰が損をしたのか」問うよう教えられた。これは今日のメディアにおける議論や政策論争に欠けている問いだ。多くの経済モデルが、洗練された意思決定を行う均一の代表主体を想定しているが、そこでは分配の問題は抑圧されており、それがもたらす結果が公正なものかについて考える余地はない。私は、そのような議論をする余地が必要だと考える。経済学は一つではないのだ。
 この本は経済と政策に興味を持つ一般読者向けに書いた。専門的記述は概ね章末注に限られ、使用した主要な用語のうちの一部について用語集も加えた。いくつかのグラフやわずかな表も含まれる。すべての図表の詳細な出典は、本書章末の図表出所に示した。私は「すべての方程式は読者の数を半減させる」というスティーブン・ホーキングの格言を心に留めてきた。本文には方程式は一つもないので、読者が最後まで読了してくれるといいのだが。


訳者の山形浩生が本書に関して『東洋経済』誌に寄稿記事を書いている。

 本書は、ある意味でピケティ『21世紀の資本』に見られたそのような単純な図式をたしなめるものでもある。格差・不平等が拡大してきた原因は様々だ。多面的な現象なんだから、それを一つの原因だけに帰して、たった一つの解決策でそれが片付くかのような印象を与えるのは、あまり望ましくない。もっと多面的な見方が必要だ、とアトキンソンは告げる。

http://toyokeizai.net/articles/-/94894

アンソニー・B・アトキンソン(Anthony B. Atkinson)
オックスフォード大学ナフィールドカレッジ元学長。現在、オックスフォード大学フェロー。所得分配論の第一人者であり、国際経済学会、欧州経済学会、計量経済学会、王立経済学会会長を歴任。所得と財産の分配の歴史的トレント研究という新しい分野を切り開いた。論文・著書多数。

21世紀の不平等

21世紀の不平等

目次

序文:もっと平等な社会に向けた現実的なビジョン
――トマ・ピケティ

 訳者はしがき
 謝辞
 はじめに

第Ⅰ部 診断

第1章 議論の基礎
  ■機会の不平等と結果の不平等
  ■経済学者と所得不平等
  ■データに目をとおす
  ■不平等の様相
  ■誰が分布のどこに位置しているか?

第2章 歴史から学ぶ
  ■証拠の出所
  ■過去のいつの時点で不平等は縮小したのか?
  ■戦後ヨーロッパにおける不平等低減
  ■21世紀の中南米
  ■いま私たちはどこまできたのか?

第3章 不平等の経済学
  ■グローバル化と科学技術に関する教科書的なお話
  ■市場原理と社会的な文脈
  ■資本と独占力
  ■マクロ経済学と民衆
  ■これまでのまとめ

第Ⅱ部 行動のための提案

第4章 技術変化と対抗力
  ■技術変化の方向性
  ■技術進歩への投資家としての国
  ■対抗力

第5章 将来の雇用と賃金
  ■変化する雇用の性質
  ■完全雇用と保証労働
  ■倫理的賃金政策

第6章 資本の共有
  ■資産蓄積の推進力
  ■小口貯蓄者の得られる現実的収益
  ■すべての人々に遺産を
  ■国富とソヴリン・ウェルス・ファンド

第7章 累進課税
  ■累進所得税の復活
  ■相続税と資産税
  ■グローバル課税と企業への最低課税

第8章 万人に社会保障
  ■社会保障の設計
  ■児童手当の中心的な役割
  ■ベーシック・インカム
  ■社会保険の刷新
  ■私たちの世界的な責任

不平等を減らす提案

第Ⅲ部 できるんだろうか?

第9章 パイの縮小?
  ■厚生経済学と平等・効率性のトレードオフ
  ■平等性と効率性の相補関係
  ■プリンの実力
  ■まとめ

第10章 グローバル化のせいで何もできないか?
  ■歴史的に見た社会保障制度
  ■グローバル化と自分の運命の決定権
  ■国際協力の余地
  ■まとめ

第11章 予算は足りるだろうか?
  ■税―給付モデル
  ■イギリスについての提案とその費用
  ■提案(の一部)の影響
  ■まとめ

この先の方向性
  ■提案
  ■先に進むには
  ■楽観論の根拠

 用語集/図データ出所/注/索引