テレマックの冒険

シュリーマンの自伝に触発されてテレマックの冒険〈上〉 (1969年) (古典文庫〈26〉)を読んでみた。
いや、正確に言うと、読み始めようとしてみた。
が、いきなり挫折。・・・訳文がひどい。

カリプソは、ユリースの船出があきらめきれなかった。

この訳文を読んで意味が解った人はいるだろうか?

解り難さの原因は「あきらめる」の使い方にある。「あきらめる」は自分自身の行動について使う言葉のはずである。たとえば「カリプソは船出があきれらめきれなかった」のように。ところが、この訳文は第三者(ユリース)の行動について使っている。「カリプソは、ユリースの船出があきらめきれなかった」と。これが解り難さの原因だ。
解り難さの原因はまだある。
仮に「あきらめる」の誤用を看過した上で訳文を解釈すると、意味はこう取れる。
カリプソはユリースが船出することを望んでいる。そして、ユリースの船出を妨げる障害をなんとしても取り除きたかった」
ところが、それに続く文を見て驚く莫れ。

カリプソは)その出発を歎くあまり、不死のわが身を、不幸であると思った。

なんと、カリプソはユリースの船出を望んでいないのだ。意味が全く逆だ。
これはもうこの訳者(朝倉剛)を信用するわけにはいかない。