大搾取! - スティーブン・グリーンハウス

はじめに


 ニューヨークタイムズ紙の労働問題担当記者としてこの国の人々が働く現場を取材するようになった私は、たちまちそこで見聞きする事態に衝撃を受けることになる。酷薄な待遇、侮蔑的な言動、非情な締めつけ……。アメリカ人はみずからを世界を導くために神に選ばれた民であり、この国は他の社会のモデルとなるべき「山の上の町」だと思っているのかもしれないが、現実にはここに住む人々の多くが泥沼のようなところで働いているのだ。世界一豊かな国の職場に似つかわしくない、ショッキングとさえ言えるようなことが、なぜこんなにたくさん起きているのか。私はずっと自分に問い続けてきた。


 夜勤の従業員を職場に事実上「監禁」する、従業員を騙してタイムレコードに記録された就労時間を数時間分削除する、従業員の年金を半分にカットしてしまう、永年勤続者に突然クビを宜告して三〇分以内に出ていけと言い渡す---そんな大企業を私は見てきた。コンピュータ技師を「子供職場見学日」に八歳の娘の目の前でクビにした会社もある。時給が市場レートより五一セントだけ多いという理由で従業員を解雇した有名な小売会社もある。年商何十億ドルという立派な会社が汚れ仕事を下請けに回し、その下請けは多くの従業員に最低賃金の半分しか払わず、しかも年中無休で働くことを強要する。ヒューストンのある清掃労働者は言った。「動物以下の扱いだよ」
 自分の職場のことなら誰でも知っているが、食肉解体工場や、真夜中のウォルマートや、何千人ものレイオフが宣告されたあとの会社でいったい何が起こっているか、はたして何人の人が知っているだろう。この本で私はそういったさまざまな職場の実態を紹介し、数々の理不尽な事柄に焦点を当てながら、同時にすばらしい事実にも光を当てていきたいと思っている。


 この一〇年、アメリカ経済はさまざまな意味で繁栄を謳歌してきた。企業の収益も、CEOの報酬も、うなぎ登りだった。だが、ほとんどの労働者の賃金は伸び悩み、医療や年金をめぐる状況は悪化している。企業が雇用保障など時代錯誤だと切り捨てる傾向は強まり、経営者は中流向きの優良な仕事をどんどん海外に移している。たしかに競争力強化のために海外に移さざるをえない仕事もあるかもしれないが、そのことがアメリカ社会にどのような影響をもたらしているかを検証しないというのは愚かなことだろう。どんなこともかならず代償をともなうものだからだ。


 経済界を襲っている強力な流れに労働者がいかに「締めつけ」られているかを、私は調べてきた。流れとは、ホワイトカラーの職が海外に流出していることであり、若い労働者の前に立ちはだかる崖がますます険しくなっていることであり、労働者の組織化が後退していることであり、工場がメキシコや中国に大移動していることであり、経営者と労働者の力関係がどんどん崩れていくことである。そうした流れを説明するために、私は個々の労働者の話から、さらには経営慣行の変化や国の社会的セーフティネットの弱体化といった問題の、歴史的、経済的、社会的分析にも踏み込んでいる。


 アメリカ人の多くが仕事に費やす時間は、ほかのどんな活動にかける時間よりも多い。だからこそ、仕事は充実感と尊厳をもたらしてくれるものであることが大切だ。実際、新約でも旧約でも、聖書には、労働の尊厳と、どんなに卑しい労働者も公正に敬意をもって扱わねばならないという道徳的義務
が強い言葉で書かれている。『箴言』(一四:三一)は「弱者を虐げる者は造り主を嘲る」と教えているし、『申命記』(二四:一四)には「同胞であれ、あなたの国であなたの町に寄留している者であれ、貧しく乏しい雇い人を搾取してはならない」とある。
 私は何年にもわたって何千人という労働者にインタヴューしてきた。鉄鋼労働者、苺摘み労働者、マイクロソフトの最先端技術者、最低賃金のウェイトレス---相手はさまざまで数も多かったが、それでもその顔や話が私の心に鮮明に焼きついて離れない人たちが何人かいる。
 思い出すたびに悲痛な思いにかられるのが、五人の子供を持つ父親で、一七年前からロサンゼルスのダウンタウンで警備員をしているマイケル・ジョンソンだ。かつては薬物中毒者だったこともあるが、今ではすっかり立ち直って、まじめで愛想もいい。ジョンソンのいちばんの望みは、良き父親になることであり、五人の子供たちが健やかに成長するために必要なものを彼らに与えてやることだ。年長の三人がヴィクトリー・バプティスト教会の少年聖歌隊で歌っているのが自慢で、ダンスやピアノも習わせてやりたいと思っている。二〇〇六年の夏に私が初めて会ったとき、ジョンソンの悩みは、ダウンタウンのオフィスタワーのメインロビーで現場の指揮をとる彼の仕事が、時給一〇ドルにしかならないことだった。これでは、ほとんどが月々の家賃九七五ドルと食費に消えてしまう。それ以外
の経費----光熱費や、ガソリン代や、車の修理代や、一九九八年型日産クエストのローンや、子供たちの服代や、二寝室の薄暗いアパートメントの家具代など----をまかなうために、ロサンゼルス北部

郊外の建設現場を警備するというフルタイムの仕事をもう一つすることにした。妻のデネーシャは、介護施設で働いていたとき体重で一二〇キロ以上の患者を抱き上げようとして腰を傷め、以来慟くことができない。ジョンソンの悩みは尽きないが、二つ目の仕事に就いたとき、国がこの一家から食料配給切符を取り上げたこともその一つだ。収入が規定より多いというのがその理由である。
 ジョンソンは毎朝五時二〇分に起き、六時一五分に家を出て仕事場に向かう。子供たちはまだ寝ている。一つ目の職場で八時間、二つ目の職場で七時間働いて、家に帰るのは夜一一時近くになる。子供たちはもう寝ている。「子供たちが成長する姿が見られない。こんなことずっと続けるわけにはいかない」とジョンソンは言う。
 この話が私の頭から離れないのは、どこか肝心なところが狂っているという事実を突きつけられるからだ。私がこの本を書いた理由も、まさにそこにある。


第一章 酷使の現実


分単位で休憩時間を計測、解雇社員にゴミ漁りを奨励、
最低賃金は貧困ラインを下回る……
救われないアメリカの労働者たち。



 テキサス州ウォルマートに勤めるマイク・ミシェルのおもな仕事は万引き犯を捕まえることだった。しかもミシェルは、二年で一八〇人も捕まえる優秀な警備係だった。ところが、ある日を境に事態は一変する。泥棒----盗んだ小切手を使った女----を追いかけて駐車場に行くと、女は車に飛び乗り、運転席の相棒が車を急発進させてミシェルにぶつかってきた。結局ミシェルは膝の皿を砕かれ、肩にひどい裂傷を負い、椎間板ヘルニアになって、病院に担ぎ込まれた。それでもウォルマートに篤
い忠誠心を抱くミシェルは、翌日にはなんとか仕事に復帰する。だが数週間後、膝の手術が必要になったと上司に報告すると、まもなくクビになった。上司は、怪我をして会社に補償金を出させるような従業員はお払い箱にするというウォルマートの方針に従ったわけだ。

 ドーン・ユーバンクスは、除隊してすぐフロリダ州のコールセンターで時給七ドルの仕事を見つけた。ところが、二、三時間しか就労時間を記録することが許されない日があったり、八時間丸々タイムレコードに記録できない日があったりする。コールセンターの主任は、タイムレコーダを押すなと言われた日でも帰宅すれば辞めたとみなすと警告した。
 二八歳のジョン・アーノルドは、父親と同じイリノイ州キャタピラー工場で働いている。だが、工場では契約は二層構造になっていて、ジョンがどんなに頑張っても時給一四ドル九〇セントが上限であって、父親の稼ぐ時給二五ドルには遠く及ばない。長らく強いアメリカ工業の象徴であったキャタピラーだが、競争力を保つためには低い賃金体系も必要なのだと会社は主張する。アーノルドは言った。「いっしょに働いている仲間のなかには、親と同居しているのも何人かいますよ。食料配給切符をもらっているやつもいます」
 テネシー州にあるクックフーズ社の鶏肉解体工場では、管理職が生産ラインをフル稼動させたいばかりに、アントニア・ロペス・パスらチキンテンダーズを切り出している工員に昼食とコーヒーの休憩時間以外はトイレに行かないようにと命じた。我慢できなくなったある女子工員が許可を願い出ると、監督責任者は自分の安全帽を脱いで「ここにすればいい」と言った。結局漏らしてしまう女性もいたという。


大搾取!

大搾取!



はじめに

第一章 酷使の現実

分単位で休憩時閥を計測、解雇社員にゴミ為りを奨励、
最低賃金は貧困ラインを下回る……
救われないアメリカの労働者たち。


第二章 不満には恐怖で

安全軽視の工鳩で次々と事故が起こる。
声をあげた者に持っていたのは、
ひどい罪の濡れ衣だった。


第三章 働く意欲が失せていく

街の歴史ある工場が大黄本の傘下に。
経営は赤字でないのに押し付けられる人件費削減。
絞って得た利益は吸い上げられるばかり。


第四章 戻ってきた十九世紀

夜間封鎖の店のなかでサービス残業を強要され、
通報者には匿名保護もない。今のアメリカは、
貧しい人に三ドル貸してクビになる社会なのだ。


第五章 消えた会社との約束

安定雇用が経富の定石だった時代はあった。
だが、株主利益を会社が重視するようになるにつれて、
労働者への報酬はコストとみなされるようになる。


第六章 弱者がさらに弱者を絞る

電子化で、いまや重役達も些事まで把握できる。
労働者の人間らしさを認めていたら、
現場監督のクビはすぐ交換されるのだ。


第七章 派遣 終わりなき踏み車

必要な時だけ呼び、不要になれば消えてもらう。
経営者が重宝する使い捨て労働者たちには、
保険や年金どころか誇りすら与えられない。


第八章 低賃金の殿堂 ウォルマート

万引き犯を捕まえた熱血警備員。
その負傷で得た報酬は、医療賢逃れの懲飼解雇。
小さなスーパーはいかにして小売業界世界一となったか


第九章 王道はある

誰もが世界的市場競争を口にする。
手厚く労働者を遇していたら生き残れぬと----。
だが搾取経営に逆らって成功した事例はこんなにもある。


第十章 瀕死の労働組合

労働者にとって必要なのは、労働組合なのだ。
しかしアメリカの労働組合は腐敗しきっており、
組織率は一割にも満たない。蘇る道はあるのか?


第十一章 はいあがれない

金持の子は大学院でMBAをとって
初任給一六万ドルも夢でないが、貧乏人の子には
大学は学費値上げでどんどん遠ざかっている。


第十二章 夢のない老後

企業年金は資金不足で反故にされ、
頼みの401kプランは欠点だらけ。
年金で充実した晩年をおくるなど、夢のまた夢だ。


第十三章 すべての船を押し上げる

グローバリゼーションで世界はフラット化した。
ならば、世界中の労働者の非人間的な搾取に、
ノーを突きつけるべきなのだ。



編集部註 401kとは?
訳者あとがき
解説 日米大搾取のパラレル 湯浅誠