アラブ人と文学

 もう一つ別の視点から言うと、アラブ文学をやっていると、小説っていったい何なんだろうという問いを抱かざるを得ないんです。たとえば英米文学とかフランス文学の場合、テクストがそこにあり、それを読むことで作家論や作品論が語られる。ところがアラブ世界だと、確かに作家はいて小説は書かれているんですが、現地でもほとんど読まれてはいない。
 私の恩師がアラブ世界に行って、アラブ人はどうして小説を読まないのかという問いを投げかけたんです。するとある人がこう答えた。ムスリムにとっては、人間のことであれ、世界のことであれ、真実はすべてクルアーンイスラム教の聖典コーラン)に書かれているので、被造物の人間が書いたもので真実を知る必要はないのだと。それを学生時代に聞いて、ああそんなものなのかと思ったんですが、その問い自体がやはりエスノセントリックですよね。つまり、小説を読むことが自明であるという自文化中心主義的な前提がそこにある。


160-161頁(『すばる』2009年7月号)