これからの「正義」の話をしよう - マイケル・サンデル

サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』を読んでいたら、「訳者(鬼澤忍)の文章力は大丈夫か?」と思わざるを得ない箇所に出くわした。

本書の冒頭で、サンデルは、アメリカを襲撃したハリケーン・チャーリーの被害について述べている。その第3パラグラフでそれは見つかった。

多くのフロリダ住民が物価の高騰に憤りを隠さなかった


小生はこの訳文を読んで「おやっ?」と思った。なぜか?それは、この文を否定文で書く意味がわからなかったからだ。つまり、なぜ「憤った」ではなく「憤りを隠さなかった」と書かなければならなかったのか、その理由が読み取れなかったのだ。そもそも「否定文」とは、「本来であれば〜するはずだが、ここではそうしなかった」というニュアンスを表現するためのものだ。上の例でいえば、「本来であれば憤りを隠すはずだが、ここでは隠さなかった」ということを表すために「憤りを隠さなかった」と記述する。ところが、常識的に考えてみればわかる通り、フロリダ住民が物価の高騰に憤るのは当然のことであり、憤りを隠す必要性は全く考えられない。だからここで「憤りを隠さなかった」と書くのは不自然なのだ。そう思って、原文を参照してみた。すると、以下の通り、肯定文で書かれていた。

Many Floridians were angered by the inflated prices.


鬼澤はなぜ、原文の肯定文をわざわざ改悪して否定文に訳したのか、甚だ不思議でならない。小生に言わせると「これを見る限り本書は日本語に精通した者の訳業とはとても思えない」となる。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学