競争優位で勝つ統計学 - ジェフリー・マー

第1章 統計学という宗教――統計上の優位を信じ、偏差を恐れない

 人生には必ず決定的瞬間というものがある。ためらいから行動へと踏み出だすとき。たった一つの決断でまったく新たな道が開けるとき。私にそんな瞬間が訪れたのは。ラスベガスのシーザーズ・パレスのカジノで、ブラックジャックのテーブルについていたときのことだった。
 私は二二歳にしてプロのカードカウンターだった。MITを卒業し、機械工学の理学士号を取得したばかりだったが、その知識を日々の生活で活かすことはほとんどなかった。ブラックジャックの攻略に必要なのは、むしろ数式と統計学だった。私はどのハンド(持ち札)にいくら賭けるべきかを示すいくつかの簡単な約束ごとと初歩的な数式に磨きをかけ、それに従うだけで勝てるようになっていた。
 その夜、私はブラックジャックのテーブルに歩み寄り、MITのチームメイトからひそかに情報を受け取った。先にテーブルについていたチームメイトがカードをトラッキングし、会話に暗号をおりまぜることで情報を伝え合う手はずだ。
 その情報を数式に当てはめて得た答えは、二つのハンドに一万ドルずつ賭けよ、というものだった。私はテーブルにつき、二つのベッティングサークルに黄色い一〇〇〇ドルチップを積み上げ、ディーラーを見上げてベットの完了を知らせた。
 ディーラーは高額の賭け金を見ても少しも動じるふうはなかった。カードが配られ、一方のハンドが合わせて11、もう一方が9のペア、ディーラーのアップカード(表向きのカード)が6となる。ブラックジャックは純粋に数学的なゲームだから、ヒット(カードを引く)、スタンド(カードを引かない)、ダブルダウン(一枚だけヒットすることを条件に賭け金を二倍にする)、サレンダー(最初の二枚のカードを見て勝ち目がないと判断し、掛け金の半分を放棄して勝負をおりる)のいずれを選択するか迷う余地はない。このとき決断のよりどころとなるのが、カードカウンターなら誰でも知っている「基本戦略」だ。
 基本戦略とは、ブラックジャックで最適なプレイをするための一連のルールを指す。基本戦略表(三〇七頁参照)を見れば、プレイヤーのカードとディーラーのアップカードに応じて、プレイヤーが取るべき行動が一目瞭然だ。カジノによってルールが若干異なるので微調整は必要だが、これらのルールを理解し、記憶しておけば、カジノ側の優位性を一パーセント以下に抑えられる。基本戦略は、一九五七年に陸軍の数学に長けた四人の技術者によって開発された。彼らは近似アルゴリズムを用い、ハンドのあらゆる組み合わせについて、それが起こる確率を卓上計算機で計算したのである。
 私の人生の決定的瞬間に、ディーラーのアップカードは6となった。基本戦略に従えば、11をダブルダウンしてさらに一万ドル賭け、ヒットすべき状況だ。私は黄色のチップを一〇枚積み上げ、すでにあるチップの山の隣に置いてダブルダウンした。11に7がディールされ、トータルで18になった。本来なら不利な数字だが、このようにディーラーのアップカードが6の場合は、18でも勝てる可能性は十分ある。
 もう一つのハンドは9が二枚。スプリット(初めに配られた二枚のカードが同じ数のとき、分割して二つの独立したハンドにすること)してさらに一万ドル賭け、それぞれのカードでプレイできるようにした。一方には2がディールされ、11になった。ここで再びダブルダウンできるので、基本戦略に従って賭け金を二倍にすることにした。ポケットに手を入れて黄色いチップを一〇枚取り出し、テーブルに並んでいる四つのチップの山の隣に整然と積み上げる。いつになく速いペースでチップが手元から離れていく。

 それからは予想外の展開になった。11に5がディールされて16になった。残るはもう一方の9だ。これに10がディールされ、19になった。この時点で賭けたチップは五万ドル、ハンドはディーラーのアップカード6に対して19、16、18となった。私のように訓練をつんだカードカウンターでも緊張する瞬間だ。
 ブラックジャックではプレイヤーの目標は単純だ。カードの合計を、21を超えない範囲でできるだけ21に近づければいい。勝負はディーラーとの一騎打ちだ。同じテーブルにいる他のプレイヤーは関係ない。彼らにはそれぞれのゲームがあり、それぞれの物語があり、それぞれの技なり、運なり、才能がある。とにかく、その夜、私が打ち負かすべき相手はディーラーとその背後にいるカジノだけだった。ディーラーがホールカード(最後まで伏せられているカード)を開けた。

競争優位で勝つ統計学 ---わずかな差を大きな勝利に変える方法

競争優位で勝つ統計学 ---わずかな差を大きな勝利に変える方法

第1章 統計学という宗教―統計上の優位を信じ、偏差を恐れない
第2章 データ主導型の意思決定―「過去」を正しく読む
第3章 バイアスにとらわれない―予測力のあるデータを探す
第4章 正しい問いを発する―意思決定の第一歩
第5章 ツキは存在するか―ホットハンド理論の真偽
第6章 偽統計学に惑わされない
第7章 最悪の事態を想定する
第8章 結果で決断を評価しない―「正しい決断」とは何か
第9章 個人の勝利はチームの勝利―正しい決断を導くインセンティブ
第10章 統計嫌いの人に対処するには
第11章 「直観」は過去データに基づく

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