指示の病
最近、気になっているのが、日本語における「指示の病」の流行だ。もちろん、これは「不治の病」に引っ掛けた自作の造語だが、この病が蔓延していることを感じることが多い。
では、「指示の病」とは何か。具体的な例を上げてみよう。
まず、最近の本を一冊手にとって読んでみるとほとんど百発百中の確率で遭遇すると思える「そんな」という言葉だ。どれほど硬い文章であっても、この言葉は不意に出現するから油断ならない。試みに手元にある本を適当に開いてみる。
- そんな翔一の態度は、物語終盤に記憶を取り戻してからもまったく変わらない。
――宇野常寛『ゼロ年代の想像力』 - そんなことでけさは二人とも寝不足の疲れが澱のようにたまっていたのだが、亮輔のことが予断を許さぬし、午前十時には病室支度の最後のおおものであるエアコンの取りつけが来る予定だったから、あと二時間ほど寝ていたいところを我慢して、「えらいねえ」と言いながら八時過ぎには無理しておきた。
――周防柳『八月の青い蝶』 - ファリードがそんな質問をしたのは、互いの一族同士が血で血を洗う争いをしていることをラナーに思いださせるためではなかった。
――ラフィク・シャミ著、酒寄進一訳『愛の裏側は闇』
果たして容易に見つかった。この言葉を文章で使うことは悪文の始まりだと個人的に思っているので、絶対に使わないように小生は心がけている。
次に、最近、口語でもインターネット上でもよく耳にする相槌、「それな」、「ホントそれ」。この言葉の濫用も「指示の病」の一症状に数えられる。最近あまりに使われすぎて耳障りになってきているぐらいだ。もちろん、この言葉も小生は使わない。
最後に本のタイトルに使われている「この」。例えば『このミステリーがすごい!』が一番の出世頭だと思われる。やはり、書名で使うのが稀であった指示語を採用したところが目新しかったのかも知れないが、今から考えれば「指示の病」のハシリに過ぎないと思う。
代表的な「指示の病」の症状3例を紹介したが、他にもこの病の症例が見つかるかもしれない。何しろ、流行病のような広がりを見せているだけに、とてもこの3例だけにとどまるとは思えないのだ。個人的には、この病、早く根絶されて欲しいと願っているが、言葉はいきもの、そう簡単にこの病は消えないだろうと予想している。とさんざん忠告しておきながら、この段落で既に「この」を5回も使っていることに気づく。あな恐ろしや。