タクフィール思想とは

9・11なので、その話題について書く。
以下の引用はすべて『倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道』から引いた。

 一九七〇年代初め、エジプトに「タクフィール・ワ・ヒジュラ」(断罪と逃亡)と呼ばれるグループが台頭してきた。アルカイダの先駆ともいえる組織だ。指導者はシュクリ・ムスタファ(...)である。


(中略)


 二年後、同グループのメンバーは元寄進財産相、シャイフ・ムハンマド・アル=ダハビをカイロで誘拐した。(中略)身代金を払い、われわれの主張を広く世に伝えよというシュクリ・ムスタファの要求に対し、エジプト政府が拒否で応じると、ムスタファはこの老シャイフを殺害した。


アラブ系のムスリム国家で起きた身内殺しともいうべきこの殺戮行為を支えたものは或る一つの思想だった。イスラム教で一種の破門にあたる「タクフィール(背教宣告)」がそれだ。

 タクフィール思想というのは、いわば鏡に映したイスラム教である。ゆえに、根本的な原理は逆なのに、正統の外見だけはそれなりに維持されていた。コーランははっきり述べている。ムスリムイスラム教徒)は、殺人者を罰するとき以外、何人も殺めてはならないと。無辜のものをひとり殺したら、そのものは「全人類を殺した」ものと断ぜられると。ムスリムを殺すことは、さらに罪が重く、そうした行為に及んだものにとって「報いは地獄であり、無限に、未来永劫、そこに留まりつづける」と。だとすると、権力を奪取するため、仲間のムスリムに暴力をふるうジハード団やイスラム集団といったグループは、自分たちの行為をいかにして正当化しているのだろう。サイイド・クトゥブはこの問題にたいし、シャリーアイスラム法)にもとづく国家統治をおこなわない指導者は"背教者"と断じればいいのだと指摘した。預言者の有名なことばに、ムスリムの血は三つの場合を除いて、流してはならないというのがある。すなわち、殺人者にたいする処罰、不義密通、そしてイスラムからの離脱である。本来敬虔なイスラム教徒だったアンワル・サダトが暗殺されたのは、こうしたタクフィールの逆転のロジックのせいであり、彼は現代におけるこの新思想の最初の犠牲者となった。

タクフィール思想の恐ろしさはこれに留まらない。

 ドクター・ファドゥルやドクター・アフマドのような新時代のタクフィール思想家は、死刑執行の対象を、たとえば投票のため選挙登録をおこなった人間にまで拡大している。彼らの視点からすると、民主主義はイスラムに反する制度である。なぜなら、本来神に属する権力を人間の手に委ねる制度だからだ。従って、投票に参加してものはひとり残らず背教者であり、その命は失われて当然なのだ。


つまり、タクフィール思想に染まったムスリムにとって、統治者を選挙によって選ぶ行為に少しでもタッチした人間は同じムスリムであっても背教者と見なされ、殺害の対象となってしまうのだ。

(検索用)倒壊する巨塔、9・11、9.11